音に聞く須磨の浜辺のさざなみの光る波間に青葉を想ふ

 まだ、コロナの猛威が叫ばれる以前、真冬の須磨浦に出かけたことがある。


 兵庫県神戸市須磨区。現在は海浜公園をはじめ周辺の土地が整備され、非常に足を向けやすい観光地となっているが、神戸という街が発展を遂げたのは、明治を迎えて神戸港が開港して以降の話だ。


 それまでの須磨とは、摂津せっつ播磨はりま国境くにざかいに位置し、流刑に処された貴人が立ち寄る、中間地点。

 かの菅公かんこう菅原道真すがわらのみちざね公が太宰府へ流される途中で休憩された地であり、歌人、源兼昌みなもとのかねまさなどは、そのあまりの寂しさ、わびしさを和歌に詠んだほどだ。


 今日こんにちでも目にする小倉百人一首「淡路島あわじしま通う千鳥の鳴く声に幾夜いくよ寝覚めぬ須磨の関守」が、それである。


 つまり、昔の須磨浦とは、訪れるだけで心を折られるほど寂しい場所だったのだ。


(フィクションながら源氏物語の主人公、光源氏も物語中盤で須磨に流されるのだが、ヤツの場合は、しょぼくれるどころか、お隣、明石に足を伸ばして美女(明石の君)と、ちゃっかりねんごろになっている。光源氏という男が、いかに規格外か、窺い知れるというものだ。)


 今でこそ、浜辺を埋め立て、山を削り、少しでも居住地を増やそうと苦心している須磨区一帯だが、その地形を例えるなら、海から直接、山が突き上がっているようなものだ。

 国道二号線及びJR神戸線と私鉄・山陽電鉄が、山際と浜際の間を縫うように小競り合って走り、駅から北に向かって歩けば、数分と経たずに、とんでもない急勾配が待ち受ける。

 逆に、駅から南に向かって数分も歩けば、海中に沈む。

 現在でも、須磨とは、そういう土地なのだ。


 そして、この窮屈で狭小な土地は、歴史に名を残す古戦場でもある。


 平家物語で語られる「一ノ谷の合戦かっせん」は、ここ、須磨が舞台だ。

 当時、わずか十六歳であった平敦盛たいらのあつもりが討たれたのは、この須磨浦なのである。

 そして、合戦から実に八三〇年以上経つ現在も、敦盛の首と胴体はバラバラのままだ。


 首は、須磨区福祥寺ふくしょうじ(通称、須磨寺すまでら)内の首塚にまつられ、胴体は一ノ谷(現在の須磨浦公園内)の胴塚にて祀られている。今でも毎年、三月上旬に、敦盛祭が胴塚にて営まれているという。


 そして、須磨寺には、敦盛が愛用していたという笛が現在も保管、展示されている。いわゆる「青葉あおばの笛」だ。


「一ノ谷のいくさ敗れ、討たれし平家の公達きんだち哀れ」の歌い出しでお馴染み、童謡「青葉の笛」は、討たれた敦盛と、清盛の異母弟、忠度ただのりを題材にした歌である。


 須磨浦は、寂しい場所かもしれないが、昔から白妙の砂浜、海岸沿いの青松の林、六甲山系の西の端、旗振山はたふりやま鉄拐山てっかいさん高取山たかとりさんが連なって控える景勝地だ。


 特に、真冬の須磨は、人もおらず、地元の人が浜辺をジョギングする姿を時折見かける程度の、閑散とした様が何より心地よい。

 穏やかな海は、キラキラと輝いて宝石を散りばめたようにすら見える。ぼーっとするには、もってこいだ。

 ただし、流れの早い明石海峡を抜けてくる潮風と、背後の六甲山系から吹きつけるおろしは強い。真冬に、ぼーっとする時は、くれぐれも防寒対策を怠らないようにしてほしい。


 浜辺に店を構えるバーガー屋(マクド○ルドではない)の二階オープンテラスで、海を眺めながら頬張るフィッシュアンドチップスは至福だ。重ねて、くれぐれも、真冬には防寒対策を怠らずに堪能すべし、である。


 あ、因みに素直な観光客は、もちろん名物のバーガーの方を堪能するものである。ぜひ、よしなに。


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音に聞く=噂に聞く(世間によく知られている)

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