第59話 対峙5

「もう、これもいらないね」


 士錠はそう言うと、持っていた刀を投げ捨てる。ゆっくりと、蛭橋の首元から足をどけ、手を差し伸べた。

 蛭橋はその手を払いのけ、立ち上がると、踏みつけられていた首元を手で払った。


「君たちに見せたかったのはこれだ」


 士錠はそう言うと、尻ポケットから手記を取り出した。手記の最後のページを開くと、片手で持ち上げ、二人に見せる。

 そこに書かれていた文字を二人は声に出して読んだ。


「脳髄影写……」


「事件の真相だよ」


 士錠は口角を上げ、語り出すのだった。

 数々とこの数分の間に暴露されるベールの奥に隠された真実。その一つ一つが寝耳に水でノンフィクションだとは思えない。

 その手記の最後にページに書かれた文章。そしてこの事件が起こった経緯。さらにはこの後に起こる災厄。その全てをあますことなく語りつくした。

 事件の全貌を聞いた二人は開いた口が塞がらなかった。官僚の情報流出などは序章に過ぎない。それを知った時には二人は身震いをした。


「先輩……俺たちはどうすれば」


「やるかやらぬかは君たち次第だ。しかし、これが成功しなければこの日本に住む何千何万という民が……いやこれすらも序章に過ぎないのかもしれん。インターネットが誕生した一九九〇年、世界は一つとなった。様々な人種が共生することの出来る楽園。つまり我々人類はその日を境に失楽園を克服し、ついに神の待つエデンへと足を踏み入れたのだ。そして文明は今、シンギュラリティを迎えようとしている。つまり、神の創造だ。しかしそれは絶対にしてはならない。バベルの塔を建造した人々が離散したように、ノアの箱舟の四〇日四〇夜の大洪水のように、必ずその先には災厄が待っている。これはタカマガハラという神器を創造した僕の堕罪なんだ」


「あんたの言っていることはよく分かった。但し、俺は警察だ。いつでも正しいほうの味方だ。今はあんたの意見に乗ってやる。だが、もしもその正しさが間違っていた場合は地獄の果てからでも戻ってくるぞ」


 蛭橋は一歩前に出て、胸を張り、目を剝いた。


「それは構わない、君の信念まで曲げる気はないよ。では、次会う時は君が救世主であること願う」


 士錠はそう言うと、いつもに増して真剣な眼差しを向けた。

 それに応えるため、蛭橋は手を差し伸ばし、握手を求めた。しかし、その瞬間、辺り一面が真っ白い霧で包まれる。立っていることが困難となり、膝と手を突いて、体を支えるのがやっとだった。

 床に這いつくばりながら見上げると、士錠は口を手で押さえて息を止め、目を瞑ったまま、歩き出していた。


「士錠……」


 蛭橋がそう言うと、士錠は後ろを向いたまま、手を挙げた。

 次第に視界がぼやけ、意識を保つことさえ困難になる。拳を握り締め、必死に眠らないようにしていた。


「待ちやがれ!」


 かすれた声で振り絞った声も虚しく響き渡り、視界は歪みながら黒く収束していった。

 そして、再び意識を取り戻した時には朝になっていた。もうその頃には士錠も上道の姿もどこにもない。

 二人はその廊下で一晩、眠ってしまったらしい。目を覚ますと、隣で寝ていた幡中を叩き起こす。


「目を覚ませ、風邪ひくぞ」


 その声で飛び起きた幡中は辺りを見渡した。


「士錠はどこに!」


「逃げたよ。あの野郎、俺たちを催眠ガスで寝かせやがった。もう朝だぜ」


「クソ……なんて野郎だ。それでどうします? あいつの言うこと……」


「逃げられちまったんだ。いまから探しても間に合わねぇ。一先ずあの男の言い分に乗ってやるか。俺たちが出来ることはそれくらいしかないだろ」


 二人の体調に比べ、習志野の朝は清々しいほど晴れていて、自然の囲む研究所には鳥のさえずりが反響していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る