独りでの攻防
それは神に反旗を翻した行為でありながら…
光の届かない箇所に儚く咲いた、一輪の薔薇のように、酷く美しく、気高い尊厳をも感じさせた。
…何よりも自らに近い母親の鮮血を得、自分をも作り上げたはずの、濃い血脈をも同時にその口に含んだ累世は…
その血の余りの極上さに、微睡んだように酔いしれていた。
「…、喉を過ぎて、なお欲しくなる…
これだけ美味い血を保持しているとは…!
…成る程、あの父さんが欲しがるわけだ」
「!? ちょ…、ちょっと待って。累世、あなた…いつからカミュを──」
…“父さんと呼んでいるの”?
そう訊ねようとしても、剰りの事態に、それは声にはならない。
先程から過剰なほど驚いてばかりいるが、あれだけ父親であるカミュに表立って反発し、その存在すらも己の中で抹消しかねない程に彼を疎んでいたはずの累世が、そのカミュに懐いているかの如く『父さん』と呼んだことが、唯香には、どうしても信じられなかった。
勿論、カミュを父親と呼んでくれるのは、素直に嬉しい。
だが、累世は…自分から言い出したことを、“こうもあっさりと曲げるような子ではない”。
…額に残る魔力の痕。
今までには一度たりとも無かったはずの、吸血行動…
そんな辛辣な事実を目の前に突きつけられた唯香は、いたたまれずに累世を見つめた。
…そう、魔力の無い自分でも分かる。
あの額の、黒薔薇を模した、禍々しい刻印が原因であると──!
「…、唯香…」
…食い入るように刻印を見つめていた唯香を、現実に引き戻したのは、累世の優しい、求めるような声だった。
「? …累世…?」
唯香はそう問い返しながらも、僅かに下がる。
それが何故なのかは分からない。
だが、いつの間にか体は逃げていた。
すると、その瞳を一瞬にして冷たいものへと変えた累世は、不意に唯香の両手首をその頭上できつく押さえつけると…
そのまま押し倒すかのように、強く床へと叩きつけた。
「!…」
突然のことに勢い余った唯香は、はずみで両肩をぶつけるが、累世はそんなことにはお構いなしに、再び唯香の首筋から血を得ようとする。
──その瞳は鋭くなり、口元には、自らが求めた欲望の名残が残されている…
そこに居たのは、もはやかつての息子ではない。
血に飢え、血に狂った…ひとりのヴァンパイア…!
「!…累世、累世…っ、やめて! 少しは頭を冷やしなさい!
分かっているでしょう!? あなたは人間なのよ! なのに血を吸うだなんて、こんな…!」
「…今まで知らなかった味を覚えただけだ」
それまで静かに傍観していたヴァルディアスの唇から、美しくも冷たい笑みが零れる。
唯香は拘束されていることから、それでも首だけは必死にヴァルディアスの方へと向けた。
…その蒼の瞳は僅かに潤み、ヴァルディアスの欲情を、さざ波のように掻き立てる。
「こうも簡単に堕ちるとはな。そこが牢で良かっただろう?
そのような息子を、その姿を他者に見られる位なら──」
「!…」
「お前の息子の吸血願望は、もはや治まることはなく、それを抑える術もない。
…それでもここから出すつもりなら、それ相応の覚悟をしておくんだな」
低く言い捨てて、ヴァルディアスは唯香に背を向けた。
その背に縋り、彼を引き留めるべく声を出そうとした唯香の首筋に、再び容赦もなく、累世の牙が食い込む。
「!…累…世っ…!」
…息子であるはずの累世に、執拗に血を貪られ、奪われながらも…
唯香は、そんな累世を元に戻すことが出来るであろう、唯一の希望であるヴァルディアスに向かって、喉を痛めんばかりの悲痛な声で訴えていた。
「!──ま、待って! お願い…」
「……」
ヴァルディアスは無言のまま、振り返りもせずに歩を進めていく。
…徐々に遠ざかっていく彼の姿を目の当たりにして、さすがに唯香の心に焦りが湧いた。
「!…累世を助けて…、行かないで! “ヴァルディアス”!」
「……」
ヴァルディアスは変わらず無言だったが、その声を聞くと、歩めていた足を止め、静かに唯香の方を振り返った。
唯香は、累世に組み敷かれたまま、その白い首筋に、深く顔を埋められている。
端から見れば、恋人同士のそれに見えるであろうその現状を、ヴァルディアスはただ、静かに見下した。
牢の前まで戻ると、視線もそのままに、問う。
「…何故、俺の名を呼んだ? お前はそうすれば救って貰えるとでも思ったのか?」
「!ち、違…」
違う、と言いかけて…、それでも唯香は怯んだ。
…ヴァルディアスの威圧感。
それはさすがに驚異であり、自らが意識せずとも、その身に迫る危険を覚えずにはいられない。
するとヴァルディアスは、そんな唯香の心の脆さを見抜いたのか、不意にその目に焼けつくような侮蔑の色を見せると、低く嘲笑った。
「…己の息子に翻弄された程度で弱気になるとはな。
いいか、唯香。俺を頼るな。
お前はそれこそが、己の存在価値を貶める原因であることに気付かなければならないのだからな」
その属性に反して、神が聖書の内容を口にするがごとく厳かに告げたヴァルディアスは、つと、その魔力を用い、自らの右手に、人間界でいうところの、硝子細工を模した小瓶のようなものを出現させた。
「!え…、…な、何…!?」
今までのことから、こう言った事には鋭くなっている唯香は、何をされるのかと警戒心を張り詰める。
それにヴァルディアスは、何も言わないままに、その小瓶ごと、自らの蒼銀の魔力を集中させ始めた。
──途端、がくん、と、唯香の体を、何かが抜けたような喪失感が襲った。
恐らくはそれが原因であろう、僅かに残る気だるさに、唯香は焦りを隠せずに仕掛けた本人を見た。
…いつの間にか、ヴァルディアスの手にしている小瓶には、紫色の液体が入っている。
それが何であるか、気になった唯香の心境を見越してか、ヴァルディアスの方が先に言葉を繋いだ。
「これが何であるのか、気になったようだな」
「!…」
「教えてやろう。…だが、その前に──」
闇魔界の皇帝は、その美しい蒼銀の瞳を、今だ母親の甘美なる血を貪り続けようとする累世へと移した。
「ルイセ、母の血など、これから幾らでもくれてやる。
俺は唯香に話がある。一度、母から離れていろ」
「…、分かった」
その言葉通りではなく、どこか釈然としない様子で、累世が母親から身を起こす。
そんな累世に、いったんは唖然としながらも、唯香は次には気付いたように、すぐさま床に手をつき、体を起こした。
…血を吸われたせいで、多少体はふらつくものの、この際、そんなことを言ってはいられない。
唯香は真っ直ぐに、ヴァルディアスを見据えた。
「──あなた、それは何!? あたしに一体、何をしたの!?」
「…たいしたことはしていない。お前の魂の情報と、血液を少し頂いただけだ」
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