人間《ひと》だからこそ

将臣がその目を、マリィからカミュへと移した時…

将臣の持つ雰囲気は、マリィや唯香に見せるそれとは、がらりと変わっていた。


「!」


それに、獣さながらに的確に反応するカミュに対して、今度は唯香が言葉による威嚇を行うべく、前面に出た。


「カミュ! あなたは一体どうしちゃったの!? いくら記憶を失っていたからって、仲間をいきなり殺したり、マリィちゃんまで殺そうとするなんて…!」

「…、うるさい女だ…、貴様こそ、たかが人間の分際で、何故そこまで俺に関わろうとする?」


うんざりした口調で、カミュが呟いた。

目の前にいるこの女を殺すことなど、赤子の手を捻るより簡単だ。

…だが、ここまで自分に拘りを持つその心境が、どうも解せない。


「…あたしは、記憶を無くした彼こそが、あなた自身なんだと思ってた…」

「…?」


「記憶を失っていたあなたは、それでも…自分があたしたちとは違うって分かってた…

体が欲しがるものも、持っている力も…、みんな人とは違っているって分かっていたのに、カミュは…、今のあなたみたいに、人間を蔑んだりはしなかった…!」


「!…っ」


カミュは、注意していなければ見過ごしてしまうほど、わずかにその眉根を寄せた。

その瞳の奥深くには、人間相手には今まで見せなかったはずの、焦燥感がある。


「カミュ、お願い…! 人間を好きになってとは言わない。…そこまでは言わないから…、せめて蔑むのだけはやめて!」

「!…」


この唯香の訴えに、カミュは今度こそはっきりとした迷いを見せた。

それは、この時の唯香の表情が、彼の中には到底あり得ないはずの、ひとつの【記憶】と…ひどく重なったからに他ならない。

…そして、その【記憶】の中の彼女も、今と同じ表情をしていた。


…どこか寂しげに、それでいて… 悲痛に訴えていた。


…カミュは、次には何故か、その瞳に潜められた剣呑さを消し去った。

そのまま乾いた口調で、淡々と訊ねる。


「…お前は確かに人間だが、同時にこの世界の…闇の血をも引いているはずだ。

なのに何故、そこまで人間側のみに固執する?」

「…、あたしは、自分を人間だと思ってるから…」

「…そんな下らない理由で、お前は我々を否定するのか?」

「!えっ…」


「…我々は、互いに殺し殺され合い、人間を餌としてしか受け入れない種族だ…

お前は…半分は我らの同胞でありながら、それを認めないというのか!?」


「!」


カミュの言い分は、唯香と立場を完全に逆転させたものだった。

唯香は、あくまで人間側に立って、そちら側の意見に基づいて、カミュに分かって貰おうとした。が、カミュの側からすれば、それ自体が既に異端なことなのだ。

…人間側が吸血鬼の思惑を理解出来ないように、吸血鬼側もまた、人間の考えや言動は心外で、到底、相容れないものなのだ…!


そこには、種族という名のひとつの枷と拘りが、はっきりと見てとれた。


…程なく、沈黙していた唯香が、思い切ったように口を開く。


「…でも、吸血鬼は…、餌として当然のように人間の血を吸うけど、人間側は…よほど酷く血を吸われたりしない限りは、吸血鬼には危害を加えてないんでしょ?」

「!」


この唯香の言葉が引き金となり、カミュの脳裏には、かつてのとある記憶が甦った。


「そんなことを平然と言えるのは、お前が真実を知らないからだ…!」


…いつの間にか、気持ちが口をついて出ていた。

それに自らが気付いた頃には、唯香の驚いたような目が、食い入るように自分を見つめていた。

その視線を浴びるのが、どこか苦痛で…

カミュは、この話題を打ち切ることにした。


「…、話はもういいだろう。お前は退いていろ…

すぐにでも、この厄介な刻印を解除して貰わなければならないからな」


カミュがマリィに、殺気立った目を走らせると、それによってマリィはますます怯え、将臣に強くしがみついた。

その手が恐怖で震えているのを察した将臣は、刹那、目を伏せる。


「…マリィは、俺と唯香にとっては、妹のようなものだ…

お前の一存だけで、殺させるわけにはいかない」

「…ふ…、さすがにあのレイヴァンの息子だ…

言うことが違うな」


カミュが、意図的にそう告げると、周りを取り巻く吸血鬼たちの反応が、明らかに変わった。

…先程までの、人間相手に向けていたはずの、疎ましさを露にした視線は全て消え失せ、代わりに浮き彫りになったのは、力ある同族の血を引く子に対しての、強い憧憬と尊敬の感情だった。


…そんな吸血鬼たちの、手のひらを返したような反応に、将臣はあからさまに不愉快な表情で周囲を一瞥した。


「…同族の血を…、レイヴァンの血を引いているというだけで、こうまで対応が変わるのか…?」


…それだけ、同族の…、否、レイヴァンの血を引いていることの意味は大きいのだろう。

いくら皇族であるとはいえ、カミュの言葉を、こうもあっさりと彼らが受け入れたのは、事前に前提として、自分と彼らが戦っていたからだ。

…少なからず魔力を持つはずの吸血鬼を、ただの人間であるはずの自分が…、対等以上に戦い、叩きのめすことが可能だったからなのだ。


…しかし、これは自分の力ではない。

間違いなく、六魔将随一の実力を持つ、レイヴァンの血を引いている…

ただの【影響】だ。


「父親のことは、今は関係ない…!」

「だが、レイヴァンの名を出すことによって、以前よりは動きやすくなったはずだ…」


将臣の言葉を受け、カミュは即座に切り返した。

それが事実なので、将臣はほんの一瞬、返答に詰まる。

そのわずかな隙に、カミュは魔力によって、将臣たち三人のすぐ近くに移動した。


「!」


兄の接近に気付いて、マリィが身を強張らせる。

それに将臣が反応するや否や、意外にも、体を張って止めようとしたのか…

唯香が、カミュに強く抱きついた。


当然ながら、カミュは瞬時に、強い嫌悪感を露にする。


「!…貴様、何のつもりだ!?」

「カミュ、もうやめて! …こんな小さな子を、これ以上怯えさせないで!

殺すなら…、そんなに殺したいなら、あたしから殺せばいいじゃない!」


きっぱりと言い放って、唯香はカミュを、怒りを含んだ目で見つめた。

それに、将臣はおろか、当の本人であるカミュまでが絶句する。


「…本気か? どうしてお前はそこまで… !?」


言いかけたカミュは、首元にある例の刻印の異常に気がついた。

…体に何ら変調はないのに、刻印を付けられた場所だけが、熱を持ったように熱い。


「…何だ…これは…」


もはや唯香には厭わず、カミュが呟くと、その刻印は次第に、第二の心臓たるかのように、強く脈打ち始めた。

…すると、直径2センチほどだったはずの、例の薔薇型の刻印が徐々に広がり、それに比例して、色もだんだんと真紅に近づき始めた。


次の瞬間、どくん、と、カミュの心臓が跳ねた。

それと同時にカミュは、異常なまでの喉の渇きを覚え、思わず口元を強く押さえる。


「!なん…だと…!?」


カミュは、自らの欲しているものに気付いて、愕然となった。

渇いているというのに、体が欲しがっているのは…水ではない。

明らかに、人間の血液だった。


「!な…、何故、こんな時に…、これ程までに…血が欲しくなる…!」


呟いたカミュの息づかいは既に、何らかの禁断症状が現れた時のように、酷く荒いものへと変化していた…が、この時には事実、この症状は、カミュ自身の意志では抑えつけられないところまで進んでいた。


「!…う、…あ…」


カミュの口から、何かを必死に堪えるような声が漏れる。

その様子には、先程までの高慢さは影もない。


唯香が、心配そうにカミュに目を向けた時、その首元に巣食う薔薇は、自らの存在を証明するかのように、美しく、燦然と輝いていた。


「…ぐ…、う…うっ…」


カミュが苦しげに唸りをあげる。

それに唯香は、どうしたものかと戸惑ったが、あることに気付くと、自分の首元へも目を向けた。

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