第80話 欲した人物
煤の匂いと煙が充満する林で、小隊が忙しなく動いている。無線機で状況を報告する者、辺りを散策する者、小さく震える子どもたちを治療する者――。
GPSが示す位置から少し離れたところで、4人の子どもたちは固まりうずくまっていた。声がか細く頼りないのは、泣き声を発せる子供がその中に1人しか居なかったからだろう。
掠れる呼吸と目から溢れる大粒の涙が、自分たちの身に起きた恐怖を物語っていた。
「フルソラ教授。」
小隊の1人が中心で指揮を執る女性に駆け寄る。
「周囲には異常ありません。咎人や霊魔の気配もありません。」
報告を聞くより前に、危険な気配が無いことをは分かっていた。それでもフルソラはグルリと首を回し周囲を確認する。
キリっとした眉毛とシャープな一重が勝気な雰囲気を与えるフルソラは、短く切り揃えられたブロンドの髪をしなやかに揺らした。
背の高い彼女が腕を組み姿勢を正すだけで、威圧的な態度に見られるかもしれない。
過去には自分の外形をからかわれ、傷つき涙を流す夜も多かった。その時は、決まって姉のリタがフルソラを抱きしめ涙を拭ってくれた。
『泣かないでフルソラ。私はあなたが大好き。あなたのキレイな目も、細くしなやかな身体も、そして誰よりも優しい心を持っているあなたが大好きよ。ほら、笑ってフルソラ。あなたのキレイな笑顔を見せて。』
涙でグシャグシャになった顔を優しく包み込むリタの手はいつも温かくて、自然と涙が止まった。自分の笑顔をが大好きだと伝え続けてくれた姉のおかげで、フルソラは笑うことができたのだ。
フワフワの柔らかい髪と、小さな身体の姉を羨ましいと思ったことは何度もある。それでも、抱いたコンプレックスが卑屈にならなかったのは、常に姉が自分を愛し守ってくれたからだ。
「ご苦労。引き続き周囲の警戒を怠らないようにしてくれ。」
「は、はっ!」
萎縮しているのか、隊員は不格好な敬礼をして見せた。
指揮を執る立場上、どうしても高圧的に見えてしまいがちだ。
あの学園に長年仕え、ある程度の処世術は身につけたが、何より自分の胸の中には常に信じている姉の言葉がある。
「あと・・・急な遠征だった為、疲れている者もいるだろう。休める時は休むようにと伝えてくれ。」
フルソラはニコリと笑みを浮かべた。キリッとしたフルソラが柔らかく笑うギャップに隊員は思わず頬を染めた。
「は、はい!ありがとうございますっ!」
走り去る隊員と、周囲の安全を確認したフルソラは手に持っていたある物を眺める。
それは、保護した子どもたちの傍に落ちていた特殊な素材をした紙だった。
紙は端がよれて、シワになっている。
(
汚れた紙をポケットにしまう時だった。隊員が慌てた様子で走ってきた。
「フルソラ教授っ!!」
「何事だ!」
「れ、霊魔ですっ!!大きな狼の霊魔がこちらに走ってきますっ!!」
「なに、霊魔だと・・・?」
逃げ惑う隊員の後ろに大きな影が見えた。小刻み良く響く足音が少しずつ大きくなってくる。
「全員退避!私の後ろまで後退しろっ!!」
フルソラは大声で隊員全員に呼び掛けた。
フルソラが指揮するこの小隊は
主に補助要員としてエレメントの腕を磨く彼らは、戦いに不得手だ。
「フルソラ教授っ!?」
全員が後退したことを確認したフルソラは、勢いよく駆けてくる霊魔の前に立ちふさがる。そして胸ポケットから1本のメスを取り出した。
「ALL Element
メスを地面に突き刺すと、オレンジ色に輝く紋章が眩い光を放ち浮かび上がった。
一直線に走る霊魔が射程圏内に入ったところで、フルソラは声高らかに詠唱を唱えた。
「
握っていたメスが瞬時に大きくなると、その反動により地面が鋭く隆起する。それは何本もの鋭く太い針のような形をして霊魔を次々と刺していく。
刺しぬかれる度に響く獣の悲鳴は、完全に
ビクンビクンと体を引きつらせ、舌をダランと出した霊魔から流れる血が、針状の土を濡らしてゆく。
「す、すごい・・・。」
あまりにも迅速で的確な攻撃に、隊員は全員動くことができなかった。
「・・・あ、あの方は、一体誰なんですか?」
その中で、小柄な隊員が息を呑んだ。
「お前、隊に派遣されるのは初めてか?」
「あ、はい・・・。」
「じゃあ、知らなくて当然か。彼女はフルソラ教授といって、
「
「さぁな。今回の任務は自ら志願したという話だ。急を要する事態だということで、彼女の志願に首を横に振る者はいなかったそうだ。それぐらい、学園からも信頼を得ている実力者ということだな。
フルソラは元の大きさに戻ったメスに付着した土をハンカチで拭いさると隊員たちの方に振り返る。
「ケガをしている人はいないか?」
「・・・あ、はい!ありがとうございます!」
他の隊員も次々とお礼を言っている。
「引き続き周囲を警戒。異常があったらすぐに知らせてくれ。」
「はいっ!」
バタバタと隊員が散ると、フルソラは震える子どもたちに足を向ける。魔障痕は消せなくても、せめて子どもたちの傷を癒して涙を拭うことはできるだろうと思いながら。
鎖により貫かれた脇腹から、深緋色をした血がダラダラと伝い流れていく。浅く呼吸をするだけで疼く傷口に、セリカは眉をひそめた。
「く・・・っ・・・」
鎖を引き抜こうとしたがビクともしない。すでに体力も限界を超え、鎖を握る力さえ残っていないのだ。
「大した魔法です。」
首を傾け、どうにかイカゲの姿を確認する。
「な・・・ぜ・・・」
「私、これでも
「
「フフフ・・・あなたには関係ないことです。」
イカゲは、服の表面に付着した氷の残骸を叩き払い落とした。
「確かにあなたの魔法は強力です。しかしどうも・・・薄っぺらい。」
「なっ・・・」
「精霊を使役する力にしては、どうも濃度が薄いように感じます。上っ面だけ、とでもいいましょうか。」
「そ、それは・・・」
セリカは言い淀んだ。
(私の魔法は、おっしょうの
「まぁ、そんなことはどーでもいいですけどね。」
イカゲはセリカの様子を気にすることなく続けた。
「それより、わざと急所を避けてあげたのです。」
「なぶり殺す、つもり・・・か。」
「いいえ。あなただったんですね、セリカ・アーツベルク。」
「なに、が・・・だ。」
セリカはイカゲの言っていることが理解できない。
「エレメントは
「っ・・・!?」
「私が欲しがっていたあなたの情報ですよ。まさか情報源がここにあるだなんてっ!!私は運がいい!!」
「私が、欲しがって、いた・・・情報・・・だと・・・?」
「えええ。エレメントと身体的特徴、それに戦闘スタイル・・・。あなたがいれば素材なんて必要ありません。」
「な、んで、私のことを知っている・・・?何が、目的だ・・・!」
イカゲはグイッとセリカに顔を寄せた。セリカは必死に体を反らすが、貫通している鎖が邪魔で思うように動けなかった。
「3つ目の情報ですよ。きっとシトリー様が1番気になっていることだ。」
「な、に・・・?」
「あなた、ゼロ様とどのような関係なのですか?」
「・・・ゼロ?」
「ええ。最近、学園内の森で会ったでしょう。その時が初対面ではないはず。いつからお知り合いなのですか?」
セリカは、Twilight forest(静かなる森)で出会ったフードの男を思い出した。
「・・・知らん」
「は?」
「奴のことなんて、知らん・・・。会ったのはあの時が、初めてだ・・・。」
イカゲは鼻で笑うと鎖に炎を纏わせた。それはセリカの傷口に容赦なく襲いかかった。
「あ゛あぁぁぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁぁぁぁっっつっっ!!!!!!!!」
「状況を理解されていますか?」
ギリギリ意識が保てる火力でイカゲは鎖を操る。猛烈な痛みに、脳が強制的に意識を手放そうとする瞬間を見極め力を緩めると、纏った火がストンと消えた。
「わざわざ生かしてあげているのです。隠すと苦しい思いをするだけですよ。」
「あ、ぁ・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・っっ・・・」
突っ伏したセリカは、首を持ち上げることすらできなかった。
「もう1度聞きます。ゼロ様とはどのような関係ですか?」
「ぐっ・・・。だから、知らないと、言って、るだろ・・・。奴が、私と何の・・・関係があると・・・いう、んだ・・・。」
「それを知りたいのはこちらです。ゼロ様は随分とあなたにご執心とのことではありませんか。」
セリカには、頭を思いきり足で抑えつけられた記憶が蘇ってくる。
(人はあれをご執心と言うのか・・・?)
セリカの煮え切らない態度は、イカゲを苛立たせるのに十分だった。
「いい加減に言いなさいっ!!」
イカゲは再び鎖に炎を纏わせる。
「うぁあ゛ぁぁぁあ゛ぁ゛あああぁぁっぅっっ!!!!!!!!」
バチバチと炎が爆ぜる中、セリカの悶絶した叫びが響き渡った。
(あのフードを被った男との関係・・・?私は以前に会ったことがあるのか・・・?)
セリカは森で出会ったゼロを思い出す。しかし、その時に大怪我をしていたセリカは、ゼロとの記憶が曖昧だ。
朧げな意識の中、残像のように思い出すのは悲し気な目をした銀髪の男。どうしても、それ以前の接点が見つからない。
「し、しらな、い・・・ぁうぅっ・・・」
これ以上の答えを持っていないセリカは、ただただ耐えることしかできない。
その様子にイカゲは舌打ちをうった。
(このままだと殺すか?いや、勝手なことをすればシトリー様の責任が問われる。では、
「早く・・・早く、言いなさいっ!!!!」
「う゛あ゛ぁぁぁぁあ゛ぁぁ゛ああぁぁぁっ!!!」
あまりの痛みに思考が放棄される。しかし、もうダメだとセリカが気を失いかけた時、致命傷に注がれる炎がフッと消えた。
「なっ・・・!なんだ、このガキはっ!!」
聞こえたのはイカゲの声。かろうじて顔を上げたセリカの目に映ったのは、熱風になびく長い布だった。見覚えるのあるそれに、セリカはハッとする。
「クーランッッ!!!」
イカゲの動きを阻むように、クーランが飛び出してきたのだ。
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