第79話 怒りの冷気

 パチパチと炎がはじける音がする。今は小さな炎でも、なにかきっかけがあればその姿は深刻な被害をもたらす驚異になるかもしれない。使い方次第で、人を生かすことも殺すこともできるのだ。

 額から伝う汗を、セリカはゆっくりと拭った。


 「魔性痕とは・・・」


 セリカは怒りで震える声を、腹に力を入れて抑える。


 「魔性痕とは、与えられた痛みとは別に、霊魔に襲われた時の恐怖や悲しみがいつまでも癒えることなくその先の人生に関わってくる。それは、例え魔性痕が消えたとしても脳に刻まれた記憶は決して、消えない。」

 「まぁ、なかなか刺激的な体験でしょうね。」

 「そんな魔性痕に再び傷を与えるなんて・・・どれほどの恐怖か考えたことはあるか?」

 「さぁ。あいにく、私は魔性痕を受けたことがありませんので。」

 「きっと、想像を絶する痛みだ!」

 「そんな苦しみさえも超える素材でないと、咎人になんてなれない、ということなのでしょうね。」

 「ふざけるなっっ!!!!!」


 イカゲはため息をつく。


 「だから、負の意識を注入する霊魔にも繊細なコントロールが必要なのです。せっかくの素材を壊さぬように操作するのも難しいんですよ。」

 「子どもたちをどうする気だ?」

 「集められた素材たちは咎人になる可能性がある者と、そうでない者に選別されます。」

 「選別?」

 「はい。時間はかかりますが、魔法力の器の伸びしろが大きい者や、エレメントの使い方がうまい者は優秀な咎人になるよう育て上げます。「意識」と「記憶」を操作された子どもは負の感情を抵抗なく受け入れ、それなりに従順に動いてくれますからね。」

 「それなり・・・?」

 「最後まで抵抗し、手間をかける者も一定数居るということです。しかしこちらも慈善事業ではないのでね。そのような者や、元々能力が低く咎人になる可能性が低い者は、霊魔と融合する素材として使うのです。」

 「使う、だと・・・!」

 「ええ。使えない素材は生かしておいても邪魔なだけです。今後役に立つか立たないかを篩にかけるのは当然でしょう。それに、融合霊魔ヒュシュオにしておけば、捨て駒としていつかは役に立つ時が来るでしょう。」


 イカゲはフッと息を吐きだした。


 「例え実験に耐えられず壊れたとしても、子どもの柔らかい肉と皮、潤った目玉や穢れない臓器はそれだけで価値があります。捨てるところがないというのは、こういうことですね。」


 ゾクリと感じたのは冷気だった。視覚よりも先に空気が凍る。

 氷の剣を受け止めたイカゲは、真正面からセリカを見据えた。フーッフーッと鼻息を荒く迫るセリカの目は怒りに満ちている。


 「殺気で動きが単調になっていますよ。」


 あざ笑うイカゲを前に、セリカは更に怒りを増長させる。


 「ふっ!!」


 素早く剣を引き勢いのまま胸を突く、が、響いたのは金属が弾ける音だった。

 突いた胸には、イカゲの身体を守るように鎖が固く結ばれている。


 「そうピリピリしないでください。確かに素材は集めてはいますが、全員を無理やり連れてきている訳ではありません。」

 「何・・・?」

 「自ら差し出すんですよ、自分の子どもを。」

 「・・・!?」

 「経済的困窮を理由に、子どもを売るんですよ。貧困にあえぐ地域に行けば、明日の食事欲しさに自らの子を簡単に手放す。」

 「な――!」

 「人に必ず発現するエレメントを軸とした魔術師ウィザードという存在が英雄気取りする世界の影には、どうしても格差が生まれます。

 目指す先に届かなかった者、地位から蹴落とされた者、その場所に選ばれなかった者・・・そこには必ず魔術師ウィザードが絡み、光と闇を創り出す・・・。 

 闇を消す光が、実はすべての元凶の始まりだと気付く者が少なすぎる。」

 「屁理屈だ・・・!」

 「そうでしょうか。親に売られた子どもたちが、この格差の犠牲者だと本当に否定できますか?」

 「・・・!」


 セリカの脳裏に、ガロの姿が思い浮かんだ。口をつぐむセリカを前に、イカゲは満足げだ。


 「こちらは代わりに育ててやるのです。その素材をどう扱おうが勝手でしょう。

 それに、そういう理由で来た素材ほど、咎人になる素質を持っているものなんですよ。」

 「まさか・・・」

 「ええ。咎人になる条件を意図的に吹き込み育てるのです。自分を売った親、愛してくれなかった親に対して憎しみを芽生えさせるのです。そして・・・」


 イカゲは自分の首を切る真似をした。


 「フフ・・・これが1番スタンダートな咎人の誕生方法ですかね。」


 セリカは氷の剣を素早く弓へ変化させると、イカゲから距離を取り力強く矢を射った。

 しかし、イカゲは炎の弾を発現し、向かってくる氷の矢に的確にぶつけた。互いの魔法がぶつかる瞬間、薄い蒸気が発生し水となって地面を濡らしていく。


 「なぜお前は魔法が使える?咎人になった時点で精霊との使役関係は切れ、魔法は使えないはずだ!」


 ずっと気になっていたのだ。イカゲの鎖に這う炎は火精霊サラマンダーの気配を纏っている。今は霊魔だとしても、元は咎人ならばソフィアから聞いた話とは異なるのだ。


 「確かに私は咎人になった時点で魔法は使用できませんでした。しかし、人間だった時の私のエレメントは火精霊サラマンダー。そして混ぜられた霊魔も火精霊サラマンダーでした。

 重複効果かは分かりませんが、エレメントを発現することができるのですよ、このようにね!」


 イカゲは胸から炎を纏った鎖を発現させ、大きく撓らせた。それは周辺にある木々たちを次々と薙ぎ払っていく。

 乾いた木々たちについた火が、勢いよく燃え広がっていく。


 「くっ・・・・!!」


 巻き起こる熱風にセリカは思わず目を瞑った。しかし、再び目を開けた時にはイカゲの姿は無い。


 「なっ!!どこにっ――」


 気配に気付いた時には、背中に熱い棒を差し込まれたような痛みがセリカを襲った。


 「あ゛ぁっ!!!」


 必死に受け身を取り反撃に転じるため身構える。しかし、イカゲを目視することができない。


 「くそ、どこにいった――」


 そこに、セリカの足元がゆらりと騒ぐ。


 「!!」


 セリカは地面に魔法をぶつけようとしたが間に合わない。

 地面から伸びた鎖は、セリカを上空へと勢いよく弾き飛ばした。


 「ぐぅ゛っ・・・・!」


 身動きの取れないセリカに容赦なく炎の鎖が襲う。幾つもの鎖は、立て続けにセリカを激しく打ち付けた。


 「あ゛あ゛ぁぁ゛ぁぁっっ!!」


 熱く重い痛みに声を抑えずにいられない。受け身を取れぬまま落下した先に、イカゲはゆっくりと姿を現した。


 「そろそろいいですか?私も暇ではないのです。」

 「ぅ、っ・・・」

 「・・・ほぅ、咄嗟に自分の身体を冷気で包み、ダメージを軽減しましたか。

 あなたの戦闘技術は大したものです。スピードも水精霊ウンディーネの扱い方もその辺の魔術師ウィザードに引けを取らないでしょう。」


 セリカは痛みに疼く身体を必死に起こそうとする。しかし、腕に力が入らず起き上がることすらできなかった。


 「無駄ですよ。この場所で水精霊ウンディーネ火精霊サラマンダーに勝てない。」

 「・・・っ、どうい・・・ぅこと、だ・・・」


 イカゲは煙が立ち込める空を仰いだ。


「ここは劫火峡谷デフェールキャニオン火精霊サラマンダー霊域サクラです。火精霊サラマンダーの加護に満ちたこの場所では、火精霊サラマンダーの力が十二分に発揮される。」

 「・・・っ!」


 その時、狼の霊魔が鼻を持ち上げて空気中の匂いを嗅ぐ仕草を見せた。そして突然走り駆け出していく。それは絹江さんが跳び消えていった方向と一緒だった。


 「もう救援が到着したかっ・・・!」


 思ったより早い救援にイカゲは舌打ちをうった。


 「あぁ、せっかくの素材たちが・・・!これで終わりだと、思っていたのに・・・!」


 仮面の目の奥が鈍く光る。それは倒れたシリアたちに向けられた。


 「そもそもコイツらが邪魔をするから・・・!せっかく捕まえた素材が・・・これが終われば、私はシトリー様の元に・・・!!」


 そう言うと、イカゲは鎖を自分の周りに集めはじめた。


 「全員殺さないと、気が済まないっ!!死ねぇぇっっ!!!!」

 「やめろぉぉっ!!!」

 

 燃え盛る鎖を無防備なシリアたちに放った時、セリカは前に立ちはだかり光速の剣を振るう。その斬撃はイカゲの腹を抉り、血が勢いよく噴き出した。


 「グゥゥッッ!!!」

 (速いっ・・・!この女、まだこんなにも動けるのかっ!!)


 イカゲは腹を押さえ後退する。そして再び姿を眩ませると、揺れる木々に呼吸を合わせた。


 (ハァ、ハァ、ハァ・・・・いくらスピードが速くても、私の居場所が分からなければ攻撃できないでしょう?どこから攻撃されたかも分からぬまま、殺して差し上げますっ!!)


 鎖が伸びる。それはセリカの首を確実に狙った攻撃だ。


 「そこか。」


 その時、大量の水が燃え盛る木々に容赦なく浴びせられた。あっという間に木々から火が消えると、イカゲが姿を現した。


 「な、なっっ!!?」


 現れたイカゲに手を向けたセリカは、地面から円柱の水柱を発現させ、容赦なく噴き上げた。その水圧はイカゲの身体の自由を奪うに十分な水量だ。


 「ガ、ガポ・・・ッ・・・!!」

  (この女、まさかっ・・・!!!)


 「お前が消える時、必ず周辺に火を点けていた。それは火から生まれる影に身を潜めるための準備だったんだな。」

 「!!」

 「影の中を自由に移動できるなんて思いもしなかった。そこらじゅうに潜むことができる影を薄めるために、まずは火を消させてもらったぞ。」


 (あいつらには気付かれなかったのに、こんな短時間で見破ったというのか?!)


 セリカは飛沫しぶきを上げる水柱に手を向ける。すると、下からゆっくりと水柱が氷柱に姿を変えていく。


 「グプッッ!!何、をっ・・・・!!」


 身体が冷気に支配されていく。イカゲは急いで大量の鎖を発現させ、形成を続ける氷を砕こうとした。


 (このままやられてたまるかっ!!私は、私は情報を持ってシトリー様の元へ戻るのだっっ!!私に期待して命令をくださった愛しい方の元に・・・!!)


 セリカは一層強く力をいれ、水を氷に変えることに集中する。


 (くっっ!!こんな小娘にっ!!せめて、情報をシトリー様にっ!!)


 イカゲは胸に手を突っ込んだ。クシャリと小さな紙切れの音がする。それは、シトリーが欲しがっていた人物の情報。薄汚い笑みを浮かべる不快な教師から貰った大事な手土産だった。


 (これを渡せば・・・私は認められる・・・!私はシトリー様に必要とされる・・・!)


 冷気が少しずつ手足の感覚を奪っていく。手足は無いはずなのに、人間の時の記憶がそこに四肢があると錯覚させているのだ。


 (1枚目は身体的特徴・・・2枚目はエレメントと戦闘スタイル・・・)


 イカゲは必死に記憶の断片をかき集め、内容を思い出そうとする。

 元々記憶は混濁しやすい。混ぜられる際、何かしらの副作用が発生すると説明は受けていた。それでも即座に霊魔へ変わることを承諾したのは、使役された霊魔という特別な居場所が欲しかったからだ。

 その場所を与えるのが、例えシトリーの想い人でも、そこに縋るしかなかったのだ。


 (これが無事終われば、3枚目の情報が・・・。きっと、シトリー様が気にする2人の関係性について書かれているに違いない・・・身体的特徴、エレメント、戦闘スタイル・・・――!?)


 一瞬抵抗を止めたイカゲにセリカは畳み掛ける。

 イカゲの懐に飛び込んだセリカは、イカゲの胸に両手を重ねた。

 咄嗟に、髪を掴み離そうとするイカゲに抗いながらも、両手に集中する。


 「これ以上、みんなを傷つけさせないっっ!!潰させてもらうぞっ!!!!」

 「グッ!!!!」


 両手から発生した氷がイカゲの胸から体全体へ凍結させていく。それは、そこから繋がる鎖に伝動してゆき、パキパキと音をたてて凍っていった。


 「な、に・・・っ!!!」


 イカゲは必死に体を揺らし逃れようとした。しかし、氷柱に足が捕まり動くことができなかった。

 持てる力を振り絞り、セリカは更に魔法を強めていく。


 「うぉぉぉぉっっっっ!!!!」


 イカゲの身体がゆっくり、確実に凍ってゆく。


 「や、やめなさいっっ!!!!」

 「お前は危険だっ!ここで死ねっ!」


 全身の力を振り絞り、セリカは魔法を発現し続ける。


 「や、やめぇ・・・・!!」

 「あ゛ぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 「やぁめっっ――!!!」



 パキンと氷が弾ける音がする。周囲の火は消え、波状したセリカの魔法の影響により、そこはシンとした音の無い世界へと変わっていた。その中で、唯一セリカの呼吸音だけが頼りなく響いている。


 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」


 セリカはその場に座り込み、呼吸を整えながら上を見上げる。

 そこには、悶絶の表情をしたイカゲが氷柱に閉じ込められていた。


 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、みんなを・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・手当、しないと・・・」


 セリカは重い身体を引きずるように持ち上げる。しかし、足に力が入らず地に膝をついた。

 呼吸がしづらい。いくら空気を吸っても身体に供給されていないように感じる。

 自分に魔法力の器があったら、これを『魔法力が枯渇した』と言うのだろう、と心の中で自嘲気味に笑った。


 (救援はすぐそこまで来ているはずだ。子どもたちは無事保護されただろうか・・・。)


 ズルズルと身体を引きずりながら、シリアたちの方へゆっくりと進んでいく。


 「シリア・・・ジェシド・・・テオ、オルジ・・・みんな、もう少し・・・頑張ってくれ・・・。」


 しかし、這うように進むセリカは思わず動きを止めた。背後で氷が大きく砕ける音がしたからだ。


 「ま、まさ――がぁっぁ゛っっ!!」


 振り向こうとしたセリカは思わず悲鳴をあげた。ゴポリと血と唾液が混ざったものが口から飛び出す。

 生への本能か、口から溢れる血を拭うよりも、手が自然と危険信号を発する箇所へ伸びていった。

 ぬるりと温かい感触と熱く疼く脇腹には、イカゲの鎖が貫通し、地面へと突き刺さっていた。

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