第99話 盲愛8
染白の顔は青くなり、動向は開いている。口元に手を当てると、呼吸を感じなかった。
「この女はどうしたんですか。まるで人が為せる業じゃない……」
玉の汗を額に浮かべ、尻餅をついた幡中が荒くなった息を吐きつつ言った。
「恐らく、こいつは最初から生きる気なんて無かったんだ。だから脳内マイクロチップに死をプログラミングしたんだよ。人の力にはある程度のリミッターがかかっている。そのリミッターは自分の体を護るためのものだ。しかし染白はマイクロチップを使い脳内にあったリミッターを外したのだろう。脳はマイクロチップから送られる電気信号のままに動き、もう体を庇うことすらもしない。そんな狂気のプログラミングを自分に施すなんて……全く馬鹿な女だ」
蛭橋は吐き捨てるようにそう言うと、開いた瞼に手を添え、目を閉じさせた。染白にとって疋嶋に抱いた恋心は最初で最後の恋だった。愛した男のために、一生を終えた染白の表情は苦しみの中にもどこか幸福があり、その注ぎ続けた愛に陶酔しながら死んでいるようだった。
「この女はこれで良かったのでしょうか。だって疋嶋にとっては……」
「それ以上言うな、嘘も方便と言うだろ。俺たちはこういう仕事をしている以上、全ての死者には敬意を払わなくてはならない。死んでしまえば皆仏。生前の行いなど関係なく全員が全員、尊く敬われるべきなのだ」
「そうですね、実に幸せそうな顔をしています。人の幸福など、その当人のエゴに似た酩酊なのかもしれませんね」
「言うようになったじゃねぇか」
「俺も先輩と一緒にいたせいで、少し女々しくなりましたかね」
その言葉に蛭橋は苦笑いを浮かべるのだった。
薄暗い部屋に取り残された二人の元に着信音が鳴り響く。蛭橋はポケットにしまってあったスマホを取り出し、耳に当てる。
「首尾はどうだね」
電話口の相手は士錠だった。腕時計を見ると、六時を回っている。どうりで差し込む光も弱く、部屋の中が薄暗いわけだ。
「染白のところには辿り着いたが。その……自殺を止めることが出来なかった」
「そうか、染白君は死んだのか。僕も彼女には悪いことをしたからね」
「死に顔は憎いくらい幸福に包まれてやがる」
蛭橋がそう言うと、士錠の言葉には間が生まれた。小さく息を吸い込む音が聞こえ、再び緩徐な調子で喋り始める。
「ではハコニワに施されたプログラミングを止めるには至ってないのだね」
「ああ、染白が座っていた机のディスプレイは未だ煌々と光っているぜ。何が書いてあるのかまるで分からないが、染白が操作していない今でも文字の羅列が進んでいやがる。いったいこれは何なんだ……」
蛭橋はディスプレイを見つめながら言った。机の上にはキーボードが二つにディスプレイが四つあった。その全てにプログラミング画面が表示されていて、C言語が高速で移り変わっていく。プログラミングの知識が多少ある幡中が見ても、なにが行われるかは見当もつかなかった。
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