第118話 別れの在り方
状況は防戦一方だ。
最愛の妻と敬愛する姉を相手に手も足も出ないのは仕方がないと、クロウは表情を曇らせる。
しかし、相手は問答無用の力をこちらにぶつけてきている。その事実は、余計に2人の動きを鈍らせクロウの負担をさらに大きくしていた。
(こっちは
普段から研究室に籠りっぱなしのクロウでも、実力は
その間にもリタからの攻撃は止むことはなく、鋭利な棘が幾つも生えた水球が容赦なく3人を襲ってきた。
「くそったれ!!」
クロウは手のひらを地面に叩きつける。すると地面から大量の水壁が噴き出し攻撃を遮断した。
その束の間の隙に、横から飛び出したしなやかな影をクロウは捕まえることができなかった。
「待て、フルソラッ!!」
無鉄砲に飛び出したフルソラは、正面からリタを抱きしめた。
「リタ姉さんっ!しっかりして、正気に戻ってっ!!」
「離れろ、フルソラッ!」
「お願い、リタ姉さん!これ以上、ジン義兄さんを傷つけないでっ!」
「フ、ルソラ・・・?ジ、ン・・・?」
「そうよ、姉さん、私よ!」
するとリタの攻撃がピタリと止む。リタの白く細い腕がフルソラの背中に回るその時、強い衝撃と共にフルソラは宙を舞った。
「馬鹿か、お前はっ!」
咄嗟にクロウに抱き抱えられたフルソラは衣服に滲む鮮血に気付く。それはリタからの攻撃を庇った際にできた切り傷だった。
「クロウ、ケガを・・・」
「こんなもん、舐めておけば治る。それより、策も無く敵に飛び出すやつがあるかっ!」
「て、敵・・・?」
「あぁ、そうだ。お前を抱きしめるふりをして手に持っていた凶器で背後から突き刺そとしていたんだ。」
「そ、そんな・・・」
「認めたくないのは分かる。だが、もうあいつはお前の大好きな姉じゃないんだ。お前だってもう分かっているだろう!」
フルソラが視線を変えれば、ニコニコと笑ういつもの姉の姿がある。しかしその目に輝きは無く、昏く不気味なものだった。
「ね、ねぇさ、ん・・・」
溢れる涙に視界が揺らぐ。力が抜けたフルソラを、クロウは優しく地におろした。
「さっきも言ったように、1度混ざった
そこには眉間に深いシワを寄せたジンが立っていた。どんなことにも冷静で傍観する姿勢を崩さない男が、こんなに苦悶に満ちた顔をするのだとクロウはどこか他人事のように思った。
しかしそれも長くは続かなかった。再びリタの攻撃が再開されたのだ。
「All Element
クロウが大きく跳ねる。そしてリタをめがけて両手を大きく広げた。
「
現れた獰猛な水竜は低く唸る。リタも負けずに水撃をぶつけ続けた。激しい水の攻防に思わず飛び出したのはジンだった。
「リタッ!!」
その声に合わせリタの攻撃が不安定に揺れ動く。当の本人も表情を歪め、こめかみあたりを強くさすっている。
「リタ姉さんがっ・・・!?」
明らかに動揺を見せるリタにジンは少しずつ近づきながら名を呼び続けた。
「リタ・・・ずっと探していたんだ。」
「うっ・・・」
「リタ、帰ろう。」
「呼ば、ないで・・・」
「リタ、もう大丈夫だから。」
「その声で、呼ばないでっ!」
「リタ。」
「止めて、その声で名を呼ばないでっ!」
急激に暴発した巨大な力がリタの周囲に渦巻いていく。しかし、その力はすぐに霧散しリタはその場に倒れ込んだ。
「リタッ!!」
慌てて駆け寄りリタを支えたのは、しかしジンではなかった。
長い髪をきっちりと結ぶバレッタはアンティークの蝶を模している。戦場には似合わぬタイトなシャツとカジュアルなジャケットを羽織った男はリタを優しく抱きしめた。
「どうしたんだい、リタ。調子が悪いみたいだね。負の意識が足りないのかな?」
「レ、シ・・・?」
「だいぶ感情が動いているね、君らしくもない。何か君を強く揺さぶるようなことでもあったのかな?」
レシは視線を移す。そこには動揺を隠しもせず睨みつけるジンの姿があった。
「誰だ、お前は。」
「おや、随分と不躾な人だね。僕はレシ。リタのパートナーさ。」
「パートナー、だと?」
「あぁ。僕と彼女は不可分の関係で・・・見てもらった方が早いかな。」
レシはくいっと顎を動かす。するとリタはゆっくりとレシの首に腕をまきつけ、そのまま深い口づけを交わしたのだ。
「っ!!」
ジンは拳を強く握る。額に太い青筋を張らせるとレシを目掛けて飛び出した。
しかし、大きく振りかぶった拳を受け止めたのは、レシの前で両手を広げたリタだったのだ。
「レシを傷つけることは許さないわ。」
「リ、リタッ・・・!」
すかさず反撃を繰り出したリタの腕を、ジンはぐいっと強く引き寄せる。
意思の強い視線。フワリと香る甘い匂い。久しぶりに触れる肌の感触。それは当時と何一つ変わっていない。いくら時間が経過しても五感はしっかりと愛おしい存在を記憶していた。
「リタ、目を覚ましてくれ!」
「何を言っているの。私は正気よ。レシを傷つける人は誰であろうと許さない!」
さっきの動揺は見る影もなかった。ジンに向ける真っ直ぐで鋭い敵視に、今度はジンがたじろぐ番だった。
水撃は容赦なくジンを襲う。腕をクロスさせ攻撃を防ぐジンに反撃する意思は感じなかった。その様子にリタの攻撃はますます熾烈さを増していく。
リタと戦ったことは無い。優しい彼女は人を傷つけることを嫌い、攻撃として魔法を使用したことは無いのだ。
「ジン、そのままだと死ぬぞっ!」
大量の血を流すジンを前に、クロウよりも早くフルソラが飛び出した。
「
2人に割って入ったフルソラは迷わずリタを掴む。
「これ以上、ジン義兄さんを傷つけさせない!」
リタへ放つ魔法にもうためらいはなかった。素早く応戦するリタとフルソラの戦闘は次第に激しさを増していく。
みるみる増える怪我は決して軽いものじゃない。どこか意地にも見える2人の争いは、いつからか魔法と肉弾戦を用いたものへと変化していった。
長い四肢を持つフルソラにリタが少しずつ圧されていく。それでもフルソラは攻撃の手を緩めなかった。そこに強い覚悟を感じ取ったクロウは、思わず拳を握った。
「ジン・・・。」
か細い声だった。ジンは思わずクロウに視線を向ける。そこにはブルブルと震え、深く頭を垂れた親友の姿があった。
「俺がすべてかぶる。俺が親友の妻を殺した罪をかぶるから・・・」
「クロウ・・・?」
「フルソラに、姉を殺した
フルソラの追撃は続く。フルソラの強烈な蹴りがリタに直撃したとき、リタの背後に回ったレシが不気味な光を集め始めた。
「憎しみが足りないなら与えてあげよう。今ここには負の意識が大量に集まっているようだから。」
そう言うと、みるみるうちに凝縮された光がリタの体にゆっくりと吸い込まれていく。不気味な光がすべて吸収された時、リタの瞳が鈍く輝いた。
リタの動きが急速に変化する。
フルソラを凌ぐスピードは明らかに人離れしたもので、その間も止むことのない水撃にフルソラは次第に防戦を強いられていった。
リタの操る魔法は洗練されていて美しさすら感じる。その様子にクロウは思わず息を呑んだ。
(ジンやヴァースキよりも強いなんて、その場限りの冗談だと思っていたが・・・。ここまで抜群の資質を備えていたなんて。)
リタの実力は
「リタに何をしたっ!!」
ジンはレシに魔法を放つ。しかし、それを片手で制したレシはフワリと空へ舞い上がった。
「我が主のクラルトに動きがあったようだ。僕はここで失礼するよ。リタ、後は頼んだよ。」
「はい。」
リタはコクリと頷いた。
「待てっ!」
そして追いかけるジンに見向きもせず、レシは忽然とその場から姿を消してしまった。
残されたリタが再びフルソラに飛びかかると、再び激しい戦闘になってゆく。
2人がケンカをしているところなんて見たことがない。リタはフルソラを愛していたし、フルソラはリタを愛していた。
慈愛に満ちた2人はとても眩しくて、この血なまぐさい世界から家族を守ることは、ジンにとって誇りとなっていたはずだったのに。
体勢を崩したのはフルソラだった。止めを刺すために大きく振りかぶるリタの前にクロウが飛び出す。
「ALL Element
両手を空に挙げ咆哮するクロウ。大技でリタを殺す気だとジンには分かった。
自分の声も、震える手も届かない。殺すことでしか彼女を救う方法は無いのか。クロウとフルソラはとっくに覚悟をしているというのに。オレはもう彼女を救うことはできないのか。
「
激しい風雨が急速に発達し渦状の形へと変化していく。煽られた大量の水が鋭利な刃物のように折り重なると、それは巨大な竜巻となって幾つも現れた。黒い渦状に飲み込まれれば、体は一瞬で水の刃に切り刻まれるであろう。
操る魔法はすべてリタに向けられている。もうクロウにも迷いはなかった。
覚悟を決めた親友を前に、ジンの足は動かない。喉が圧迫され、やめろと声を出すこともできない。
4年間、必死にリタを探し求めた。もう1度会いたくて、もう1度抱きしめたくて。
再会はあまりにも突然で、あまりにも残酷だった。
ジンは唇を噛み、拳を強く握りしめる。
分かっている。目の前の彼女は、かつて自分を愛してくれた人ではないということを。
分かっている。彼女を救うのは親友のクロウでも、妹のフルソラでもなく、自分でなくてはいけないことを。
分かっている。もうすべては手遅れで、彼女を失う覚悟をしなければならないことを。
「ジン、一生俺を恨め。」
クロウは両手を勢いよくリタへ向けた。すると幾つもの巨大な竜巻が一斉にリタに襲いかかっていく。広範囲に広がる攻撃は、逃げる隙さえ与えない。竜巻は容赦なく刃を光らせ、迎撃しようとするリタの動きを鈍くした。
「ALL Element
ジンの頬に涙が伝う。決断したジンは自身に風の膜を纏わせ、1歩踏み出した。
そしてリタの傍まで行くと、そのまま自分の膜と一緒に包み込んだ。
「ジン、何をっ!!」
動揺するクロウに謝罪の念を送る。
分かっていた。それでも俺は彼女を殺せないと。
2人はあっという間に竜巻にのまれ、そのまま跡形もなく姿を消した。
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