交渉の行方
「…ここで間違いないのか?」
「ああ」
例の件で、再び闇魔界の皇帝・ヴァルディアスと話をつけるべく、精の黒瞑界の双子の皇子…
ライセと累世が、あれからきっかり一刻(30分)後に、ヴァルディアスの待つ湖の近くの崖へと、その姿を見せた。
勿論、累世は今だ魔力が覚醒していない状態なので、兄皇子であるライセの手を借りて、この地への移動を済ませた。
しかし、いくら事前に前提として、父親であるカミュの命令があったとはいえ、ライセは、累世と共にいること…
それそのものに、ひどい嫌悪感を感じていた。
そして、累世もそれを、肌で感じ取っていた。
だが、累世は先程の言葉が示す通り、別にそれで構わないと思っていた。
…程なくして、ヴァルディアスが上空から、その美しい容姿を見せる。
それまで沈黙を保っていた湖は、彼の魔力の前に屈服し、水を押し広げ逃がすことで、声にならない悲鳴を上げていた。
…ヴァルディアスの足下に、まるで巨石を落としたような波紋が広がる。
言うまでもなく、彼の溢れんばかりの禍々しい魔力が、これを作り出しているのだ。
自らも魔力を使うことが可能なだけに、ライセには、彼の持つ途方もない魔力の、ほんの一部が垣間見えた。
…自らと比較して、自問する。
(!こ…、こんな存在に…本当に太刀打ち出来るのか…!?)
…彼の魔力は、彼を構成するそれと相対するであろう、神の持つ能力にも等しい。
何よりも…漆黒の闇と鮮血が似合う、闇魔界の、美貌の若き皇帝。
彼の力は底知れない。
現時点でこちら側では、それなりの策を見い出しているのが、まだ魔力も扱えもしない不肖の弟・ルイセのみなだけに、より一層の不安が募る。
すると、それまでそんなライセの様子を、探るような目で窺っていたヴァルディアスが、次いでその眼差しを、ゆっくりと累世へ向けた。
「お前がライセ皇子の弟か。…成る程、良く似ているな」
「…、似ているのは外見だけだ」
上から下まで眺められた挙げ句に、兄と比べられたことで、思わず累世が不機嫌に返答する。
「機嫌が悪いようだな。…兄と比較されることは好まないか…」
低く呟いたヴァルディアスは、魔力を用いて、その体を一気に双子たちの元へと運んだ。
空中から湖を、何の造作もなく、一瞬で渡る。
その勢いと早さに、彼が双子の前に足をついたと同時、周囲にそれを追うように湖の水が舞った。
それによって、ほんの僅かに濡れた髪を拭うこともなく、ヴァルディアスは累世に、その宝石のような瞳を落とした。
髪が少し濡れていても、まるで構わないその自然体な彼の様子は、ただでさえ玲瓏な彼の美貌を、更に際立たせていた。
その艶のある、形の良い唇が、彼の表情に、より一層の色気を与える。
そんな、まさに人間離れしたような彼の存在を間近に見たことで、累世とライセは、自らが措かれた立場も忘れ、すっかり圧倒されていた。
「…ライセ皇子、母親を連れて来なかったか…
交渉は決裂だな」
不意に頭から浴びせられた言葉による現実に、双子たちは、はっと我に返った。
…そうだ、彼に見惚れている場合ではない。
彼に魔力で敵わないのは分かっている…
ならばせめて…、確実に言葉による先手だけでも取るしかない。
そんな覚悟を決めた累世は、身長でも自分に勝るヴァルディアスを、上目遣いに見た。
…累世の瞳が、ヴァルディアスを捉える。
「…唯香の、何が狙いなんだ?」
「愚問だな。…薄々気付いてはいるだろう?」
ヴァルディアスの屈託のない答えに、累世は大胆にも、肩を竦めた。
「まあな。だからこそ俺が来たんだ」
「息子のお前がか…?」
「ああ」
累世は、初対面で、しかも闇魔界という、ひとつの世界の皇帝に対して、いつもと全く変わらない口調で話していた。
しかし、彼の力の一端を知ってしまったライセには、とてもそんな真似は出来なかった。
それ故に、それでさも当然のようにヴァルディアスに話しかける、自らの弟を…ライセは唖然として見つめていた。
…単に怖いもの知らずなだけなのか、それとも…相手の力量を測れないほど愚かなのか。
あるいは、そう見せかけておいて、実はこれも彼の言う、策のうちのひとつなのか…!
その判断がつきかねたライセは、黙ったまま、累世とヴァルディアスを見比べていた。
累世が先手を打って、口を開く。
「先に言っておく。俺の母親である唯香は…
今、この…精の黒瞑界にいる」
「…何だと?」
ヴァルディアスが何かに気付き、同時に、とある疑問を持つ。
それと同時、彼には、累世が何故いきなりこんなことを言い出したのか、その全てが読めた。
「…お前は、この世界に居るという、母の存在を俺に知らしめることで、己の母そのものを、俺の攻撃を回避する手段とするつもりか…!」
「…、さすがに読みは深いな。その通りだ」
累世は、考えを読まれても、全く動じることなく答えた。
対して、ライセは確実にこのやり取りに呑まれていた。
…思い慕う母を盾に取った、危険度の高い駆け引き。
累世は、ヴァルディアスに、唯香がここにいると教えることで、この世界に攻撃を加えれば、彼がこうまでして手にしたいと望んでいる、唯香すらも巻き添えにしてしまうことを、彼の攻撃を封じる有効な手段として示したのだ。
勿論これは、ヴァルディアスが唯香にそれなりの拘りを持っていなければ無効になる。
その意味でも、彼の心情を測る、現段階でも最良の策といえた。
…攻撃を加えられるのを阻止し、なおかつ相手の腹をも探る。
言葉による防衛と追随…
これが累世の、あの時に思いついた策だった。
しかし、ヴァルディアスは、累世のそんな考えを見越してか、わずかに含み笑った。
「…確かに、唯香がここにいると分かっては、俺はこの世界に攻撃は仕掛けられない…
だが、それ以外のものには出来るということを…忘れてはいないか?」
「そう来ると予測していた。…分からないか? だから俺が来たんだ」
累世の答えに、ヴァルディアスは初めてその笑みを冷笑へと変えた。
「魔力の使えないお前如きが、俺を制すると?
大きく出たな。…だが、お前は俺を甘く見すぎている」
「…!」
瞬間、彼に威圧的な眼力で睨まれた累世は、自らの体に、何か静電気のようなものが走ったのを感じた。
その様を見ていたライセが、額にわずかに冷や汗を浮かべ、累世を連れてすぐさま退く。
「…まさか…魔力を解放し始めたというのか…!?
やはりお前如きの浅知恵では、闇魔界の皇帝には通用しないか…!」
「うるさい。浅知恵で悪かったな。どちらにせよ戦わなければならないなら、被害は少しでも少ない方がいいだろう?」
子供さながらに口を尖らせる累世に、ライセは一時、呆気にとられた。
「お前…、まさか、この世界のことを考えて?」
「…いや。今はそこまで気を張る余裕はない」
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