第36話 隠し事6

 部屋に戻った野島は拳銃を枕元に置き、その後は泥のように眠った。寝苦しい暑さも二階への疑心も消え去り、朝になるまで一度も目を覚まさなかった。

 そして小鳥のさえずりと共に十分な睡眠をとった野島は気持ちよく目覚める。ここ最近はスキャンダルのことでぐっすりと眠れていなかった。このような場所でこんなに快適に睡眠をとれたのは思いもよらなかった。

 すぐに自分の枕元を確認し、そこに拳銃があることで未明のことが夢ではないことを確かめる。

 体を捻り、背骨を鳴らすと起き上がり、洗面台とトイレへ向かった。扉を開け、居間の前の廊下を通ると非常に香ばしい匂いが鼻腔を襲った。

 匂いにつられるがまま、居間を覗いてみると、布団の無いこたつの上に三人分の朝食が用意されていた。


「ノンコ、目が覚めたのか」


 奥の座布団には既に私服に着替えた疋嶋がテレビを見ながら座っていた。画面に映っていたニュース番組は一切、野島の不倫について触れていなかった。あの会見事態が業界のタブーになってしまったかのように、芸能界から忘却の彼方へと消え去った。そのため、ニュースは仕方なく官僚の情報漏洩事件について報道せざるを得なかった。


「おはようございます。昨日は暑くて、寝付けなかったでしょ」


 今の奥の台所から冷えた麦茶のピッチャーを持った真田が姿を現した。ほんの数時間前とは別人のような笑顔で野島に声をかける。

 野島もその笑顔に精一杯の演技で応えた。


「陽介の奴、朝から人のパソコン勝手に使いやがって。本当に図々しい野郎だよ」


 真田はピッチャーをこたつに置きながら言った。


「二階以外は好きに使っていいって言っただろ。俺はルールを守っただけだ」


 疋嶋はあたかも当たり前のように答えた。


「それにしても、遠慮と言うものがあるだろ」


「そんなに早くから起きていたの?」


 野島が少し、驚いた顔をする。


「とは言ってもノンコが起きる一時間くらい前だよ。居ても立っても居られなくて、なにかやってないと不安なだけだ」


「ごめんなさい、あたしだけこんな遅くに起きて。言ってくれれば手伝ったのに」


「別にいいんだ。これは俺の勝手だから」


 その後、野島は顔を洗い、軽く化粧をしてから朝食を食べた。食卓を包んだ三人は何の変哲もない他愛無い会話をした。

 まだ外はそこまで暑くない。しかしここから日中にかけて、急激に暑くなっていくと考えると少し憂鬱な気分になる。

 朝食を取った後はすぐに真田の家を後にする。一晩だけ止まった部屋には何もない。そもそもここに来るまでにほとんど荷物を待っていないため、持ち物はいつも持ち歩いている簡易的な化粧ポーチと財布とスマホ、そして真田から譲り受けた一丁の拳銃だけだった。

 自分の寝ていた布団を片付けるため、折りたたむと、その下から弾薬が出てきた。あの後、真田が部屋に来て置いていったのだろうか。野島はそれをポケットに入れ、玄関に向かう。

 そこには既に疋嶋が待っていて、靴を履いている最中だった。


「じゃあ気を付けて行って来いよ」


 背後から真田が優しい声をかける。二人は振り返りながら、手を挙げた。


「全てが片付いたら、また来るよ。その時は俺の墓石を抜くのを手伝ってくれよ」


「ああ、スコップを用意して待ってるよ。だからそのスコップ、無駄にするんじゃねぇぞ」


 真田は疋嶋に笑いかけた後、野島を一瞥した。その表情からは石よりも固い願いが感じられた。

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