SO WHAT?! 3rd. interlude
N.river
第 1話 AM 10:30 / day1
認知とは多様な刺激から成り立つものである。
とか聞いたような聞かなかったような気がしている。
だがこのところ平凡を越えた退屈な日々はモノの味さえ変えつつあるのだから、文言の言わんとするところに間違いこそなさそうだった。
いやそもそも、平凡な毎日とはこんな味だったろうか。
尻を引っ掛けたスツールの上、ストラヴィンスキーこと外田瓶介はわざとややこしく考えながらチーズバーガーへかぶりつく。
もちろん肉汁あふれるバーガーはコクあるチーズも相まって他の追随を許さぬ旨さだ。満喫できる状況は歓迎すべきものであり、所属する「SO WHAT」対応部署、通称「CCT」も近頃、荒事どころか臨場さえ失せると至極のひと時が邪魔される心配もない。それどころかこのまま縮小、解体合併されてしまうのではないか。噂が立つほど暇を持て余している有様だった。
確かに、扱うのは「SO WHAT」案件のみで、ジェット・ブラック確保以降、彼らの活動こそ途切れて久しければ、いまだ伏せられたままとなっている SO WHAT の存在もろとも CCT もまた「なかったこと」にしてしまうのは合理的かつ穏便なやり方だろう。のみならず CCT は世界で同時多発的に起きるテロをカバーすべく国連加盟国を中心にオフィスを設置した組織ときている。迅速な連携を必須と対処するうちにも簡略、拡大されてきたその権限は今や事実上、史上初の「国境なき捜査機関」を形成しつつあり、ふともすれば法より強い立場を取る場面さえ生じると、各所から懸念の声が上がらないでもなかった。押さえつけられておれたテロの脅威が薄れた今、まんざら噂とも聞き流せない。
果てに縮小、合併されてしまえばその後、自身はどうなるのか。有能だが表に出せないクセ者ぞろいが我が部署ならば、表舞台への復帰だけはないだろうと想像しつつ眼鏡のブリッジを押し上げる。つまみ上げた紙ナプキンで口元もまた拭った。
経て思い及ぶのはやはり、ここのチーズバーガーは絶品であるということと、たとえ今後、通勤先が変わろうとも、これだけはやめられそうにないことだ。
振り返った壁に掛かる時計は、オレンジの丸枠がオモチャのようなデザインをしている。文字盤の上では針の先にあしらわれた飛行機とバスのモチーフが、追いかけっこで十時半を指していた。二十四時間、絶え間なく動くオフィスのミドルシフト、午後を中心とした業務開始にはまだいくらもある様子で、つまり今日も腹ごなしにランニングでもして潰そうか、などと考える。
決まったところでスツールから尻を持ち上げた。視界の隅、小さく繰り出された会釈に注意を盗まれ、すかさず頭を下げ返す。顔なじみの店員だ。注文カウンターでポニーテールを揺らしている。そのさい妙な照れが混じるのは通い詰めておいて顔など覚えられているはずがない、と毎回、初めてのような面持ちで注文し続けてきたせいだった。ある日、サル芝居は見抜かれると、彼女に注文の先を越されている。きっかけにやり取りを交わすようになっていた。
「今日もごちそうさまでした」
カウンター前のゴミ箱へ分別しつつ落とす食べクズは、段取りさえもがもう決まりきっている。
「本日もご利用ありがとうございます。明日もこの時間帯にお越しになられますか」
さらに加えて言うならそんな彼女こそ、年末に買い求めたバーガーの包み紙へメッセージを書き込んだ張本人だった。おかげであの夜、常盤華に散々冷やかされることとなったわけだが、それはまったくもって持て余す時間を面白おかしく過ごすための妄想に過ぎない。
「まあ、そう、ですね。ええ」
などと、予定はすでに明らかだったが、やや迷ったような芝居をここでも挟んでしまう謎の現象はなぜゆえにか。
「じゃあわたし、明日もこの時間帯なのでお顔を拝見したらご用意いたしますね。そのままお席におかけになってお待ちください」
オレンジの制服にあしらわれた白のストライプがなお引き立つ。向けられた笑みは凛々しく、胸元には包み紙にあったのと同じ「マホ」に「Y」が添えられた名札が提げられていた。
「た、助かります。あはは」
「いえ。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
見送る声はバーガーショップとは思えぬちぐはぐなものだ。背にストラヴィンスキーは自動ドアを潜り抜ける。四車線で横たわる国道を目の前にした。気忙しく車両を走らせるそこに沿って右へと十五分も歩けばオフィスの入る警察病院はあり、同じだけ逆方向に向かえば駅前繁華街の端に辿り着く。中間地点にあるこの辺りはテナントビルが建ち並ぶビジネス街を形成しており、呼び出しが入れば駆けつけられるようオフィスから半径四キロ内に部屋を持つストラヴィンスキーにとって生活圏そのものだった。いや、生活圏だと認識できるようになったのはつい最近で、それもこれも平和と平凡のおかげにほかならない。
ランニングするならそんな病院の外周だ。ストラヴィンスキーはオフィスへ靴先を切り返す。何をや卸業を営む店舗と、名刺の看板を掲げた印刷屋をやり過ごした。その隣はオフィスの入る味気ないテナントビルで、さらにその先にクラシカルな看板を歩道へ小さく突き出した仕立て屋は現われる。街路樹が影を落とすショーウィンドウはシンプルかつクラシカルで、解剖図のような縫製過程を示すジャケットと掛け置かれたいかにも高級そうな生地を見つめる女性とすれ違った。
いや、すれ違いきれずそのときストラヴィンスキーは歩調を緩める。ままに盗み見たのは女性の容姿で、彼女はといえばゴツイ荷物をぶら下げたバギーを押していた。のみならず髪も服装もずいぶん違っていたが、立ち姿だけは変わりようがないのだから咄嗟と記憶は蘇ったのだろう。
行き過ぎた足をフィルムでも巻き戻すかのように逆回転させて後戻る。おかげで不審を極めることとなった動きに女性も気づいた様子だった。なんら確信のない表情はショーウインドウからおもむろと振り返る。
「……へい、ちゃん?」
合わせた焦点で呟いた。
「ああっ。やっぱりっ。へいちゃんじゃないっ」
改め、これでもかと声を大きくする。
そう、彼女の名前は[七五三|シメ]あすか。いやこの様子だと苗字は変わっているはずだが。高校時代のクラスメイトで間違いなかった。
「ウソ。びっくりするっ。こんなところで会うなんてっ」
「いやいや。それはこっちのセリフだと」
「やだー、元気してた?」
「まあ見ての通り、ぼちぼち」
「すっごい。え、五年ぶり? 同窓会、最後に欠席したきりなんじゃない。そうそう、あのとき理由が事故に遭ったからって聞いてびっくりしたんだから。みんなも心配してたのに」
「いやはや、もうそんなになるのか」
「眼鏡も最初、違う人かと思った」
まくし立てるあすかはいわばクラスの女子のリーダー的存在で、男子とも気兼ねなくやり取りするさっぱりした性格の持ち主だった。もれなくストラヴィンスキーもその輪の一人で、担任から風前の灯火だった天文部の復活を請け負ったあすかから頼み込まれて部の副部長をつとめたこともある。そうして次々と部員を勧誘していったあすかの天文部復活劇はまさに青春の思い出の一つとして記憶に残されており、共有する気の置けない友人の一人で間違いなかった。
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