第23話 クサヤと猫族とシーハンターギルド
一月ほど前、あの町を追い出された俺が次に向かったのがこの漁師町であった。
目的はズバリ魚だ。
特に新鮮な海の魚は、生で食べることが出来るという話を行商人からフェリスを通して聞いて以来、一度は食べてみたいと思い続けていたのである。
俺はシショウを『猟犬』と偽って一緒に町へ入ると、真っ先にナーントハンターズギルドへ向かった。
だが――
「Fランク? この町じゃFランクどころかそれ以外の依頼も滅多に出ないんだよね。あるトすれば護衛くらいだが」
受付の冴えないおっさんが、鼻毛を抜きながらそう言った。
ギルドの中も今までで一番寂れていて、ほとんど人影がない。
「この辺りは魔物が少ないのか?」
「そうだなぁ。陸の方は来た時に見ただろうけど平野ばかりで森も山も近くに無いから魔物が寄りつかねぇんだわ」
たしかに魔物というのは魔素の強い場所で生まれ、生活する生き物だ。
魔素は森や山やダンジョンのような場所に多く、木々の少ない平地ではかなり薄い。
魔素濃度が低い場所で暮らすコボルトであるシショウも、この辺りは魔素が薄いからか「ゴシュジンの飯をいつもの倍は欲しイ! 腹減っタ」と言っていたくらいだ。
どうやら俺の料理は魔素代わりになるらしい。
理屈はわからないが、シショウが喋れる様になったのもやはり俺の料理が原因なのでは無かろうか。
「じゃあ、他のハンターたちはどうやって生活してるんだ?」
「そりゃおめぇ、シーハンターギルドに並行して登録してそっちで稼いでんだよ」
「シーハンターギルド?」
「なんだ、お前さん知らないのか。もしかして漁師町は始めてか?」
「ええ、まぁ。今までは山の方でずっと暮らしてたから」
それじゃしかたねぇな、とギルド職員のオッサンは鼻毛を抜くのを止めて説明してくれた。
海沿いの町で、貿易を生業にしていないナーントのような漁師町は、基本的に魚を獲って加工して売るという漁業で生活を成り立たせている。
俺は山の方にあった町でも干物や魚醤などが商人によって運ばれてきたのを思い出した。
そして、その魚を獲る漁師を守るハンターが所属するのがシーハンターギルドというわけである。
「なんせ陸には魔物はいねぇが海にはいるからよ。ハンターと一緒じゃねぇと海に出て魚なんて捕れねぇんだよ」
「海にも魔物がいるのか……。たしかに川にも魔物がいるから当たり前か」
「それでもヤッパリ稼ぎはあまり良くねぇからよ。力のあるハンターどもはどんどん内地にいっちまうんだ」
「そうなのか」
「だからお前さんみたいなFランクハンターでも仕事はもらえるはずだぜ。まぁ一応経歴見る限りハンター歴は長いみたいだしな」
おっさんは抜いた鼻毛に息を吹きかけて飛ばしながら、俺が渡したハンターカードを投げ返してきた。
「一応こっちにも登録はして置いたから、護衛の依頼でも出たら呼んでやってもいい。でもまぁ、Fランクハンターを雇う物好きはいねぇだろうけどな」
それだけ告げるとおっさんはまた鼻毛抜き作業を再開する。
どうやらこれ以上話していても無駄のようだ。
「じゃあシーハンターギルドとやらに行くか」
『わんっ!』
俺は足下で暇そうに待っていたシショウにそう声を掛けるとギルドを出ようとスイングドアに手を掛けた。
「そうそう。言い忘れてたが――」
その背中にギルド職員の声が掛かる。
「この町だけじゃねぇが、海辺の港町は猫族が多いからそこの犬っころが襲いかからねぇように注意しろよ」
「この犬は賢いから大丈夫さ。ここまで来る間も何回もすれ違ったからな」
「それならいいが、猫族ともめごとを起したら町には居られねぇと思っておけよ。あとシーハンターギルドは港の方にあるから」
「親切にどうも。わかったかシショウ?」
『わふっ』
俺は元気に返事をするシショウを連れて、職員に軽く手を振りながら町へ出る。
魚のような独特の海の臭いが鼻腔をくすぐる。
普通は海に来たことが無い人は、この臭いに顔をしかめるらしいと門兵は言っていたが、俺にとっては魚を連想させる香りにしか思えず、思わず涎をだしそうになったほどで。
それはここまでの旅の間、行商人から今まで仕入れた干物を食べ続けたシショウも同じだったらしい。
「とりあえずシーハンターギルドとやらに行ってみるか」
『新鮮な魚、早く食べたいゾ、ゴシュジン』
「落ち着け。まずはこれからの稼ぎ場所を決めてからだ」
ここまでの旅路と、この町に入ってからわかったことが一つある。
どうやらシショウの言葉は俺以外には普通の犬の鳴き声にしか聞こえないらしい。
途中の宿場でクサヤという魚の干物を焼いた時のことだ。
行商人が珍しい物があると言うのでフェリスを通じて買ったものだったが、今まで食べる機会が無かった。
なので俺は宿の部屋でそれを食べることにしたのだが――
予想外に猛烈な臭いを放ち、あまりの臭いにシショウがのたうち回ったのである。
しかし、騒ぎに何事かと飛び込んできた他の客や宿の主人には、どうやらシショウの言葉はわからなかったらしく、犬が吠えて騒いでるようにしか思わなかったらしい。
まぁ、結局その宿についてはシショウの鳴き声の騒音だけでなく、クサヤの臭いと、部屋の中で料理をしたことで無事強制退去となったわけだが。
一応
なので、俺は人前でもシショウと会話が出来るようになった。
問題は見た人に『犬と喋ってる寂しい人』と思われているらしいことくらいだが。
そういうのはもう慣れている……うん。
『ゴシュジン、どうしタ? 寂しいことでもあっタカ?』
「いや、大丈夫だ」
『じゃあ早くシーハンターギルド行こウ。シショウ待ちきれなイ』
口から涎をポタポタ落としながらそう吠えるシショウに俺は苦笑しながら職員に教えて貰った港へ向かった。
途中、何人かの猫族や猫とすれ違う。
中にはあからさまにシショウの姿を見て避けていく猫族もいたが、大抵は無視された。
まぁシショウが常に楽しそうに尻尾をフリフリしながら歩いていたというのもあるのだろう。
「ここだな」
やがてたどり着いたそこには明らかに先ほどのハンターギルドより立派なシーハンターギルドと書かれた建物があった。
中からも威勢の良い声が聞こえてきて、人との関わり合いが苦手な俺は入るのを少し躊躇してしまった。
だが、虎穴に入らずんば虎児を得ず。
シーハンターギルドに入らねば明日の飯も美味い魚料理も得ずだ!、と扉を開いた。
中には日焼けした屈強な男たちが、真っ昼間からエールのジョッキをあおりながら騒ぐ姿があった。
あとから聞いた所に寄れば、漁師の仕事は基本的に日が昇る前の朝から始まり、この時間にはほとんど終わっていたとか。
俺はなるべくその人たちに見つからないようにコソコソとシーハンターギルドの受付へ向かう。
そこには厳ついシーハンターたちとは真逆の、少し背の低い少女が耳をピコピコさせながら魚を咥えて何かを読んでいる姿があった。
どうやらシーハンターギルドの受付は、この猫族の娘らしい。
俺は小さな声で彼女に「すみません。ちょっと良いですか?」と話しかけた。
「ニャ?」
騒がしいギルドの中では聞こえないかと思っていたが、どうやら彼女は相当耳が良いらしい。
俺は自分のハンターカードを差し出しながら「シーハンターギルドに登録したいんですが」と言った。
「新人さんかニャ?」
「今日この町に来たばかりです」
「じゃあ……」
受付カウンターに乗り出しながら俺のハンターギルドを確認していた猫娘の動きが突然止まった。
その猫娘の目は、ハンターカードのさらに下を向いていて。
『わんっ!』
そこにはシショウが可愛らしくお座りで、俺の登録が終わるのを待っていた。
「にゃにゃにゃにゃああああああああああっ」
しばしの沈黙のあと、猫娘が突然大声を上げカウンターの後ろに転がり落ちていった。
「えっ、何」
「なんだなんだ」
「今、ニーニャの悲鳴が聞こえたぞ」
「カウンターにいねぇ。何処行きやがったんだ」
「おい、見ねぇ男がいやがる。彼奴が何かしたにちげぇねぇ」
そうして何が起こったのか理解する間もなく、俺はやっとたどり着いた念願の港町で屈強な男たちにいきなり取り囲まれることになったのであった。
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