しにたみ住人は同居人と遊蛾に呉らす
@kanaetamae
第1話しにたみ住人は遊蛾に昏らす
そのアパートの住人は二下という名前をしていた。
今までのほとんどの多くを『西田』と聞き間違われて生きてきた。
ありとあらゆる新生活の第一歩が
「違います。一と二の『二』に、上下の『下』と書いて【にーした】です。」という訂正からのスタートであった。
にーしたは自分の名前が嫌いである。二下姓を名乗りはじめた祖先が嫌いで増殖をやめようとしなかった一族も嫌いで、現在二下姓を名乗る親族両親含め血縁関係者の全てが嫌いだった。
にーしたのこの世に生まれ落ちてから今日に至るまで一日も欠かすことなく常なる陰鬱は今日も朝から始まった。元来の寝付きの悪さに最近は夜間に何度も目が覚めるようになっていた。おまけに、低血糖、低血圧、冷え性、睡眠時の姿勢の悪さ。
年を重ねるごとに寝起きの悪さに更なる拍車をかけた。巷に溢れる快眠法を試し尽くしたが何ひとつ効果を成さなかった。
にーしたは自室のある2階の部屋からズッタンズッタンとスリッパのかかとを引きずっては打ちつけるように階段を降りると一階のリビングへと降り立った。
「おっ、ゾロ目」
デジタル時刻は5:55を表示していた。リビングは2/17のまだ厳しい冬の冷え込みをひっそりと漂わせながら夜の色をしている。
右の壁へと手を伸ばし照明のスイッチを入れた。蛍光灯色の青白い間接照明が着いたのを確認し、キッチンへと向かう。
朝食はにーした自らが用意する。今朝のメニューはホットサンドである。
冷蔵庫のステンレス製の鈍いシルバー色をした扉を開くと、手際よくチーズとトマトとバジルペースト。前日の夜に予め下準備しておいたチキンを取り出し、キッチンカウンターへ等間隔で並べた。
ホットサンドメーカーを取り出そうと上棚の扉の手を伸ばしかけた時、二階からゴトゴトと物音がした。それから数十分経って階段の方からパタ…パタ…と控えめなスリッパの音が響く。降りてきたのは同居人のリトであった。
リトは本名を昴山理人【スバヤマ-リヒト】といった。名付け親である両親は、ドイツ語の光という意味は知らなかった。認知していなければ由来な訳も無く、リヒトって名前何だか響き良くない?漢字は頭良くなって欲しいからー理科の理。あ、見てー!命名アプリの結果もいい感じじゃん!という親心が込められた。それがリトへと与えられた人生最初のプレゼント。名前であった。
親の思いを一身に受けたリトは、その後すくすくと成長した。
「お名前はどのような漢字をお使いでしょうか?」と聞かれれば、決まってリトとカタカナ2文字で記した。
そのやり取りをたまたまの付き添いで目にしたにーしたは思わず
「違います。料理の理に人間の人です。」と訂正のため割って入った。
リトがあまりにも覚え直さないため、いまでは重要書類が必要な場合は代わりにペンを取るまでに至った。
にーしたは人付き合いの苦手を自負していた。
幼少期より自分以上にひとりぼっちがこの世の中にいるものか、と思っていたが、リトと出会ってから考えを改めることとなった。
リトはにーした本人からそれを伝えられると「井の中の蛙の皮の荷の上には鰻がいるね。」とだけ答えた。
にーしたは一日三食の食事をとても大事にしていた。人より少し器用な方で、ある程度の料理は難なくこなす事が出来た。何をしてもコツを掴むのが早く、マメな方であったが、それをアテにされてしまうとどうしようもなくウンザリしてしまう癖があった。
リトはリビングに降り立つと、テーブルの入り口近くの手前側に座った。
ルームシェアを始めた当初、朝食を担当したにーしたは、朝は一杯の牛乳からとリトの分まで用意してやった。飲み干した数分後、冷たい飲み物に胃がやられたらしくリトはフローリング上で蹲ることとなった。ならばと熱い飲み物を用意すれば、今度は極度の猫舌のため飲み終わるまでに膨大な時間がかかった。
終始そんな調子であるから、リトは朝食をまともに完食できた試しが無かった。そもそもにーしたがくる以前、リトの生活において朝食は存在すらしていなかったという。
リトの前にホットサンドとコンソメスープを載せたトレイを置いてやる。
「…いただきます」空耳と聞き違えるかのような小声の宣言のあと、サク…サク…とトーストの小気味良い音が続いた。
リトの食事をする様子は、まるで小動物が餌を啄んでいるようだと思う。付け合わせに用意したコンソメスープはきっと熱くて完飲できないだろう。さっき出来上がったばかりだから。
以前に一度
「冷めたの出してやろうか?」と提案してみたことがあったが
「このままで結構です。だって食事は温かい方が美味しいでしょう?」と丁重に断られたので
「お前その温かいの食えねえじゃねえか!」と思い掛けず、そう返していた。
リトは何ひとつとして文句らしき言葉を溢すことはなかった。
にーしたは対面式キッチンで調理のあと片付けをしながら時折横目で黙々とホットサンドを口に運ぶリト眺めた。
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