海祭り~岩社~自分の気持ち
夏の夜は、どうして心が浮き立つのだろう。
アイノはイヨと連れ立って、海祭りの会場である砂浜へと向かっていた。
年頃の娘たちは皆、化粧をし、身を華やかに飾り立てている。
今夜は妻問いも行われる。自分がそこで、一生を共にする相手と出会うかもしれない。皆、わくわくと緊張を抱いている。
イヨはいつにも増して可愛らしかった。ぱっちりとした目に、鮮やかな緑の衣装。髪には赤の花を飾っている。人の目をひく魅力とは、彼女のことだ。
「誰か、心に決めてる人はいるの?」
アイノの問いに、イヨはうきうきと顔を輝かせる。
「気になる人はいるけれど、今夜は別の部族の人も来るでしょう? それが楽しみ!」
イサナは海を神様としているが、森や山にはまたさまざまな部族がいる。今夜はとても大きなお祭りなのだ。
アイノはあれ以来、マヒトと会話をしていない。イヨの言う通り、他部族との出会いの方が心を浮き立たせる。
(何かあったとしても、あたしはここを出ていくことはできないけど)
素直に目を輝かせているイヨが、アイノには羨ましかった。
✻
大きな焚き火の周りを、さまざまな顔ぶれが囲んでいる。
狼族、熊族、鷹族。
普段顔を合わせない面々が、酒を飲み、歌をうたい、海に祈る。
男も女も、老人も子どもも、みんな笑顔だ。
焚き火の炎に照らし出された顔は、不思議と昼間と違ってみえる。アイノはマヒトの姿を見つけた。
彼は仲間たちと楽しそうに戯れている。日に焼けた肌から、やけに目を離せなかった。
イヨは、今は鷹族の青年と話し込んでいた。そばにいる熊族の青年も、明るい笑顔の彼女が気になるのか、ちらちらと視線を送っている。
今夜は何か、いつもとちがう。夏の夜のせいだろうか。普段会わない顔ぶれのせいだろうか。
それとも、燃え上がる焚き火の力なのだろうか。
アイノは、自分の心がどうにも落ち着かないことに気がついていた。
「ねぇ君。さっきから、何をみてるの?」
突然腕をとられ、振り返ると見覚えのない青年が立っていた。
炎をうつし、きらきら光る目が、まっすぐこちらを見つめてくる。もうすでに、幾らかのんでいるのだろあ、瞳の奥がゆらゆら揺れている。
アイノが答える前に、彼は言葉を続けた。
「そこに立っててもつまらなくない?
こっちにおいでよ」
手の甲には、三本の刺青。たしか、熊族の印だ。
とっさに手を引っ込めようとしたが、彼の手はびくともしない。
嫌だ、と瞬間的に思った。自分の意思がないこと。相手の意思に従わされそうになること。
「あたし、人を待ってるの」
辛うじて出た声は、あまりにも力無い。青年の瞳の奥が、少し頼りなげに揺れた。しかし、手を離してはくれない。
硬直状態になっている2人のもとに、「どうしたんだ?」と声がかかった。
振り返ると、マヒトだった。軽快そうな表情をしているが、少し苛立っているのがわかる。
海祭りは喧嘩は御法度。
熊族の青年は手を離した。
「大丈夫?」
「うん」
マヒトの声かけにも、まともに答えられずアイノはその場を後にした。
✻
イサナの霊廟、岩社は海辺の洞窟の奥にある。
かつて、ご先祖さまをこの地に連れてきた白くじら。その御霊を祀り、感謝したのがイサナ一族の始まりらしい。
ひんやりとした空気に、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。押し寄せる波の音が優しく響いている。
「なんで、こんなところに1人でいるんだい」
みると、巫女長のファーリさまだった。
「若いものが、祭りにいかないでどうするんだ」
ふふふと笑ったその顔に、身体中の力が抜けていく。
(あー、やっぱりファーリさま、安心するー)
アイノは先程の出来事を一息に話した。ファーリさまは、口を挟むことなく、にこにこと最後まで聞いてくれた。そしてやっと、口を開いた。
「ーーそれで?」
「え?」
アイノはぽかんと口を開いた。なにかファーリさまが、言葉をかけてくれるものだと思っていたのだ。
「それで? アイノの自身はどうしたいんだい」
「あたし自身?」
これだから若いものは、とファーリは笑った。
「巫女長として、お前の家の事情はある程度は知っている。お前の父も母も、私は子どものときからの顔馴染みだからねぇ」
ファーリは、どこまでも優しい目線でアイノを見ている。
「大切なのは、結局お前は」
ファーリはアイノの胸の真ん中を、ついと押した。
「どうしたいと思っておるんじゃ?」
そこまで言うと、ファーリはすっとそばを離れた。
そして、考え込むアイノを残し、洞窟を出て行った。
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