第65話 研究所6
「それでも俺はあの中にいるんだ、確かに」
じっとモニターを見つめて、指を突き立てた。
何となくではあるが、この研究所に訪れたことによって、昔の疋嶋とリンクしたような気がした。絶望した疋嶋が考えついた最後の問答。それがこの事件なのだ。
そもそもこの事件自体が反例のような出来事である。しかし現にタカマガハラという揺るがないシステムを壊すことなく存在してしまったのだ。
それは卵を割らずに黄身を取り出すような作業。研究員としての疋嶋に接触していた人物は士錠だけである。その創業者である士錠がアカウント乗っ取り、制御しているものだと思っていた。
しかしそれは違った。野島は教唆罪と言うが、誰に命令したというのだ。システムの裏に入り込める人間は限られている。あらかじめ設定した抜け穴を他人に喋ったとすれば、よっぽどの無口でもない限り、情報が漏れ出る可能性が高い。情報と言う目には見えない貴重な宝とは複製をすればその分だけ価値が下がる。
疋嶋は唇をなぞりながら研究員、一人一人の後姿を眺めた。
「まだ昼食を摂っていませんよね。地下一階の食堂で食べられますから、お二人で召し上がってください。ここで話していても腰が疲れるだけですし」
小泊が静まり返った重い空気を払拭するために提案した。
「こんな時に飯なんて……」
疋嶋は乗り気ではなかった。この状態で飯が喉を通るわけがない。それよりもこの場に留まり、事件の真相を究明するほうがよほど有意義な時間を過ごせる。
疋嶋はこのときから説明のつかない焦りを感じていた。このまま時間が過ぎ去れば、さらなる大事件が起こるのではないだろうか。これだけ厚いベールに覆われた事件がこれだけでは終わるはずがない。心の中で沸々と煮えたぎる杞憂はエントロピーのように増大し続けた。
「いや頂きましょう。ここで立ち話をしていてもらちが明かないわ」
野島はそう言って、疋嶋の手を引っ張った。
「ノンコ……」
「多分、ここから先も長丁場になると思う。だから今は食事にしましょう」
野島はじれったい疋嶋の腕を掴み上げ、鏡の扉へと歩き始めた。その強引さに負け、疋嶋は千鳥足でついていく。
「どうしたんだよ、いきなり」
「いいから、あそこにいても煮詰まるだけだわ。少しは地上に近い場所で酸素を吸わないと回る頭も回らないでしょ」
野島は振り返ると、笑顔で語りかけた。
二人は食堂に到着すると、一番奥のテーブルに座った。壁を背にして、座った疋嶋は両手を組み、何も喋らなかった。
事件の真相は分からずとも、自分が記憶を失った時に戻っているようで少し恐怖を感じた。しかしその恐怖が正しければ、この事件を引き起こしたのはおのずと自分自身ということになる。記憶を失っているにせよ、国家機密を盗み出すという大事件を起こした張本人が自分であることに変わりない。
この事件の真実に近づけば近づくほど、日常から遠ざかっているような気がした。
「ほら、そんな顔してないで」
盆を持った野島が現れた。考え込んでいた疋嶋は目の前の野島が席を立ったことすらも気が付かなかった。
盆にはかつ丼とペペロンチーノが乗っていた。かつ丼を疋嶋の前に、ペペロンチーノを野島の前に置くと、盆を下げた。
「陽介。あなた今、自分を攻めているんじゃないの? 罪を感じることで、この事件から逃げようとしているんじゃいの?」
フォークでパスタを巻きながら目を見ることなく、そう言った。決して目を合わせようとしないその表情は冷徹にも、寂しそうにも見えた。
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