巡文学者たちの恋手紙

朝笙 玖一

第1話

 次につながる確信をもって終わらせる。それは時代に翻弄ほんろうされてはいたものの、実に建設的な死であった。


光代みつよさん。信じてくれるかい?」


「ええ、紋乃もんのすけさん。私、信じます。でも――」


 濃縮されたインクのような海だった。少しでも身体に触れれば勝色かちいろに染まってしまうような海面には、小さな月が映っていた。沖に漁火が見える。その日はぎだった。

 波打ち際から少し離れた乾いた砂浜には、分厚い革でできた大きなカバンと造りの良い革靴が仲良く二足並んでいた。

 膝の高さまで海につかり、背広を着込んだ男は乱れた七三分けの髪を手でなでつけながら、かたわらに立つ恋人に向かって不安げに尋ねる。


「――でも、なんだい?」


「うん。私ちゃあんとあなたのことを見つけることが出来るでしょうか?」


 動きやすさを考慮して洋服で旅に同行してきたその女は、まつげの長い瞳と品のある端正な顔を恋人の方へ向け、そう答えた。


「なんだ、そんなこと心配してたのか」男はさわやかに笑顔を見せる。「大丈夫、僕だってすぐ分かるような形できっと現れますから」


「そうですか。紋之助さんがそこまで自信たっぷりに云うんなら安心ですね」


 ふたりは期待にはやる気持ちで、声を出して笑う。


「楽しみだなぁ」


「はい。今度は自由に――」女は憧れを抱き、遠い目をして夜空をあおぐ。


「それでは、光代さん」


「はい、紋之助さん」


「またね」


「うふふ、はい。またね」


 沖へと高らかに進むふたりの笑顔が重なる。やがて、人の姿が消えた水面には、クレーターがしっかり見えるほど月が綺麗に映っていた。




 三日後。

 潮干狩りにやってきた親子連れは早朝から張り切ってにぎり飯をこさえた。親子ともに昨夜は潮干狩りに対する射幸心をあおられ、胸の高鳴で中々寝付けなかった。

 親子は眠い目をこすりながらも、夕餉ゆうげに貝の酒蒸しを想像し、砂浜を進む。先を歩む子どもが何かを発見して走り寄った。その直後、親子の悲鳴が朝もやがかる海辺に響き渡る。そこには砂浜に打ち上げられた男女の遺体があった。




――時は流れ、九十年後。


「――と、まぁそういう訳なんだ。だから頼むよ」


「ああ、いいだろう」


「えっ?」


「引き受けた、と云っているんだ。何かまずかったか?」


「いや、全然。こんなにもあっさりと引き受けてくれるなんて思わなかったから、びっくりしただけだ。ありがとう」


 感覚を麻痺させる冬の寒さに耐えてきた心と身体を、心地よく暖めてくれる春の陽射しが降り注ぐ大学の中庭で、どうぞのあきらは一度か二度しか面識の無いむかまさはると向かい合っていた。

 朗には、高校生のときから片想いをしている女性がいた。奥手であり硬派な朗はその女性に中々告白できずにいた。その女性は、はままちしゅうという名だった。

 朗と柊子は共に同じ高校に通っていたのだがクラスメイト以上の関係にはなれず、まんじりとした高校生活を教訓に、大学ではなんとかしてお近づきになりたいと考えていた。それは柊子が芸大を目指すという話を朗が耳にするやいなや、粉骨砕身の努力の末、同じ帝國ていこく藝術げいじゅつ文化大学の文学部になんとか滑り込むことに成功したからだった。

 入学ができたならば告白しよう、と朗は考えていたが、残念なことに彼には勇気と勝算が無かった。だがそこで諦める訳にはいかない。自分の専門外の大学に入学するためにわざわざこうして苦労を重ねたのだから、ただ指をくわえているだけにとどまりたくは無かったのだ。

 彼が考え出した苦肉の策。それは、ラブレターだった。それもとびきり心を打つものでなくてはならない。

 そこで彼はじっくりと同じ学部に通う学友を真剣に、それも冷静に観察し始めた。ラブレターの代筆を依頼するためである。なぜ自分自身で書かないのか? などと云われても、成績は下のほうから数えたほうが早かったし、第一に彼には自信が無かった。

 しばらくの間、観察者に徹した彼は、ようやくその適任者を見定める。

 文学部にトップクラスの成績で入学し、高校生の時点で既に出版社に担当編集者を持っていたという噂の、向江正陽その人に白羽の矢が立ったのである。

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