第4話 Twilight forest

 昼時にはまだ余裕のある時間だろう。服から伝わる肌寒さから冬がもうそこまで近づいているような気がする。

 陽の光さえ届かない深いこの森は、学園と同じ敷地内にある。

 植物は朝露を含み、匂いにさえその瑞々しさが伝わってくるようだ。

 ピンと張りつめた空気はむしろ気持ちがよく神聖な気持ちにさえしてくれる。

 森の中は自然がそのままの形で残っており人の手はほとんど入っていない。道は整備されておらず、自生している植物は何にも制限されず生き生きと誇らしく生命を営んでいた。


 「はぁ~。腹減った。朝ごはんもう少し食ってくればよかったなぁ~」


 巨木の根元に腰掛け、自分の足元にある枯れ葉や枝を意味もなく持ったり眺めたりしながらロイは言った。

 黄土色の髪を毛先でハネさせ前髪にはヘアクリップを付けている。明らかに女性用と分かるアイテムだが自身の童顔が手伝ってか違和感はおぼえない。さらに制服の中に着こんでいるパーカーと膝下まで短くしているハーフパンツのおかげで幼さが強調されている。見る人のほとんどが「かわいい男の子」という印象を覚えるだろう。


 「なぁ、菲耶フェイ。何かお菓子とか持ってない~?俺、腹減って動けないよぉ~」

 「否。」


 「否定一言だけかよ。エリスちゃんは~?なんか食う物もってない~?」


 手を頭の後ろで組み、右方向へ頭を動かせば、エリスが警戒するかのようにキョロキョロと辺りを探る様子を見せていた。

 長いストレートの髪は一切の綻びすら無い絹のようだ。髪と同じ色の淵があるメガネが勝ち気な印象を残すが、そのクールな顔立ちは誰が見ても美人と言うだろう。

 制服のスカートから伸びる素足は細くきれいで、目線の位置的に目の前にあるその足を触らずにいられないと手が伸びてしまう。

 ペシンと音を立てたのは菲耶フェイの手と自分の手だった。


「エリスに触ルナ。このふとももメ。」


 ロイの左方向には、虫けらを見るような眼で見降ろす黒髪を顎の位置で切り揃えたショートボブの少女がいた。

 こちらもアジアンビューティーというワードがぴったりな切れ長の目をした妖艶な雰囲気をもつ美少女だ。

 下から見上げると、スカートの中が見えそうな際どい位置だが、彼女の黒いタイツはその視線さえも拒絶するかのようだった。


 「それを言うなら不届きものね。はいはい、菲耶フェイはエリスが大好きだもんね~。邪魔はしませんよ~。」


 美女2人に囲まれながら自分は彼女らの関心対象ではないことに理不尽さを感じ、振り払われた手を擦りながらため息をつく。


 この場に居る3人は今〈Twilight forest(静かなる森)〉の入り口から約2キロ離れた場所で休憩をしていた。

 2キロといっても感覚でしかない。

 周りを見回せば同じような景色が広がり方向感覚すらも失う。

 勿論、方向を指し示す道具は所持していない。外部と連絡が取れる手段である端末は、全員課題が始まる前に教師に預けていたからだ。

 そもそもこの〈Twilight forest(静かなる森)〉では端末の電源は入らない。詳細な理由は分からないが、地形はもちろん、通信環境の未開発も手伝ってか電子機器を持ち込んでも正常に機能しないのだ。

 まず、この森に入って感じる異質な雰囲気を誰もが認識していた。人間が作り出した道具を一切受け付けない、それがこの〈Twilight forest(静かなる森)〉と呼ばれる所以なのだろう。


 「とりあえず、周囲に敵の気配はないわ。今のうちに体力を回復させておきましょう。」


 エリスは回復薬ポーションを取り出す。小さな小瓶の中には、淡い緑色の液体が入っている。

 トロリとしたその液体をコポッと音を立てて一気に飲み干した。


 「1つ1つの個体は弱いくせに数だけは多く用意してるよなー。さすが複製コピーエレメントだね。こっちの体力もどんどん削りにきてやがる。しかも、今回も外れだったし~」


 ロイも回復薬ポーションを取り出して一気に飲み干す。薄い柑橘系の味がする。最近は色々なフレーバーを出している回復薬ポーションだが、ロイが持っているのは普通に市販されている回復薬ポーションだ。

 創造クリエイトクラスの奴が開発したという、眠気と疲れを同時に吹っ飛ばすというとうがらし味の試飲を渡されたが丁重にお断りした。

 そして回復薬ポーションの瓶をしまいながら、数日前に担任のジンが言った内容を思い出した。


 教壇に立ったジンはニヤっと笑いながら言った。


「模擬実戦の内容はこうだ。〈Twilight forest(静かなる森)〉にてラピス鉱石を持ってこい。制限時間は陽が落ちるまでだ。1度森から出たら再度入ることは禁止する。ソロでもいいし、パーティーを組んでもいい。模擬実戦の日は明日の9時開始。各々準備をしておくように。」


 教室のザワつきが大きくなる。

 無理もない。ラピス鉱石というのは特殊な自然環境で作り出されるとても珍しいアイテムだからだ。教本には載っているが実物を見たことがあるという方が少数派だろう。

 その鉱石を何もヒントもない状態で、あの深い森から探し出せというのだ。


 (そんな難易度の高い課題を?!)

 (クリアできなかったら転科だって――?)


 絶望に近い空気が教室の中に漂う。そんな空気は承知済みと言わんばかりにジンは続けた。


 「といってもだ。お前らが知ってのとおり、ラピス鉱石は非常にレアなアイテムだ。しらみつぶしに探したとしても見つかる確率は低いだろう。

 だから救済措置として複製コピーエレメントを固着させた傀儡かいらいを森に放つ。傀儡にはラピス鉱石の結晶を付着させておくので、そいつらを倒して結晶を手に入れてもクリアとしよう。」


 わずかだがクラスに安堵の空気が流れた。だが数秒後、クラスの空気は再び変わることになる――。



 ピーヒョロヒョロヒョロヒョロー。

 頭上を飛ぶ鳥の鳴き声が反響する。無意識に上を向くも鳥の姿はどこにも見当たらない。

 ロイは再び空気を変えた教師の言葉を口に出して復唱した。


「だが、傀儡全部がラピス結晶を持っているわけではない。ダミーを用意するのでその中からラピス結晶を見つけて持ってこい、か・・・。本当意地悪な課題だよね~」

 「肯定。」


 菲耶も同意した。


複製コピーエレメントって今までの生徒――卒業生が持っていたエレメントを学園がデジタルコピーしたものでしょ~?」

「えぇ。今回の相手はデジタルコピーを傀儡に憑依・吸着させて具現化したものよ。攻撃力は課題用に抑えられているみたいだけど。

 それでもこう数が多かったらキツイわね。」


 この数刻で見つけた傀儡は全部で40体ぐらいだろう。

 傀儡は様々な形をしていて人型や動物型、影のような薄い傀儡も見た。今までみた傀儡は総じて全身黒色だったので見分けがつけやすい。

 指示プログラムが植え付けられているのか、クラスの生徒を見つけると一様に襲ってくるようだ。

 傀儡の中にラピス結晶があるというのならしらみつぶしに倒していくしかない。そうして戦って手に入れたラピス結晶はようやく1つだ。


 「はぁー。なかなかラピス結晶を持っている奴らに当たらないねー。先がながいよ~。」

 「ラピス結晶を1つ手に入れたんだから、ロイはそのラピス結晶を持って森を脱出していいのよ。」

 「そうダ。ワタシはエリスと2人がいい。」

 「え~。そんなこと言うなよ~。」


 ロイは口をへの字にして不満を訴えた。課題のクリア条件を譲ってもらっているのだろうが、のけ物扱いをされているようで面白くない。


 今回の課題を考えてみれば1人でラピス結晶を探すより複数でクリアを目指した方が効率がいい、と誰もが思ったはずだ。

 それを証拠にHRが終わった後、すぐに幾つかのパーティーが出来上がっていた。ロイもどこかのパーティーに入ろうと声をかけたのが、すでに2人でパーティーを組んでいた中等部からの顔なじみであるエリスと菲耶だったのだ。

 エリスは快諾してくれたが、菲耶の邪魔をするな、の表情は見ないフリをした。


 「傀儡を多く倒せば倒すほどラピス結晶が手に入りやすいのなら、人数も多く居た方がいいでしょ。美女2人を置いて俺だけクリア!なんて俺の道義に反するね。」


 一瞬体をピクっと動かしたロイは左右に居る2人に向かって仁王立ちをし、右手を出して指を2本立てる。そして左手で拳を作り、腰の辺りで強くその手を引いた。

 クスクスっと笑いながらエリスも


「そうね、頼りにしているわ。」


 と頷く。

 菲耶フェイもチッと舌打ちしながらも頷く。


「じゃあ、サクサクっとラピス結晶を手に入れますかぁ~。」


 よっこらしょ、と呟きながらロイは立ち上がる。

 そして両方の手のひらを地面に向けた。

 そして声高らかに詠唱を唱える。


「All Element!!土精霊ノーム!!!」


 地面には真円の中に土精霊ノームを呼ぶ紋様が書かれた紋章が浮かび上がる。

 オレンジ色の光を放つその紋章は辺り一面を眩しく照らした。


 「土壌のアースシールドッ!!!」


 ロイの魔法により、目の前の地面が地響きを鳴らし隆起した。

 辺りにあった樹木や石なども巻き込まれ、それは5メートルほどの障害物として空に聳え立つ。


 ロイの数メートル前方には全身黒色の西洋甲冑を装備した騎士のような傀儡がロイに向かって炎の矢を容赦なく浴びせようとしていた。

 しかし、隆起した土の壁に阻まれ炎の矢は突っ込んでは消えていく。

 先ほど目の前に居た2人の姿は土埃により視界が悪くなったため確認できない。

 しかしロイに焦りの表情は見られなかった。


「All Element!!風精霊シルフ!!」


 菲耶フェイの詠唱を唱える声が聞こえた。

 辺りは土埃で霞んで見えないが、ロイの左上空に風精霊シルフを呼ぶ紋様が描かれた紋章が浮かび上がる。

 浅葱色の光を放つその紋章の位置でロイは菲耶の場所を確認した。

 咄嗟のジェスチャーだったが自身の意思が正確に伝わった事への満足感に思わず笑みがこぼれる。

 『2時の方向に敵あり。』それがエリスと菲耶に《フェイ》送ったロイのメッセージだ。

 2人の後方に敵の姿を確認したロイは瞬発的に体を使って伝えたのだ。

 エリスも菲耶フェイもすぐにロイのメッセージに気付いたのだろう。ロイの魔法発現に合わせて2人は上空へ大きく飛び上がり、攻撃を回避するとともに土埃による視界悪化を利用して傀儡への攻撃に転じる。


 「羽の旋風ウィングウィンドゥ


 薄い緑色の小さなつむじ風がいくつも現れ傀儡に向かって飛んで行く。つむじ風のおかげか霞んでいた視界が次第にクリアになっていった。

 菲耶フェイが放った魔法は複数の傀儡を切り刻んでいった。切り裂かれた断面からドロリとしたジェル状の物質がボタボタッと落ちその姿を変えていく。

 土壌のアースシールドにより攻撃が通らないと理解した傀儡たちは、飛び上がったまま魔法を発現している菲耶フェイを標的にしたようだ。

一斉に菲耶フェイを目掛けて炎の矢を引く。


 「菲耶ッ!!」


 ロイは咄嗟に叫んだ。


 「All Element!!水精霊ウンディーネ!!!」


 菲耶フェイに攻撃を向けている傀儡の後ろ方向から、今度はエリスの詠唱が響く。

 水精霊ウンディーネを呼ぶ紋様が描かれた紋章がスカイブルーの色で輝き、ロイからもエリスの位置を確認することができた。


 「水鞠みずまりっ!!」


 ボールのような水の塊が複数現れボトンボトンッと火の矢に落ちていく。放たれた火の矢は菲耶フェイに直撃する前に炭かかった棒きれとして落下していった。

 さらに火の矢を放とうとする傀儡の居る場所に水精霊ウンディーネの紋章が浮かぶ。


 「青壁のウォーターウォールッ!!」


 その紋章から垂直に水の柱が出現し飛沫を上げ4,5メートルの高さまで昇っていった。

 圧倒的な水量で衝撃を受けた傀儡たちの体は空中で粉々になり、エリスの広範囲攻撃により傀儡たちの気配は跡形もなく消滅した――。


 「ナーイッス、エリスちゃんっ!!」


 パチンと指を鳴らしエリスに駆け寄りハイタッチをしようとしたロイだが


 「エリスッ!!謝謝シェイシェイッ!!」


 とロイを押しのけ、エリスに抱きつく菲耶フェイに阻まれてしまった。

 行き場を失った手を下ろしながら


 「俺の機転の利いたメッセージを褒めてくれよ~。」


 と口を尖らせ抗議する。


 「無事でよかったわ、菲耶フェイ。ロイもナイス判断!助かったわ!ね、菲耶もそうでしょ?」


 エリスに甘えた仕草をしていた菲耶だったが、ロイの方向に向いた時には既にいつもの無表情の顔に戻っていた。


 「まぁまぁダナ」

 「ちぇっ~。ホント菲耶は男に厳しいよな~。――って。あれ!!?もしかしてっ――!!?!」


 先ほどの傀儡たちの残骸の中にキラリと光る物が見えたのだ。

 ロイは塵となりつつある傀儡に駆け寄り光る物の正体を探し出した。


 「あった!!ラピス結晶!!これで2つ目っと!!これなら俺たち余裕じゃない?クラスの誰よりも早くクリアしちゃうんじゃないっ!??」


 これで難易度が高いと思われていた課題に希望の光が見えてきた。

 ロイは思わずラピス結晶に見入ってしまう。


 その時だった。


「ロイッッ!!!!」


 エリスの悲痛な声が響く。

 体を飛ばされる衝撃と同時に腕に激痛が走った。受け身を取れず数メートル吹き飛ばされたロイだったがすぐに体勢を整える。

 痺れにも似た感覚と、ドクドクと心臓が脈打つ度に疼く痛みに苦痛の表情を浮かべた。 

 痛みを増す左腕を無意識に右手で押さえると、粘度を含んだ血がべったりと手に付いた。

 左腕は大きな爪に抉られたような傷になっていた。

 安堵感と高揚感で判断が一瞬遅れた。が、紙一重で躱したおかげか腕1本は犠牲にならなかったようだ。

 傷口から流れる血は腕を伝い、ポタポタと地に落ちて血だまりを作っている。

 咄嗟にエリスと菲耶フェイが無事な姿を確認した。

 どうやら2人は無事のようだ。心配と驚愕の入り混じった表情でこちらを見ている。

 ロイとエリス達の間にいる存在に3人は驚きを隠せないでいた。自分を傷つけたであろうその存在をきつく睨みながらロイは口だけ笑って言う。


「ここは学園の中だぞ・・・。何でこんなとこにいんだよ――霊魔っ!!」

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