第37話 隠し事7

 二人を見送った真田は玄関で立ち尽くしたまま、車のエンジン音とタイヤが砂利を踏みしめる音を聞いた。野島たちが完全に遠くに離れるまで、耳を澄ませる。二人の乗車した車が集落を去ったのを音で確認すると、次は玄関を開け、目視で確認した。

 昨晩までの賑やかさとは打って変わり、閑静な集落の朝が再び始まった。

 真田は家に入ると、居間や客間の掃除をするよりも先に二階への階段に足を掛ける。急ぎ足で駆けあがり、壁に取り付けられていたスイッチを押し、二階の証明を点灯させた。

 階段を上り切った先には一階と同様に長い廊下が続いていて、その向かいには部屋があった。

 部屋のドアの前には盆と食器が置かれている。食べ残しもなく、綺麗に重なっていた。真田はその部屋のドアに体を寄せると、口を近づけて話しかける。


「ごめんな、昨日は人が来ていて……」


 返事はない。それでも真田はドアに向かって話すのを止めなかった。


「食事を持っていくのも深夜になってしまったな。俺のミスだ。本当にごめん……」


 真田は話が途切れながらも何度も語り掛けた。ドアノブを握り、捻ろうとするが、寸前のところで止めてしまう。例え、捻ったとしても鍵がかかっているため、開くわけではない。自らの手でドアを開けようとしたとき、その鍵によって阻まれることで相手の拒否を肌で受け取り、心底自分が醜く感じる。そんなちっぽけな自尊心がこの手を止めるのだ。

 大きな溜息をつき、再び語り掛けた。


兜斗かぶと……お父さんな」


 真田がそう言った瞬間、ドアに硬いものが投げつけられた。すぐに口をつぐみ、再び謝る。


「ごめんな、そう……だよな。馴れ馴れしいよな」


 真田はそう言いながら、頭を掻きむしった。壁にもたれかかり、ドアノブから手を放す。


「じゃあ、またすぐに朝ごはん持ってくるから……またここに置いておくからな……」


 真田はそう言って、盆を持ち上げた。何度も振り返り、部屋のドアを見つめたが、近づこうとはしなかった。階段に差し掛かると、スイッチを押し、廊下が暗転する。  

 朝だというのにこの廊下には光が入らない。夏だろうと、昼だろうと、二階は暗くて冷えていた。

 階段を降り、玄関に差し掛かると、盆を下駄箱の上に置いた。そして倒していた写真立てを持ち上げ、ゆっくりと元に戻す。そこに映っていたのは確かに三人家族だった。

 真田と大学卒業後すぐに結婚した亜依あい、そして亜依の連れ子だった兜斗。亜依との結婚は親戚の皆から反対された。両親が他界し、既にこの診療所を継ぐことが決定していた真田にとって、自分よりも六歳も年上のバツイチ子持ちの女と結婚するなど反対されて当然だった。

 若くて、恋愛経験も浅かった真田を恋は体を蝕むように盲目へと変えていった。そして、その反対を押し切り強引に結婚したのだ。亜依のことは心の底から愛していたし、兜斗のことも受け入れた。

 しかしある日突然、亜依は不倫し、そのまま家を出て行ってしまった。親戚一同は口をそろえて非難した。まるで自分たちが正しかったと言うように、後ろ指をさされた。勿論、助言を聞かず、押し切った真田に手を差し伸べてくれる親戚は独りも居なかった。

 それからだ。最愛の母に捨てられた兜斗はそのショックで自分を塞ぎこみ、中学一年生に入ってからというものの、自室から出てこなくなってしまったのだ。

 真田は責任を感じていた。兜斗は悪くない。だから自分がどうにかしなくては。兜斗にとって親と呼べる存在はもう真田しかいない。しかしそれは空回りを続ける。兜斗にとって真田は赤の他人であり、本当の親は亜依だけなのだから。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る