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国立西洋美術館を出ると、ちょうど昼食に良い時刻だった。
「何か食べたいものある?」
「何でもいいです!」
今でこそ、この手の質問に対する返答としては最悪だったと思うけど、このときのわたしは、自分がどんなメニューでも受け入れる寛大な女であることをアピールしたつもりだった。
「先輩は何がいいですか?」
あろうことか、わたしは木森先輩に同じ質問を返した。
「うーん、俺も何でもいいんだけどなぁ」
先輩は上を向いて考え込んだ。
わたしたちはふらふらとアメ横までやってきた。先輩はまだ決めかねていた。本当に何も思いつかなかったのだろう。
結局、たぶん20分近くも歩いた後(さすがのわたしも腕時計で確認するほど無神経ではなかったから正確なところは分からないけど)、先輩は或るお店にわたしを誘った。誹謗中傷はしたくないからお店の詳細は伏せるけど、あまり気の利いたお店ではなかった。
わたしは精一杯笑顔でいようとしていたけど、木森先輩がわたしとの美術館巡りをデートと認識していないんだと思って、内心ではとても悲しかった。
上野行きの電車に乗っている間も、ランチのメニューを考えながら上野公園とアメ横を歩いている間も、わたしは木森先輩と、ちゃんとした話をできないでいた。「ちゃんとした話」というのは、木森先輩と2人きりでじっくり話せる最初で最後のチャンスに、先輩とおしゃべりするべき話題だ。
前日の夜、眠りに就くその瞬間までは、訊きたいことや話したいことがたくさんあった。なのに、いざ木森先輩と2人きりになると、どれもその場にそぐわないような気がした。
だから、この日、わたしたちが話したことは、どれもつまらないことだった。
「今日は晴れて良かったですね」「週間天気を見て日曜にしたけど、当たってくれて良かったよ」とか、
「もしパンダを見たいなら美術館をやめて動物園でもいいよ」「いえ、大丈夫です。パンダは小学生の頃に見たので」とか、
「上野公園の西郷隆盛像が軍服姿ではなくラフな恰好なのは西郷が西南戦争を起こして逆賊扱いになっていたからなんだよ」「へえ、そうなんですか!」とか、
そんな話ばかりだった。
昼食を済ませて、わたしたちは話題に上がった西郷隆盛像を見てから、東京都美術館に向かった。上野公園では、
東京都美術館に入ってからは、木森先輩はもっぱら芸術の話しかしなくなった。新印象派の絵はたしかにきれいだったけど、先輩との時間が残り少ないと思うと、心から楽しむことはできなかった。
「何だか、俺ばっかり楽しんでるな」
アンリ=エドモン・クロスの『マントンの眺め』を見つめていた木森先輩が、わたしを振り返って呟いた。
「いえ、わたしも楽しいですよ!」
わたしはすかさずそう言った。
「そう? ならいいんだけど」
木森先輩は素直な人だった。先輩がわたしの答えに納得していないことは、眉毛を見れば明らかだった。わたしの態度がそれだけ退屈そうに見えたということだろう。でも、先輩はそれ以上何も言わず、『マントンの眺め』に視線を戻した。
これが思い出作りでしかないことは最初から分かっていたはずじゃないか、とわたしは自分に言い聞かせた。木森先輩がわたしを美術館巡りに誘ってくれたことは、先輩のやさしさであると同時に残酷さでもあるということに、わたしはもっと早く気付くべきだった。木森先輩はわたしに対してちっとも恋愛感情を抱いていない。そのことを、わたしはこの日一日を費やしてようやく思い知った。
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