エレメント ウィザード

あさぎ

第1章

第1話 はじまり

  視界は真っ赤だった


 腐臭が混じった鉄や錆のようなツンとした臭い

 身体にまとわりつく濡れた感覚

 口腔を圧迫されくうを切る叫び声


 とろりとした光沢のあるその赤はどんどん勢いを増し、膝や足に一度留まるとさらにそこから臀部に広がっていく


 目の前にいるのは男の子 

 うつぶせのまま首だけこちらを向けているが、目は恨めしそうに見開いている

 その男の子から流れ出す液体は赤色と濁った黄色 

 無数の泡をも含むその液体からは腐臭がする


 男の子の体から流れる真っ赤な液体はどの傷から噴き出しているのか想像もつかない

 直接頭に流れてくる映像は霞がかりそのまま消えていった


――――――――カタン。

 

 乾いた音が聞こえた。そして人の歩く音。その後からバイクの走るエンジン音が聞こえ、音は少しずつ小さくなり聞こえなくなった。

 隣接してある新聞受けに朝刊が届いた音だろう。朝だ、と思う前に聴いたことのある音を記憶で探し、さきほどの音の正体を確認した上で枕元にある端末を探した。

 画面に指を置く。数秒で端末の画面が点灯し、6時36分と大きく表示された。


 何度も見る不快な夢だ。小さな頃はその生々しい感触と目の前に広がる光景が怖くてよく泣いていた。

 今ではその夢を何回も見た映画のワンシーンのように達観して見ている自分がいる。

 自嘲気味に笑ってみせるがうまくいかず、脳裏に焼き付く「赤」を消したくて頭を2,3度振った。


 脳はすでに覚醒している。もう1度心地よい眠りに入るのは無理だろうと思い天井を見つめた。

 スッと目だけ横に動かすと、そこには数日前から掛けてある制服が見える。

 自分が用意したものではない。なので数日前に、サイズを確認するため姿鏡を正面に置き、初めて袖を通した。

 着てみると自分のためだけに誂えたようにピッタリだ。しかし、鏡の中の自分を見ると苦虫を噛みつぶしたように歪んでいた。


 「高等部へ通え。手続きはしてある。魔法力が優れていても、それを使う依り代がポンコツなら何の意味もない。」


 ヴァースキはタバコを口に咥えながらニヤっと笑いながら言った。その目元はどこかおもしろそうに、だがこちらの返答には有無を言わせない態度だった。


 「臭い。風上に立つな。」


 「高等部」という単語に驚きはしたが、彼に動揺を見せたくない。

 セリカは表情を変えぬままタバコの煙が届く範囲から離れながら言った。しかし鼻孔内に入った煙の匂いはなかなか消えてくれない。


 「はっ!相変わらず可愛げのないガキだ。まぁその可愛げのない顔もしばらく見納めだな。」


 彼は短くなったタバコを右手の人差し指と親指で持ち、ピンと指で弾いた。

 タバコは彼の目より少し上の位置から浮き、煙をたゆたいながら重力を失い落ちてゆく。


 セリカは一瞬タバコの先に意識を集中する。

 落ちたタバコにはすでに煙は残っていない。代わりに、今まで煙を発生させていた灰の先は黒く濡れていた。

 ヴァースキはそれを拾いながら、どこか飄々とした表情でセリカを覗き込んだ。


 「臭い。」

 「あぁ!?もうタバコは消しただろうがっ!何が臭いだとっ―!?」

 「おっしょうは全身がヤニ臭いんだ。近づくな。」

 「なんだと、コラ!鼻に水を入れてやろうかっ!」  

 「やれるもんならやってみろ、おっしょう。」

 「だからお師匠と呼べ、このクソガキッが―!!」


 

 そう昔でもない彼とのやりとりを思い出す。そう、いつものやりとりだ。

 ただ「見納め」という言葉に、日常の終止を感じたセリカは哀愁を気取らせたくなかった。

 その生意気な態度を彼は信じてくれただろうか。

 いや、彼のことだ。私のことなど全部きっと分かっている。


(だからといって・・・制服のサイズぴったりとか、本当に気持ち悪いな、おっしょう・・・)


 心の中で悪態をつきながらセリカは無意識に左耳を指でなぞる。そこにはヴァースキからもらった黒のイヤーカフスが嵌めてあり、カフスの無機質な感触が指に触れた。


 家から出ると乾燥した冷気が全身に纏うように感じた。

 空に雲はなく、向こうまで同じ色の蒼が続いている。

 かすかな甘い匂いが鼻をかすめ深呼吸をすると肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだようで気持ちがよかった。


 ダークブラウンの色をしたローファーは新しく購入したものだ。コツコツと足音を鳴らしながら最近覚えた通学路を進む。

 お店の準備を始める女性。犬の散歩をするおばあさん。ジョギングをしている男性。意識していないのに目に映る人々を興味深く見てしまう。

 セリカは歩測を早めた。数百メートル歩けば目的の学校が見えてくるだろう。


 長い上り坂の先に校舎が見える。その前には大きな校門らしき建造物があり、木々が茂っていて全体の大きさは分からないが建物は複数存在しているらしい。確か初等部・中等部・高等部が同じ敷地内にあると聞いている。

 庭園のような場所で咲いているのはバラだ。ピンク・オレンジ・紫・黄色・白――さまざまな色で花弁が丸いものもあれば、花弁の先が尖っているものもあった。

 花も棘も葉もみずみずしく空の蒼と相まって、それは1つの絵画のようだった。


 セリカは「受付」とプリントしてある紙を貼った机に近づく。すると先輩らしき生徒が制服の胸あたりに桜の花をモチーフとした造花を挿してくれた。 

 

 「ご入学おめでとうございます。この冊子の中にクラス表があるので、自分の名前を見つけて教室に入っていてください。」


 にっこりと笑みを浮かべた女子生徒に軽くお辞儀をし冊子を受け取ると、クラスと教室を確認する。

 教室は2階にあるようだ。



 (同じ服を着た人がいっぱいだ。)


 教室に入ろうとしたセリカは、目の前に広がる光景にたじろいだ。

 教室には20名ほどの学生が各々時間を過ごしていた。

 2,3人で集まって話をしている人。窓の外をぼーっと見ている人。座って端末を操作している人。教室に掲示されてあるプリントを眺める人。鏡で自分の顔や髪を整える人。


(まるで動物園みたいだな。)


 ヴァースキに預けられてからは人との関わりはほぼ皆無だった。だから大人数とは言えないこの空間でさえ、セリカにとって困惑するに十分だったのだ。

 不自然に静止された人影に数人の視線がドアに集まる。その視線にハッと我に返り、黒板に掲示してある座席表を確認した。

 ふと、斜め前に座る男子学生2人に目が止まった。新しい環境で気持ちも弾んでいるのだろう。楽しそうに会話をしている。


 「お前は何のエレメントを持ってるの?俺は風精霊シルフだぜ。」


 と言うと、さきほどセリカが持っていた冊子(新入生全員に配布されるのであろう)を手に持った。

 そして短い言葉をつぶやく。すると持っていた冊子は、人がページをゆっくりとめくるように1ページ1ページと右から左へ移動していった。

 男子学生は冊子を持っているだけでページには触れていない。まるで冊子が意思をもったように動いている。


 「へぇ、風精霊シルフか。俺は火精霊サラマンダーだよ。」

 

 もう1人の男子学生は右手の人差し指を突き出し、何かをつぶやきながら宙に円を描くような動きをした。

 すると人差し指の先に小さな火の塊が出現する。その塊はゆらりゆらりと人差し指の先で動いているように見えた。

 蝋燭に付けた火より少し大きなその塊は空気に支配された動きではなく、その火が意思をもったように不規則な動きを見せている。


 その時だった。


 「あっ!――ちょっ!!」


 男子学生の指で不規則な動きを見せていた火が指から滑り落ちたのだ。 

 開かれた冊子に燃え移った火の塊はあっという間にその威力を増していく。それはまるで自身の体を大きく変化させようとする動きにも見えた。


 「やばっ!!早く消さなきゃ──!」


 男子学生は慌てて火を叩き消そうとした。熱いのは覚悟の上だ。幸い火はそんなに大きくない。

 バシンッ!と机と手のひらが接触する音が響くと、その大きな音に一瞬クラスがシンと静かになった。

 その音の正体を知るため、クラスの誰もがその2人の方に視線を向けたのだ。


 向けた視線の先には驚きを隠せない男子学生の姿。自分の手のひらを凝視している。

 何をそんなに驚いているのか。興味を失った複数の視線は、すぐさま絡まりを解き数秒前の喧騒に戻っていった。


 手のひらの火傷を覚悟していた。しかし自分の手のひらには未だ信じられない光景がうつっている。

 もう1人の生徒も一緒にその手のひらを覗き込む。その顔も驚きの表情だ。

 手のひらには薄く小さな氷がパキパキッと音を立てて水に変化しようとしていた。

 体積を増し、手のひらに留まり切れなくなった水は雫となって男子学生の手からこぼれ落ちていく。


 「・・・っ!水精霊ウンディーネの属性変化だとっ!!?こんな上級魔法、一体誰がっ――!?」

 「え、詠唱も聞こえなかったぞ!?」


 動揺を隠しながらも周りを見渡したが、特に今までと変わった様子はない。

 すると、ガラッとドアの開く音がした。


 「席につけー。HRを始めるぞ。」


 入ってきたのは無精ひげをたくわえた白衣を着た男だ。短髪だが白髪も目立つ。年齢は40代後半から50代前半だろうか。

 だるそうに頭を掻くその人物は、ハーフリムの眼鏡をかけ、眼は濁ったグレイの色をしていた。その眼光は鋭く、新入生の喧騒を打ち消すには十分だった。


 先ほどの現象に驚いていた2人も目の前に現れた教師の姿に慌てて自分の席につく。

 その様子を確認したセリカはフゥと息を小さく吐き出した。


 この教師が僅かに向ける小さな視線に、セリカが気付くことはなかった。

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