全てが真逆になる時

それを確認したヴァルディアスは、徐に累世から手を離した。


…そこには、もはや先程までの人間らしい累世の姿は影もなく…

代わりにその場に居たのは、彼の父親である、カミュ=ブラインに酷似した、冷淡かつ鋭い瞳を露にした…

ひとりの【精の黒瞑界の皇子】だった。


その余りの豹変に、何かを悟ったライセが、我知らず冷や汗を浮かべる。


「!…ま…、まさか…」

「俺があえて手を下すこともないだろう?

…身内同士で潰し合え」


今や嘲りを潜めたヴァルディアスは、その切れ長の美しい目を累世に走らせた。

それに気付いたように、否…、それを受けるように、累世が難なく、彼に視線を向ける。


「何だ? ヴァルディアス」


敵対しているはずの闇魔界の皇帝を、何の躊躇いもなく呼び捨てで呼んだ累世のその表情には、人間界にいる時には顕著なまでに見られたはずの、善や陽の感情は全く感じられなかった。


一見して分かる、悪と陰の感情。

しかも、更にそれに、冷や負の感情までもが加わっている。


そして、その額には、黒い薔薇のような形の、ヴァルディアスの魔力の痕跡が残っていた。

それを見定めたヴァルディアスは、この上なく楽しげに微笑んだ。


「ルイセ皇子よ、命令する。…目の前にいる、お前の兄…

ライセ皇子を殺せ」

「分かった」


まるで表情も変えずに、累世は右手に、覚醒したばかりの魔力を集中させた。

だが、その力は…


「!…こ、これで本当に魔力を使えるようになったばかりなのか…!?

…馬鹿な…、これは余りにも桁違いだ…!」


累世とは異なり、魔力を熟知しているだけに、その能力を読み取ったのか…

ライセが呻くように驚きを口にする。


…果てしなく忌々しさを含んだ、驚きを。


そんなライセの様子を見て、ヴァルディアスがその笑みを、どこか勝ち誇ったような、不敵なものへと変える。


「ライセ皇子よ、驚いたか? これが、人間界で暮らしていたはずの弟皇子の持つ、本来の魔力だ」

「!…」


ヴァルディアスの言葉の裏には、累世は人間界で暮らしていたからこそ魔力が使えなかったのであって、本来この世界で暮らしていれば、その魔力はゆうに兄を凌ぐであろうという事実が潜んでいた。


…そして、今やこの状況下では…

ライセもそれを認めざるを得なかった。


それが、いわゆる父親の人格の違いなのか…

それはライセには分からなかった。

…分かっているのはただひとつ。



戦わなければ殺されるという事実だ。



「…そういえばライセ、お前は魔力の無い者は皇族と認めないと言っていたな?

では、今の俺は何だ?」

「……」

「ふん…、さすがに答えられないか。

…ああ…、それにしても気分がいい。長年捕らわれていた、忌々しい枷が外れたようだ…

人間に依存した、理性という名の枷がな」


累世は堪能するように、深く息を吸い、伸びをするように目を閉じ、見開いた。

その時には既に、彼の右手にある魔力の規模は、先程の倍ほどにも膨れ上がっていた。


「…さて、待たせたな。殺してやるよ…

お前はどんな殺され方が望みだ? ライセ」

「…貴様…、言いたいことは…それだけか!」


腹立たしげな言葉と全く同時、一気に魔力を高めたライセが、一瞬にして累世へ近づき、その自らの左手でもって、累世の右手にあった、強力な魔力を打ち払った。

…大気を揺るがす、凄まじい轟音と共に、それは空気中に溶けるように霧散する。


「…、なかなかやるな」


そんな双子たちのやり取りを、今やヴァルディアスは、余裕綽々で観戦していた。


…自らの手を汚すことなく、この世界の皇子を共倒れにさせることが可能であるなら、これほど楽なことはない。

ヴァルディアスはただ、その考えを実行に移しただけだった。


…魔として、ひとつの世界の皇族として…

これ以上はないという程の、高貴かつ最上の血統を持ちながら、それでも塵ほどの価値すらもない人間に拘る、累世の心の弱さ…

そして、それを上回るほどに儚い、精神の脆さを利用して。


…それが、こうも巧く作用するとは。

策を弄したのが自分であるだけに、思わず笑みが零れる。


「…奴は、まがりなりにもお前の兄…

返り討ちを食らいたくなければ、油断するな」

「ふん、そんな心配は不要だ」


累世はライセを鋭く見据えると、今度はライセ同様、その魔力の規模を一気に引き上げた。


その力は凄まじく、周囲を覆っていた闇が、累世の体を覆うように渦を巻き…

それが徐々に、少しずつ白さを孕んでいく。

…そこだけ、まるで台風の目さながらの大気の渦が起こり、その周辺はその影響からか、まるで白夜のように明るさを増していった。


「…、これ程の魔力が…ルイセには隠されていたのか…!」

「…驚いている暇があるなら、少しは反撃したらどうだ?」


低く呟いた累世は、いきなりライセの右腕に手をかけた。

そこに魔力を集中させることで、瞬間、肉の焦げたような匂いが辺りに漂う。


…言うまでもなく、累世が魔力で、兄の腕を焼いたのだ。


「!うっ…」


ライセは思わず顔をしかめた…その一瞬の隙をついて、累世がライセを掴んでいた手を離し、同時に蹴りによる強力な一撃を加えた。

突然の、脇腹を的確に狙ったその攻撃を、ライセは避ける間もなくまともに食らう。


そのままライセは、その勢いで、右に数メートルほど吹っ飛んだ。

が、何とか体勢を整え、地に足を着けると、ライセは自らの呼吸が今の一撃で荒くなり、更に口から血が流れていることに気がついた。


「……」


ライセは、流れていた血を、躊躇いもせずに手の甲で拭った。

…これから分かった事実が、もうひとつあった。


(魔力だけじゃない…

…筋力も、速さも…以前とは…遥かに違う!)


残っていたはずの人間くささが、凡そ感じられない。


それどころか、これは…間違いなく皇族クラスが持つ実力だ。

ならば…言葉通りだ。



…相手を殺らなければ、こちらが殺られる。



「…ルイセ、お前の望みとは、本当にそんなものか…?

俺に、魔力は要らないとまで公言し、拒んでおきながら…

お前の真なる願いとは、そんな愚かなものだったのか!?」

「…うるさい。今となってはもはやそんなこと…どうでもいいだろう。

俺の望みは力を手にすること、そしてこの世界を滅ぼすことだ…

お前の言う、戯れ言とは違う」

「!お前は、その戯れ言を…」


ライセは、言いながらも混乱していた。

…これでは、まるで立場が逆だ。


こんな甘いことを言うのは、ルイセの方だったはずだ。

…だが、見ても分かる。

いや、客観的に見て気付かされた。



理不尽な力の誇示が、どれほど醜悪なのかを。



「…かつてのお前は…、その戯れ言こそを重んじていたのではないのか!?

俺の攻撃にも屈せず、あれほど頑固に人間界に拘りを見せていたお前が!

そのお前が何故、今更ヴァルディアスなどに呑まれている!?」

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