第6話 忍び寄る影
乾いた風に冷たい空気が混じる。空気にはどこか甘い匂いがかすかに混じり、どうしてもくんくんと鼻をひくつかせてしまう。
甘い匂いの正体は住居に並ぶガーデニングの花たちだろう。趣向を凝らしたデザインで彩られる庭園は、造る人の個性がそのまま反映されたように様々な装飾で施されている。
空は高く、薄く広がった鰯雲は風に流されることを忘れたかのようにそこにとどまっている。
そんな空に1つの影。膝まである長いローブのポケットに両手を突っ込み、ただポカンと宙に浮いて眼下を見下ろしている。
爽やかな秋風に吹かれて被っているフードがバサバサっと揺れると、そこには学園を見据え、不敵な笑みを浮かべる少年の顔がうつしだされた――。
自分の目の前に広がる机の上にはこれ以上の物は何も置けない、もしくは置けたとしてもそこに置いてあるファイルや資料などが崩れ落ち、それらを拾う手間が増えるだろうと誰もが予想できる状態であったため、マグカップに淹れたコーヒーは自分で持っておくことにした。
コーヒーは淹れたてで白い湯気が心細く立ち昇っている。
深みのある香ばしい匂いを嗅ぎ、フゥーっと細い息を作って表面のコーヒーを冷まそうとしたが、熱さは大して変わらないということを知っているので、ズズゥーッと一口啜り飲んだ。
コクやキレのある豊かな苦みと味わいなんて微塵も感じない薄っぽいコーヒーは、ただ豆とお湯を入れただけのインスタントだからなのだろうか。
学園の教務室にはエスプレッソマシーンと呼ばれる物があるのだが使ったことは1度もない。ただ自分にはインスタントが似合っているし、インスタントでも十分嗜好品として間に合っているのだからそれでいいだろうと思い窓の外に目をやった――。
窓の向こうに見えるはTwilight forest(静かなる森)。自分の教え子になるであろう生徒たちが課題をこなしている場所だ。
ジンは近くにあるパソコンの画面を覗き込んだ。キーボードをタンッと押すと4分割された映像が映し出された。
映っている映像はそれぞれ違う。どの画像も画質が悪く、よく見ないと生徒の顔すら判別できない。それでもTwilight forest(静かなる森)という場所でここまで映れば十分だろう。
人間が作った機械を悉く拒否するあの森の不可解な環境は完璧には解明されないだろうし、それこそ無駄な手間だ。
ジンは持っていたコーヒーを再び口に運ぶ。少し冷めたのを確認してゴブッと勢いよく飲んだ。
「さってと。どうしたもんかなー。ったくめんどくせぇ・・・」
首を左右に動かすとゴキゴキッと鈍い音を立てた。背後に気配を感じる。
「傍観してらっしゃいますがいいんですかー。厄介な事になりますよー。」
振り返らなくてもその腹の立つ口調で誰が居るかはすぐに分かった。
「だったらテメーが行って何とかしてこい、ライオス。」
「イヤですよ。厄介事はキライなんで。」
「一応教師だろ、お前。」
「一応じゃなくてれっきとした教師ですよ。知ってるでしょ、かわいい教え子だったんだから。」
「全然かわいくねーよ、ったく!」
残っていたコーヒーを飲み干すと、マグカップをライオスの方に押し付けた。
パリっとした薄い青色のストライプワイシャツと、黒のスリムスラックスをラフに着こなした姿がまるでモデルのようにキマっているこの教師はこの学園の卒業生でもあり、ジンの元生徒だった過去をもつ。
教師という道を選ばなくても十分食っていけるだろう、と思う甘いマスクと丁寧な口調から多くの生徒から支持を得ているようだ。
だがジンはライオスが生徒だった時から、自分を揶揄ったり翻弄するような言動に幾度となく声を張り上げてきた。
マグカップを押し付けた拍子に視線を合わせれば、ニンマリと口だけ笑い本心を窺い知ることはできない。
「頭を使うのと体を使うのとどっちがいい?選ばしてやるよ。」
「どちらもご遠慮願いたいですね。」
「殴るぞ。」
「じゃあ頭で。あちらさんには知り合いも居ますし。」
「情報が分かり次第伝えろ。なるべく早めにな。」
「早くかどうかは状況によりますが努力はしてみますー。」
「語尾を伸ばすなっ!腹が立つっ!」
今の状況といいライオスの態度といい、腹の立つことばかりだと言わんばかりにドアを乱暴に閉め、ジンは教務室を出ていく。
それを見送りながらライオスもTwilight forest(静かなる森)を見た。
(面倒なことにならなきゃいいけど・・・。)
ジンの怒り顔を思い出しその矛先が自分に向けられることを危惧したライオスは、押し付けられたマグカップを給湯室のシンクへ置き、目的の場所へ足を向けた。
Twilight forest(静かなる森)の入り口ではテントを設営し、複数の教師が生徒のバックアップとして様子を見守っていた。
その1人の教師はダルそうにこちらに歩いてくる今回の指揮監督であるジンを見つけ声を張り上げる。
「ジン先生っ!よかった、今呼びに行こうと思っていたんですっ!!先ほどからマップに見慣れない反応がっ、その消えたり現れたりで、その様子がおかしくて――!」
慌てた様子の教師が要領を得ない説明でジンに状況を伝える。
しかし、よほど混乱しているのか教師の説明では全く中の様子が分からなかった。
「落ち着け。とりあえず生徒全員のエレメント反応は確認できてるか?」
この広い森に入ると生徒の位置情報を把握するのが困難な為、それぞれのエレメント反応をあらかじめマーキングしておいた特殊なマップを用意しておき、設営テントに広げていた。
そこには生徒が持っているエレメントの色が小さな丸のマークで分布されている。その数と生徒の数が一致していれば、無事とはいかなくても生死と場所を把握できるというわけだ。
「あ、はい、それは大丈夫です。全生徒分のエレメント反応は確認できています。」
マップの管理を担当していた教師がジンの質問に答えた。しかし直訳すれば生徒は死んでいないか?とも取れる台詞に緊張が走る。
心地よく吹く風と柔らかな日差しがテントに降り注ぐ今日の天候はまさに「行楽日和」と思わせるほど気持ちの良い空気だったが、テントの中は緊迫した空気が張りつめていた。
そんな中、藁にも縋る思いで複数の教師たちはジンの様子を窺い見る。ジンは無精ヒゲを擦りながら何か思索するようにマップを見つめた。
マップにはその場から全く動かなかったり、忙しなく動いたりとさまざまな動きを見せているエレメントのマークがある。これが今の生徒の状況を表しているのだ。
見たところ見慣れない反応は確認できない。
「最後に変な反応があったのはどの辺かエレメントロガーを見せてくれ。」
今度はログの管理をしていた教師が慌ててパソコンの画面をジンに向け場所を指で指した。
「あ、はい、ここです!この辺りです。数分前に不規則な波を描く反応が現れました。でも急に消えて今は確認できません。」
エレメントロガーとは先ほどジンが教務室で見ていた4分割の画像を映し出していた端末だ。
この学園の情報システムを管理している部門が作った特殊アイテムであり、あのTwilight forest(静かなる森)でも使えると発明された小型カメラを搭載している機械である。
機械はその存在を気付かれないよう鳥や昆虫や魚などに擬態して生徒の様子を記録している。と同時にエレメントの規模や種類を波状で示し、ログを残していく道具なのである。
ジンは教師が言う時刻のログを確認していった。
たしかに幾つかのエレメント反応が示された後、今までとは明らかに違う波状を確認した。
そして教師が指した位置と生徒の居場所を示すマップの位置を頭の中で照合する。そこには3つのエレメントのマークが少しずつだが動いていた。
(こいつらと鉢合わせしたのか――。)
重々しい空気の中、さらに思案に耽るジンの様子を見て1人の教師がおそるおそる口を開いた。
「ジン先生、これはやっぱり霊魔なのでしょうか・・・?」
ジンはマップから目を離さない。口髭を触っているので細かな表情を読み取ることはできないが取り乱した様子はない。
「あぁ、間違いねーな。霊魔だ。しかも上級クラスのな。」
テントの中の空気はさらに重くなった。誰もがさまざまな推測をしているに違いない。
「どうして学園の中に?!しかも上級霊魔って一体誰が使役しているんですかっ!?」
1人の教師が悲痛な叫びにも聞こえる質問をジンに投げかけた。
「まだ情報が少なすぎてどうとも言えねーな。とりあえずどうして学園の中に霊魔が入ってこれたか・・・。それは調べさせている。まだ時間はかがるだろうがな。」
語尾を伸ばす生意気な教師の顔がよみがえり眉間に皺がよる。
そしてジンは頭の中にある遂行事項を素早く並べ優先順位をつけると、固唾を呑んで見守る教師たちに指示をする。
「まずは全生徒の居場所の把握。そしてエレメントで伝達をしろ。今回の課題は中止。速やかに森から脱出しろ、とな。
エレメントロガーとマップは常に監視して、おかしな動きがあったら教えてくれ。あとケガしている生徒もいるかもしれないからすぐに救護できるよう準備しておいてくれ。森から出てきた生徒の点呼も忘れないように。」
「は、はいっ!!」
的確な指示に教師たちは一斉に動きはじめた。
バタバタと慌ただしくなったテントの中は先ほどの重苦しさはない。しかしジンの眉間のシワは深く刻まれたままだ。
(誰が、何のために・・・か。)
様々な可能性とシナリオを頭の中で組み立てていく。しかしどの結末もあまりよい結果になりそうもなかった。ジンは頭をガシガシッと掻いてため息をつく。
さっきまで暖かい日差しが降り注いでいたのに、陽は雲に隠れてしまったようだ。日陰になった途端にうすら寒く感じる。
手が無意識に胸ポケットを探っていたようだが目的の物は見当たらない。「チッ!!」と舌打ちをし、エレメントロガーの解析をするため再びテントの中へ戻っていった。
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