禁忌の嫉妬

「…父上」


まるでガラス細工を扱うかのように、大事に母親である唯香を抱きしめていたライセが、不意に、低く呟いた。

この時点で、ライセが何を言いたいのかを理解しているカミュは、腕を組むと、静かに頷く。


「フェンネルが帰還したようだな」

「…はい」


その、累世と全く同じ蒼の美しい瞳に、累世には凡そ見られない類の鋭さを見せたライセは、ゆっくりと母親を離した。

…人間界に送り込んだ、六魔将の帰還…

それが意味することを、ライセは充分に理解していた。


…理解はしていたが。

よもや、このタイミングでとは…!


心底、忌々しげに臍を噛むと、そんな自らの様子を見て戸惑う母親…

唯香に声をかける。


「母上、お逢いしたばかりだというのに、申し訳ありませんが…俺には急用が出来ました」

「えっ?」


逢瀬すら充分に出来ないのかと、唯香が悲しげな表情をすると、それを見かねたらしいカミュが、組んでいた手を崩し、ライセに話しかけた。


「…ならば、ここは俺が引き受けよう。

お前は早く、その急用とやらを済ませてこい」

「はい、父上」


ライセは一礼すると、魔力を用いて姿を消した。

そんなライセの様子を気にしたらしい唯香が、不安そうにライセが消えた場所を一瞥し、俯く。


「…ライセ…」

「随分と情が深いようだが…、あれのことは気にする必要はない」


カミュが素っ気なく言い捨てる。

それに唯香はこめかみを引きつらせ、目くじらを立てた。


「…相変わらず底無しにクールなんだから…

でも、カミュ…、母親が息子のことを気にかけるのは…当然のことなんじゃないの?」

「……」


唯香の言い分を聞いていたカミュの瞳に、不意に剣呑な光が浮かび上がった。


…その言い分では、あいつも同様なのだろう。

心配して、気にかけて…庇おうとするのだろう。

失せたはずの記憶が戻れば、またあいつに溢れんばかりの愛情を注ぎ、過保護とも呼べる愛着を示す。


…そう、こちらがそれを望まなくとも…!


「お前が俺やライセに向ける感情は、あいつに向けるそれとは明らかに違う…!」

「…え?」


意味が分からずに問い返す唯香に、カミュは、知らずに自らの苛立ちを口にした。


「…、あのような扱いでは、やはり生ぬるい」


カミュは意図的に拳を固めた。


…そうだ。

唯香があいつを忘れていても、あいつ…ルイセの方が覚えている。


現段階で下手に向こうから介入されてしまえば、喪失させたはずの、唯香の記憶が甦りかねない。


「…!」


ここまで考えて、カミュは気付いた。

極めて簡単なことだ。

…これら全てを片付けるには…


“ルイセを殺せば事足りる”。


あいつは自分の息子ではない。

あいつを…ルイセを生かしておく価値などない。

唯香の愛情の全てを奪った、あいつなど…!


躊躇わずに、その未成熟な、柔らかい体を引き裂き、流れ出る血を飲み干し…

その屍を冷たい野にでも打ち捨ててやればいい。


そう…

ただそれだけのことで、全てが終わる。


…だが、そうなると…


「ライセだけに任せてはおけないだろうな」


ルイセの魔力は、今は覚醒してはいないが、そのレベルは想定できないことはない。

恐らく、ライセと同様か…あるいは、ほぼ互角なはずだ。

ライセが単独で、自らと互角の力を持った双子の弟を相手にするには、多少、荷が重い。


…だが。

例え力及ばなくとも、ライセには良い刺激になるはずだ。

何より、人間界に染まった者に負けるなど、許されることではない。


「殺めるのはいつでも出来る。不本意だが、少し様子を見るか…」


見極めなければならない。

ライセが、あいつに勝るのか否か。


必ず勝るようでなければならない。

劣ることなど…“決してあってはならない”。


「…ねえ、どうしたの? カミュ」


よほど険しい表情をしていたのか、唯香がおどおどと尋ねてくる。

それにカミュは、ルイセに宛てて増幅したはずの憎しみを、一瞬にして消失させた。


しかし、その代わりに、血に飢えた彼を支配した感情は…


「…唯香」

「!? まさか…」


カミュが求めるものに気付き、唯香が拒絶の意志を露にする。

構わずに、カミュは唯香に近寄り、その体を強く引き寄せた。


「!いやっ…」


激しく首を振って悶える唯香を、カミュはその両の手でもって拘束した。


…それは、束縛という名の独占欲。

自分の手元に置いておかなければ気が済まないところは、どこか自己満足に近い。


何度血を得ても、数え切れないくらい体を重ねても、その全てが満ち足りない。


唯香はあくまで個人なのだから。

その全ては、望んで得られるものではない…!


“唯香を求めている”。

…この体も、この心も。


自分はいつからこうなった?

一体いつから、こんなつまらない女に拘るようになったのだろう。


そして、何故…

未だ微弱な魔力すら感じられない脆いあいつに、こんなにも苛立ちを感じるようになった…?


「…カミュ! やめて! 離して!」


…!

そうか…

これが原因か…!


「俺を拒むお前など…、壊れてしまえばいい!」


望んでも、求めても…

それでも手に入らない玩具なら。


いっそ綺麗なまま、壊してしまえばいい。

まだ罪を知らない無垢な子どもが、純粋に微笑みながらも、一本一本…虫の足をもぎ取るように。


…例えそれによって…

周囲が移ろおうとも。


誰かに手に入れられる、その前に…!


「…俺は以前に言ったはずだ…

お前が壊れるまで、永遠に支配してやると」

「!か…、カミュ…!」


唯香がさすがにカミュの雰囲気に呑まれる。


…それでも。

自分の言い分を理解して欲しくて。

更に自分の考えを認めて欲しくて…


唯香は、怖さに震える体を押さえながらも、必死に言葉を紡いだ。


「…あ…、あたしは…、あなたに…何もかも奪われた…!

体だって、心だって…

その考えも、精神も…、一時の自由すらも、奪われたのよ…?

なのに、あたしからまだ奪うものがあるの?

…まだ何か、壊すものがあるの!?」

「!…煩い…」


カミュが、忌々しげに唯香に鋭い目を向けたが、感情がヒートアップしている唯香は、怯むこともなくカミュに食ってかかる。


「“……”だってそうでしょ!?」

「…!」


無意識のうちにでも、思い出しかけたように息子である累世の存在を示唆する唯香に、とうとうカミュの怒りが爆発した。


「聞こえなかったか!? 煩いと言ったはずだ!」


それのみで万人を平伏させるような、威厳ある声で鋭く叫んだカミュは、不意にその左手に、敵を相手にする時のような、強大な紫の魔力を集中させた。


「!え…、な…に…?」


唯香がそれに気付くと同時、カミュは躊躇うことなく、唯香めがけてそれを放った。


カミュの双牙がわずかに軋む。

同時に、唯香にその途方もない威力の魔力が直撃した。


「!ぃ…やぁあぁっ!」


あまりの威力に、唯香は喉を振り絞るようにして、絶叫にも似た悲鳴をあげた。


体中の皮膚が焼け付くように

その血が一気に沸騰するように…

急激に熱さを増す。


それは、さながら…生きながら火葬されるかのようで。

あまりの熱さに、唯香は次には言葉を全て失い、自らの身を両の手で押さえながら、なす術もなくその場に膝をついた。


…その、17年前と全く変わらない顔には、かつて経験したはずの絶望が、別な痛みを伴って…

再びその表情に刻まれていた。


「…ふ…、さすがに只のヴァンパイア・ハーフではないな。これで死なないとは…!」

「…!」


嘲るように笑みを浮かべるカミュに、唯香の背筋が、自然、凍りついた。


…カミュの言うことが本当なら…

では、只の…

普通のヴァンパイア・ハーフは…この攻撃を食らえば…“死ぬ”…!?


ということは、カミュは…同胞を殺せるような…

否、充分に殺めることが可能な攻撃を、自分に仕掛けたのか…!?

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