脳髄影写

マムシ

第1話 覚醒1

 目を開けると視界一面に真っ白い天井が広がった。

 恐怖と焦燥が右往左往しながら疋嶋陽介ひきしまようすけの心に強大な不安を与えていた。

 頭を押さえながら体を起こす。ひどい頭痛が襲ったが、取り敢えずここがどこなのかを知りたかった。

 疋嶋の最後の記憶は大学のキャンパスである。

 名前だけの医学部に在籍し、成績はいつも下から数えるほうが早い。大学で教わる学習には全くと言って言いほどついていけなかった。そのため、学習意欲も削がれ、次第に腐り始めるのも早かった。

 二年時には既に周りからも見捨てられ、大学に行くのも億劫になり、自堕落な日々が始まった。

 奨学金や親からの仕送りをギャンブルに使い。医師免許すら取らなかった。

 常に落第と進級のはざまを彷徨い、そのままずるずると何もしないまま、四年生の夏を迎えてしまったのだ。その疋嶋がなぜここに居るのだろうか……

 天井、壁、ベッドまでも白で統一され、上部にレールが取り付けられている独特の引き戸、さらにカードを入れなければ動くことのないテレビが備え付けられているこの部屋は病室としか言いようがなかった。

 自分が倒れた記憶もない。大学四年の夏、普段通り、パチンコを打ちに家を出た。そこから先の記憶はまるで映画のフィルムを切られたようにプツリと消え去っていた。

 大きな溜息をつき、肩を落とする。親の顔とこの入院にかかる費用だけが頭に浮かんだ。


「目が覚めましたか」


 引き戸が開き、そう言いながら血圧計を抱えた看護婦が入室してきた。年齢は三十歳を超えていて、この道のベテランの風格が放たれていた。


「俺になにがあったんですか? どうも記憶が曖昧で……」


 疋嶋は照れ笑いを交えながら言った。


「三日くらい前ですかね、うちには込まれてきたんですよ。でも特に外傷は見当たらないし、怪我と言うわけではないみたい」


「ではなんで……」


 疋嶋がさらに質問を重ねていくと看護婦も困った顔をした。恐らくここの病院では倒れた原因が分からないだろう。

 口をつぐみ、腕を差し出して、形式ばかりの血圧と脈拍数を図った。

 やはり原因不明の病が体を蝕んでいるのだろうか。ネガティブな思考が全身を駆け巡った。


「では失礼します」


 看護婦は軽く会釈をして、出て行く。ベッドの脇に置かれているサイドテーブルは閑散として寂しい。息子が倒れたというのに親でさえ、見舞いに来た形跡がない。

 無音の病室に独り取り越された疋嶋はまるで社会から隔離されたようだった。

 ベッドから体を起こし、引き戸付近にある洗面台に向かった。顔を執拗にこすりながら、前を見ずに鏡の前に立った。


「え……」


 思わず出てしまった一声。顔を鏡に近づけて、幾度となく確認する。全身が粟立ち、睾丸が縮み上がった。

 一歩後ろに下がり、自分の顔を指先でいじくり回した。

 その目に映っていたのは確かに疋嶋である。しかし自分の知っている顔とは異なっていた。張りが無くなり、髭も濃くなっている。

 まるで三十歳を迎えた男だ。到底大学四年生の青年には見えなかった。

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