第84話 心の痕

 教務室は、ジンの淹れたインスタントコーヒーの匂いがほのかに残っていた。マグカップに残るコーヒーを一気に飲み干すと、いつもの薄笑いを浮かべながらフルソラを見上げた。


 「それより、うちの生徒が世話になったみたいだな。」


 (私の質問は一切無視ですか・・・。)


 答えてはくれないだろうとは思っていたが、ここまでキレイに無視されるのも腹が立つ。フルソラは唇を尖らせた。

 しかし目の前の男は口を開かないだろう。それは単純に詳細を話すのが面倒なのか、内輪揉めにフルソラを巻き込まない為か・・・。おおよそ前者だと予想づけるが、後者は壁を作られているようで面白くない。

 ただそれは、彼の不器用な優しさだということもフルソラは理解しているのだ。


 (まぁ、時間が経てば噂が回ってくるでしょう。)


 教授という立場から、学園の情報は回ってきやすいフルソラはジンへの質問を諦める。


 「いえ。斥候隊として、当然のことをしただけです。それに――」

 「・・・。」

 「1人の少女を助けることができませんでした。」


 フルソラは目を伏せる。すでに、クエストの経緯いきさつを知っているジンは追及することは無い。


 「お前さんが救援部隊として赴いてくれたことで助かった命もあった。担任として礼を言わせてくれ。」


 ジンはその場で軽く頭を下げた。


 「止めてください。ジン義兄にいさ――」


 フルソラは慌てて手で口を覆った。


 「ははっ。そう呼ばれるもの久しぶりだな。誰もいねーんだから構わねーよ。」


 可笑しそうに笑うジンとは対照的に、フルソラはキュッと顎を引く。


 「いいえ。ここは学園内ですから。ケジメはつけないと。」

 「相変わらずマジメだねー。ちょっとは自由さをわけてもらったらどうだ?」


 一瞬、空気が冷たくなる。

 「誰に?」という問いは会話に乗らない。2人の頭の中には、それが誰なのか当然のように分かっているからだ。

 ジンは既にフルソラを見ていなかった。窓から見える空を遠い目で見つめている。

 沈黙に耐えられなかったのはフルソラだった。


 「そ、それより、生徒の様子を見に行かなくていいのですか?」


 半ば無理やり話を変える。ジンの意識を自分に向けてほしかったのだ。


 「応急処置をしましたが、ケガの具合がひどい生徒もいました。でも、もう面会できると聞きましたよ。」

 「あぁ。クロウが診てくれてな。処置も治療も華麗にスムーズだったと自画自賛していたよ。相変わらず腕だけは確かだからな。」


 フルソラは眉をひそめる。不愉快な人物の名が挙がったからだ。

 そんなフルソラの様子をジンは鋭く察知した。


 「何だ、相変わらず犬猿の仲か?」


 ジンが面白そうに笑う。


 「いえ、眼中にすらありません。」


 頑ななフルソラの態度は、逆に存在を意識していると思わずにはいられない。しかし、それを言ったとしてもフルソラの機嫌を損ねるだけだとジンは言い淀んだ。


 「いいペアだと思うけどねー。」


 ジンはゆっくりと腰を上げる。


 「なっ・・・!!誰がクロウなんかと・・・!」


 ハイハイ、と言いながらジンは背を向ける。そして手をヒラヒラと振ると教務室から出て行ってしまった。

 残されたフルソラは、納得できない表情を浮かべた。


 「誰があんな変態・・・。」


 クロウとの仲を指摘されたくない。特にあの人にだけは。

 ジンが置いて行ったマグカップの底にはコーヒーの跡が残っていた。フルソラはマグカップを給湯室に持っていくと、洗剤で泡立てて洗い始める。


 「リタ姉さん・・・早く戻ってきてよ。じゃないと、私・・・。」


 姉のリタが突然失踪して4年が経つ。それは、心底妻を愛していたジンから笑顔が消えた年月と一緒だ。

 上級魔術師ハイウィザードを辞めたのも、ただの教師に甘んじているのも、情報があればいつでもリタを探しに行ける身軽さを欲した故の行動なのだろう。

 泡を流されたマグカップは新品のように光っている。心の痕も泡で洗い流せたらいいのに、とフルソラはマグカップをタオルの上へ置いた。





 清潔な廊下は消毒液の匂いがほのかに香る。パタパタとすれ違う白衣を着た看護師たちは一様に忙しそうだ。陽当たりの良い廊下には、パジャマを着た患者たちが談笑している。

 まだ数えるほどしか来ていないのに、足は自然と通い慣れた順路を進む。

 扉の前まで来たシリアは、軽くノックをしてゆっくりと扉を開けた。


 「テオ、入りますわ。」


 部屋は必要最低限の家具と療養に必要な物しかなくひどく殺風景だ。それでも一般生徒が入院するための部屋にしては広い印象を受ける。

 枕を背もたれにして座るテオは、窓を眺めたまま振り向かない。

 テオのパジャマが漂白剤に浸けたみたいに真っ白だとシリアは思った。


 「空気を換えますよ。」


 そう言うと、持ってきた花を置き窓を少しだけ開放する。

 ひんやりとした風が部屋にゆるやかに流れ込んできた。

 そのまま机に置いてある花瓶から挿してある花を抜き、水を替える。萎れた花々を器用に抜くと、持ってきた花をバランスよく挿していった。

 その様子を、テオはぼんやりしながら見ている。

 シリアが持ってきた、カスミソウとマーガレットとカラーは鮮やかな彩りをしていて殺風景な部屋によく映えた。

 決して派手ではない素朴で可愛らしい花を、シリアみたいだとテオは思う。


 「毎日来なくていいぞ、シリア。」


 テオの声に覇気はない。簡素なイスをベッドの横まで移動したシリアは腰を下ろした。


 テオが入院して1週間が経った。そのうちの3日間は面会謝絶で顔さえ見ることができなかったが、今は随分と顔色も良くなっている。


 『もう少し治療が遅れていたら魔術師ウィザードになるどころか、死んでいたでしょう。』


 面会謝絶が明けた翌日、主治医から説明を受けたシリアたちは衝撃を受けた。それほどまでに、テオは重体だったのだ。


 『あの場にフルソラ教授が居て本当によかったです。あなたは運がいい。』


 ニッコリと笑う主治医とは対照的に、テオの顔は冴えなかった。


 シリアは荷物からタブレットを取り出す。そして目的のページを表示させたままテオに差し出した。


 「これ、ご覧になりましたか?」


 タブレットを受け取れば、見出しに大きく『真相解明!謎に包まれた咎人と霊魔の関係が明らかに!!非道な実態に迫る!』

と書いてある。


 「ジェシドさんが咎人と霊魔の関係性について論文を発表したんです。今学園では、この話で持ち切りですわ。」


 タブレットにはジェシドの写真も載ってあった。写真のジェシドはいつもの穏やかさを潜め、どこか強い意志を感じさせる眼をしている。


 「入院中に執筆していたらしく、医者せんせいに怒られたらしいですわよ。それで退院したと同時に論文を発表したんですわ。」


 シリアがふふっと笑う。


 「こんな突拍子もない話、よく信じてくれたな。」

 「ええ。確かに信じられない内容です。でも、次のページを見てください。」


 シリアに促され、ページをスクロールしていく。そこに【情報管理部】という文字が目に入った。


 「情報管理部のソン・シャノハ博士が論文の根拠になる物質を公表したのです。その物質はジェシドさんの論文を立証するものと認められ、同時にその論文を高く評価したのです。」

 「・・・すげーな。この根拠となる物質っていうのは――」

 「恐らく、Twilight Forest(静かなる森)に落ちていた霊魔の爪だと思います。」

 「・・・。」

 「シャノハ博士の発表により、ジェシドさんは一躍学園の有名人となりましたわ。もちろん、クラスも修練ラッククラスから創造クリエイトクラスへ復帰となりました。」

 「そうか。ジェシドが無事で・・・クラスに戻れてよかった。」


 テオは満足そうに頷いたが、やはり声に覇気は戻らない。シリアは小さくため息をついた。


 「まだ気にしているのですか?」


 覇気の戻らない原因を知るシリアはテオの目をジッと見る。その視線に耐えられなくなったテオはすぐに目を逸らした。


 「・・・シリアは、その・・・もう平気なのか?」

 「私は魔法力が枯渇しただけで外傷はありませんでした。療養したので・・・この通りですわ!」


 シリアは両腕曲げ、力こぶを見せるような仕草をして見せた。


 「いや、まぁ・・・ケガとかなくて本当に、よかったんだけど・・・。」


 言葉を選ぶテオは歯切れが悪い。シリアはキュッと顎を引く。


 「へ、平気なわけない、じゃないですか・・・。」


 震える声にテオは思わず顔を上げた。そこには膝の上で拳を握りしめ震えるシリアがいる。


 「クーランちゃんを・・・救え、なかったっ・・・!」


 唇を噛むシリアは声を震わせた。そして握られた拳に大粒の涙が落ちる。


 「シリア・・・。」


 シリアが目を覚ましたのは劫火峡谷デフェールキャニオンから学園に戻る道中だった。

 使役獣が引く乗り物の中で目覚めたシリアの傍には、背の高い女性が腕を組んだまま座っていた。シリアの意識を確認したその女性はフルソラと名乗った。

 そして、クエストに関わった生徒は全員助かったこと、子どもたちを保護したこと、敵は倒したことを話してくれたのだ。

 安堵したシリアだったが、続くフルソラの言葉に思わず言葉を失った。


 『ただ、クーランという子が亡くなった。あとこの乗り物にセリカは乗っていない。』


 思わず跳び起きそうになったシリアを、フルソラは片手で制した。


 『安静にしろ。お前は魔法力が枯渇していている。』

 『ど、どうしてっ!?ク、クーランちゃんがっ・・・セリカはっ!?』

 『・・・その子がセリカを助けたんだ。命を張ってな。』

 『そ、そんなっ・・・!そんな――』


 キヨ美さんを抱きしめ笑うクーランの顔を思いだす。


 『セリカは、クーランを埋葬すると私たちとは一緒に来なかった。だからここには居ない。』

 『・・・っ!!』


 シリアの最後の記憶は、敵と対峙するセリカの後ろ姿だ。当然、その後のことは知る由もない。


 『クーランちゃんが・・・セリカを・・・。セリカ、セリカは・・・!』


 シリアの目から零れる涙をフルソラはそっと拭ってやった。


 『混乱するのは分かる。ただ今は休め。詳しい話は、後日全員に話す。』

 『でも、でもっ・・・!』


 フルソラはシリアの目の前にボロボロになった紙を差し出した。それはカンガルーの形をしている。


 『あ・・・絹、江さん。』


 シリアはゆっくりとその紙を握りしめた。


 『犠牲はあった。だが、お前たちは子どもたちを守ったんだ。よくやった。』


 シリアから溢れる涙はとめどなく流れる。その様子にフルソラがシリアの額に手を当てると魔法を口にする。

 急に瞼が重たくなったシリアはそのまま意識を手放し、深い眠りについたのだ。



 テオは震えるシリアの手を握った。


 「今も・・・信じられません・・・。クーランちゃんが・・・クーランちゃんが・・・。」

 「シリア・・・。」

 「あの時、私が気を失っていなければ・・・キヨ美さんがクーランちゃんを守っていれば・・・。私がもっと、強かったらとっ・・・!何度後悔し・・・ひっ・・・」


 悔しそうに泣くシリアを、テオは優しく不器用に抱きしめる。


 「ひっ・・・ぐすっ、ジェシドさんも、きっと悔しいと思います・・・。だから、すぐに自分ができることを形にしたんだと思います・・・。今も犠牲になっているかもしれない子どもたちのために・・・クーランちゃんの犠牲を無駄にしないようにと・・・」


 テオは写真に写るジェシドの強い眼差しを思い出した。


 「だから・・・私は、私たちは前へ進まないといけないんです・・・。救わないと、いけないんです!こんなところで、止まるわけには、いかないんですっ・・・!」

 「シリア・・・」

 「オルジだって、同じ気持ちですわっ!」

 「!」


 シリアの涙に油断していたテオは、思わずシリアから身体を離した。

 赤い目と鼻をしたシリアはテオを見つめる。


 「オルジは学園を辞めました。でもそれが決してネガティブな判断じゃないということは、テオが1番よく理解しているでしょう?」

 「・・・っ!」


 一足先に退院したオルジは、その足で学園に退学届けを出し学園を去ったのだ。

 テオが調子を取り戻さない理由はオルジの退学だと、シリアには分かっている。


 「だって、だってオレに相談もなく・・・。」

 「もう私たちは子どもじゃありませんわ。自分の歩む道を自分で決めないといけません。オルジは随分と前から学園を辞めることを決めていたみたいですわ。」

 「オルジと話したのか・・・?」

 「ええ。テオがまだ面会謝絶の時に。」

 「・・・。」


 シリアは目尻の涙を指先で拭った。


 「高等部のクラス選択の時、オルジも実戦バトルクラスを希望していたことを知っていますか?」

 「あぁ、もちろんだ。オレたち2人だったら最強の魔術師ウィザードになれるって言ってたからな。」

 「テオ、その時に中等部の教師から何かお話をされませんでした?」

 「え、話・・・?えーっと・・・。あぁ、何か言われたな。オレの魔法力の話。」

 「テオの魔法力・・・ですか?」

 「あぁ。オレはパワーはあるけどそれをコントロールする力が足りないから高等部で磨く必要がある、とか。高等部の実戦バトルクラスは今までのように力だけのごり押しでは無理だ、って言われたな。」

 「それで?」

 「だからオルジのことを言ったんだ。オレにはオレの魔法を1番理解している相棒がいて、魔法力を調整してくれるから大丈夫だって。」

 「・・・他力本願ですわ。」

 「だって、オルジの魔法力を整合するスキルは先生も認めてただろ?だから大丈夫だって言ったんだけど、それでは無理だって・・・魔法力を調整してもらうという考えは魔術師ウィザードに向いていないんだ、って指摘されちまってよ。カチンってきたよ。」

 「その会話をオルジは聞いていらしたみたいですわ。」

 「えっ・・・!!」

 「偶然に聞こえたようで。教師が『魔術師ウィザードの世界は実力主義で、全てを1人でこなして初めて一人前になるんだ。』とも。」

 「あぁ、確かにそんなことも言ってたな。」

 「オルジはそれを聞いて、自分の存在がテオの成長の妨げになると思ったらしいですわ。」

 「なっ、!何だよ、それっ!!何を勝手に――」

 「私も最初にそれを聞いた時、オルジの考えに怒りを覚えましたわ。」

 「だろっ!何でそういう考えになるん――」

 「でも!」


 シリアはテオの言葉を強く遮る。


 「シ、シリア・・・?」

 「でも・・・今は、そうなのかもしれないと思っています。」


 シリアはギュツと手を握りしめた。


 「・・・は?シリア、何を言ってるんだよ?」

 「戦えない者は、前線から身を引くべきです。」

 「・・・シリア。いくらお前でも怒るぞ!」


 テオの低い声にシリアは一瞬身を固くする。しかし、それでも怯まなかった。


 「怒ってもらって構いません!」

 「なっ・・・!言っていいことと、悪いことが――」

 「殺すんです!」


 シリアの強い眼にテオは思わず口を噤んだ。


 「守らないといけない者が弱かったら、人を、殺すんです・・・。」

 「・・・。」

 「私たち魔術師ウィザードを目指す者が他力本願では、助けられる命も救えないんですよ、テオ。魔術師ウィザードが人を守れなかったら、それはその人を殺したと同意なのです。」

 「そ、そんな・・・」

 「私は今回のクエストでそれを痛感しました。運よくフルソラさんが救援に来てくれましたが、もし救援されていなければ・・・。」


 シリアは震える自身の身体を抱きしめる。目には再び涙が溢れていた。


 「テオやオルジ、ジェシドさんも失っていたかもしれない・・・。」

 「それは違う!それはオレが弱かったせいで、シリアのせいじゃ――」

 「だったら、強くなってください!」

 「!!」

 「誰かに魔法力を調整してもらわないといけないとか言ってないで、1人で全ての人を守れるようになると言ってください!」

 「シリア・・・。」

 「もう2度と犠牲者なんて出させない・・・誰も殺させない・・・っ!クーランちゃんを・・・ひっ、ひっく・・・クーランちゃん・・・。」


 ベッドに突っ伏したシリアは声を抑えながら号泣する。子どものように泣くシリアの泣き声は、病室に頼りなく響いた。


 「・・・っ、ひっ・・・私は、私は強くなります。強くなってみせます。」


 顔を上げ涙を拭うシリアの眼には強い光が宿っていた。それはタブレットで見たジェシドの写真と重なる。


 「私は弱いですわ。実戦バトルクラスでも、体力が少なく持久力に欠けます。まずは己の限界を認めるところから始めます。

 私は弱い。だから、絶対強くなって魔術師ウィザードになります。そして、救える命を守ります。」

 「シリア・・・。」


 小さな身体から発せられる熱意に、テオは置いてけぼりをくらったようで思わず俯いた。そんなテオの手に暖かい感触が重なる。


 「シ、シリア!?」


 重ねられたシリアの手にテオは思わず頬が熱くなる。


 「テオ、一緒に強くなってください。」

 「え・・・?」

 「確かに魔術師ウィザードはあらゆる問題を1人でこなさないといけないかもしれません。でも、1人だけで強くなる必要もないと思うのです。」

 「・・・。」

 「助け合って各々が最強の魔術師ウィザードを目指しましょう。テオとだったらできると思うんです!」

 「シリア・・・。」


 目に涙を浮かべながら笑うシリアは美しかった。それに吸い寄せられるようにテオは顔を近づけた。

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