第113話 新世界1
しかしこの光に満ちた時間は世界を変えていた。
ヒキシマが送ったこの世界に絶望した全国のユーザーの脳髄影写は停止した。いやそれは停止したのではない。目を開き、もう一度マイクロチップの情報を確認すると脳髄影写システムというソフトウェア自体がこの世から消え去っていたのだ。
そのことはすぐに小泊の耳にも届く。
「脳髄影写システムが……消失しました」
急いで情報を収集した研究員が驚嘆と歓喜が入り混じった表情で言った。
「では私たちは……勝ったのか」
小泊は目の見えない勝利に張っていた肩をなで下ろす。
脳髄影写の消失はあのバベルタワーの前に浮かんでいたデジタル時計の消失を示す。つまり、ヒキシマの新世界計画の頓挫を意味するのだ。
しかし依然として、タカマガハラの内部映像は映し出されない。そしてリクライニングチェアで眠る疋嶋も目を覚まさなかった。
だがこの瞬間、確かに全国で何かが動いた。それは日本という一つの国家から見れば小さなことではあったが、たった独りの人生を変えるには大きすぎる激動であった。
この世に絶望し、腐敗しかかっていた心はやはり萎れているだけだった。脳髄影写の消失と共にその心に変化が見られた。
目を開けた真田兜は暗くなったスマホの画面に映る自分の顔をまじまじと見た。その顔があまりにもおかしく、全てのことがどうでもよくなったのだ。
この現象は同時多発的に全国で発生した。脳髄影写で肉体を捨てようとしていた人々は皆、その盲目的な行いを滑稽に思うようになり、目を覚ました。
なぜそのようなことが起こったのかは分からない。しかし自殺を覚悟した人間の身投げが未遂に終わった時、なぜか死ぬ気が起きなくなるようなものに近い。一度その渦中に本気で飛び込み、その覚悟がないがしろになった時、人の気持ちは良くも悪くも折れてしまうのだ。
今まで主観的に見ていた人生をどこか客観的に見始め、その時の熱は冷めてしまう。未遂に終わっても再び自殺をする人間はいるかもしれない。しかしそこまでの覚悟を持った者が脳髄影写などという玩弄物に頼るとは到底思えない。
ヒキシマが新世界に引き入れようとした自殺志願者たちはどこか死に対する恐怖があり、生を甘受し続けた曖昧な人間たちであった。
ただその両天秤にかかった生と死がほんの少しだけ死のほうへ傾いた結果であり、もう一度、その反動で生に傾けば立ち戻ってしまう。
ゆえに真田兜はベッドから立ち上がった。そしてもうずっと握っていなかった廊下へとの扉に手を掛けるのだった。
真っ暗だった部屋に廊下のまばゆい光が差し込み、目が痛かった。そしてその眩惑する風景の中からたおやかな声が聞こえる。
「兜……」
いつぶりの再開だったのだろか。そこには思いもよらぬ人が立っていた。
「お母さん……」
この悪魔のような奇跡を偶然と言う言葉で片付けてしまうのはもったいない。人の心は繋がっている。こちらが心を開くとき、相手もまた心を開くのだ。
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