タイムカード

鏡乃

第1話 退:何で生きなきゃいけないんだろう


 何で生きなきゃいけないんだろう。


 別に死にたいわけじゃない。だからといって特にしがみつく程の生でもない。死んだらそこで終わりって誰が決めたんだろう。死後の世界なんてあるわけ無いって、貴方死んだことあるんですか?


 もしかしたら見えないだけで、世界は幽霊で溢れているかもしれないじゃあ無いか。通勤ラッシュの満員電車なんて可愛く思える程の、幽霊達のおしくらまんじゅう。彼らは透けているから、それは無理かもしれない。


「あ、テレビ消し忘れた。」


 進展のない隣町の連続失踪事件。3ヶ月で3人が失踪。警察を批判していた、あのコメンテーターの黒縁眼鏡は絶妙に似合っていなかったな。それも早々に切り上げて、今頃は先日電撃結婚した人気俳優の話題に時間を割いているのだろう。かくいう私もロスに陥った一人だった。アイドルに彼氏がいたことに憤怒する者を鼻で笑っていた私も「インスタグラマーとデキ婚はないだろ」と言っているのだから救えない。


 そんな下らないことを考えながら、今日も会社へ向かい、仕事をこなし、家に帰って、スーパーの弁当を食べて、スマホを弄って、寝る。そんな毎日。


 今年で入社4年目。営業は嫌だから事務仕事。別段やりがいも無く、その分責任も無い。たまに来る本社の人がさわやかイケメンで、斜め向かいの席のお局には若干目をつけられている気がする。


 私がいてもいなくても良いこの環境は、時に居心地がよく、時に虚しさを感じさせる。


 何で生きなきゃいけないんだろう。


 死ぬ理由がないから。それが今の私に一番しっくりくる理由である。幼少期に抱いていた生に対するお日様のようなイメージは段々と陰り、死に対する無条件の恐怖は着々と手懐けられている。二十歳の頃から眼鏡を掛けるようになった。視界がぼやけてきたから、世界が色褪せた様に感じるのかもしれない。


 人間ドックで父のがんが見つかった。幸い早期発見で、命に問題はないという。うちはがん家系で祖父は肺がんで亡くなっており、母も一昨年に乳がんと判明したが早期発見で事なきを得ている。両親は祖父の代から続く小さな酒屋を営んでいる。今では母に桃をせびる程ピンピンしている父であるが、今回の件で真面目で働き者と評判の従業員に店を譲る考えでいるらしい。


 「そろそろ帰ってきたら?」


 母からのLINE。上京に別段の理由はない。田舎の凝り固まった価値観の押し付けは苦手だし、漠然とした都会への憧れという安易な考えで出てきただけなのだ。東京の暮らしはとにかく便利だ。だけれど両親に心配をかけてまで残りたいと思う程の仕事も、恋人も、私は持ち合わせていなかった。


 結局私は田舎へ帰ることにした。


 「本当に辞めちゃうんですか?」


 頭を垂れた彼女の口から発せられた言葉は、どうやら社交辞令ではないらしい。私が教育係としてペアを組んできた後輩だ。たまに斜め上のミスをしでかすが、基本的には頑張り屋の良い子である。この子との別れは正直私も悲しいところだ。「でも1週間もしたら元通りになっちゃうんだろうな」そんなことを考えてしまう。捻くれてるんだ、私は。


 引継ぎも滞りなく行われた。別れの手土産はどうしようか、無難に焼き菓子の詰め合わせにしようか。お局が旅行土産のクッキーにケチをつけていたのを思い出す。どうせなら煎餅が良いと言っていたっけ。最後まであの人に気を遣う必要もないかな。


 そんな事に思いを馳せながら書類の整理をしていた最中、背後から声をかけられた。


 「お疲れ様です。加賀さん、会社辞められるんですね。」

 

 振り向いた先にいたのは、たまに来る本社のさわやかイケメンだった。

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