意外な事実

将臣に指定された部屋の前まで来た唯香は、目の前を遮る扉を、壊れんばかりの勢いで開いた。

それに驚いた将臣とマリィが、一瞬にしてそちらに目を走らせる。

いくら近距離とはいえ、焦って走ったせいもあって、唯香の息は少し乱れていた…のだが、そんなことにはまるでお構いなしに、唯香は将臣に話しかけた。


「兄さん! カミュ… カミュはどうしたの!?

自分の世界に帰っちゃったの!?」

「!…唯香…、まさか…お前、記憶が…?」

「記憶? 記憶って何!? どういうことなの!? ねぇ、兄さん…!」


食ってかからんばかりの唯香の様子に、マリィは口を挟めずに目を大きく見開いている。

その様子を横目で見た将臣は、唯香に視線を戻すと、少しの間、黙り込んだ。


興奮している唯香を鎮めるには、これが最良だと判断したからだ。

…案の定、少し経つと、唯香はおとなしくなり、乞うように将臣を見つめた。


「…、取り乱したりしてごめんなさい、兄さん」

「…いい。お前が逸る気持ちは分かっている。

その格好を見てもな」


指摘されて、唯香は改めて自分の格好を見た。

着替えて来い、と言われたのを思い出し、恥ずかしさで思わず顔が赤くなる。


それを軽い溜め息と共に一瞥した将臣は、もはやそれには触れず、唯香とマリィに近くにあったソファーに座るように促した。


…この時、唯香はまるで気にもとめていなかったが、この場にサリアはいなかった。

どうやら、将臣を信頼に足る人間だと判断し、他の六魔将との接触を試みたらしい。


…唯香とマリィは、促されるままにソファーへと座った。

そこには手際よく、何種類かの飲み物が用意されていた。

将臣はその中のひとつ、アイスコーヒーの入ったグラスを手にすると、徐に一口飲み、ゆっくりと口を開いた。


「…前提として先に話しておこう。

唯香、お前は一時、記憶を失っていた」

「…記憶を…?」


近くにあった、アイスティーを取りながら、唯香が意外そうに問い返す。

それに、将臣は頷いた。


「言いにくいことだが、カミュがお前に攻撃を仕掛けたことが原因だ。…お前は相当ショックを受けたようで、それによって記憶を失った」

「…、それなんだけど、兄さん…、カミュは…」

「……」


将臣は手にしていたグラスをテーブルに置くと、冷静に呟いた。


「…カミュは、例の闇魔界の公爵…ルファイアに攻撃を加えられた後、以前の記憶が全て甦ったらしく…、かつての人格が現れた。

その後は、お前も知っての通りだ…」

「うん…」


唯香の表情が曇った。



…変わってしまったカミュ。

しかし、その変わってしまった彼こそが、本来のカミュ=ブライン…!



「…ねぇ、兄さん」


その事実が頭から離れないまま、唯香は自らの混迷の答えを求めるかのように、兄に問うていた。


「カミュは…、もう、あたしのこと、嫌いになったのかな…」


…そう。

忘れられない。


あの時、自分に向けられた、あの…

拒絶の中に含まれた、深い憎悪を。


忘れることは出来ない。


「……」


一方の将臣は、妹を思えばこそ、真実を語ってやりたかった。

だが、ここで自分が話してしまえば、唯香はなお…彼を求めてしまうだろう。

そうしてまた、精神が壊れてしまうことだけは、何としても避けなければならない。


「…いっそ、綺麗に忘れられればいいんだろうがな…」


将臣が無感情に呟いた。

…そう。忘れられるなら…

否、忘れてくれれば一番いい。


だが。

今までの、そして全ての二の舞だけは御免だ。


一度壊れ、辛うじて繋がっている状態の脆い神経は、恐らく二度は耐えられないだろう。

跡形もなく壊れてしまうのが時間の問題なら。

…それならばいっそ…!


「唯香、お前はこれからどうしたい?

…例えその全てが叶わないとしても、お前はカミュに…、何を望む?」


…将臣は、唯香の心に用意されているであろう解答を知りながらも訊ねていた。

知っているのに訊ねるというなどという愚の骨頂的な真似は、普段は全くしない方なのだが、今回ばかりはあえて訊いてみることで、唯香の…本心からの決意を知りたかったのだ。


案の定、唯香は、精神が擦り切れていたとは思えないほど、気丈に、きっぱりと答えた。


「カミュに会いたい! …カミュに直接会って、一通りの話を聞いてみたい!」

「そうする為には、今後どうしなければならないのか、分かるか?」


将臣が、間髪入れずに問う。それに、唯香ははっきりと、深く頷いた。


「うん、分かってる。カミュのいる世界へ行かなきゃいけないのね?」

「ああ」


将臣が答えると、マリィが思わず驚きの表情を浮かべた。


「えっ…、でも、将臣…

将臣たちの体は、マリィたちとは違うから、もしかしたら、あの世界には適応しないかも…!」

「…その心配は無用だ、マリィ」


何故か、将臣が確信めいた言葉を口にする。

それに何となく引っかかった唯香が、すぐさま兄に訊ねた。


「兄さん、聞いてもいい? どうして心配しなくてもいいの?」

「…時期尚早なのは認めるがな…」


将臣は深く息をつくと、その視線を、自らが少し手をつけたままのアイスコーヒーに向けた。


「…唯香…、よく聞け。お前はまだ知らないことだが…

俺たち兄妹は、普通の人間ではない」

「…え…!?」


唯香の表情が、驚きと疑惑で強張る。

その顔を直視できず、将臣はアイスコーヒーから目を逸らさずに続けた。


「お前には話したことは無かったが…」


いったん、言葉を切る。

…理性では話すと決めたものの、やはり感情が邪魔をする。


しかし、ここで立ち止まってはいられないのは周知の事実だ。

…何より、本人が知りたいと望んでいる。

そして、事は既に動き出してしまっている…!


将臣は意を決すると、今度は唯香の視線を、真正面から捉えた。


「実は、俺たちの父親は…、元々、カミュのいる世界に住んでいた」

「精の…黒瞑界に…!?」


この事実を初めて聞いた唯香のみならず、マリィも驚きで目を丸くする。

例の空間から出てきて、まだ日も浅いマリィは、このような所にまで同胞の子孫がいる【事実】…

ひいては、将臣がこれから話すであろう【真実】にも、全く想像すらついていなかった。

その反応を、ひとつの事実として受け止めながらも、将臣は更に先を続けた。


「…俺たちの父親は、皇族の側近として名高い、六魔将と呼ばれる実力者のひとり…

レイヴァン=ゼファイルだ…!」

「レイヴァン…!?」


全く想定していなかった、意外な名を耳にして、思わずマリィが上擦った声をあげた。


…直接会ったことはなくとも、彼のその働きと評価は、例の空間内にいる時に、嫌というほど父親から聞かされていた。


皇族と互角ともいわれ、六魔将の中でも飛び抜けた、凄まじいまでの魔力の持ち主。

そして、時すらも操ることができる、その強大な魔力を評価され、【時聖しせい】の二つ名を与えられた青年…

“レイヴァン=ゼファイル”。


…彼のことを語る時の、父親の表情は…

酷く誇らしげでもあり、また、どこか寂しげでもあった。


…姿を眩ませた、最強の六魔将・レイヴァン。

その血を引く子どもが、このような地にいるなどとは、誰しもが想像し得ないだろう。


しかし、一般には…というより、人間には凡そ知られていないはずの、レイヴァンの名を知っているということは、それだけで彼の言葉の真実性が裏付けられるということだ。


「…将臣と…唯香が…、二人とも…レイヴァンの…子ども?」

「ああ。…つまり俺たちは、ヴァンパイア・ハーフと呼ばれる存在だ」

「!ヴァンパイア…ハーフ!?」


マリィが我知らず、固唾を飲み込んだ。

何故なら…


「じゃあ…将臣たちは、マリィと一緒なの!?」

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