第5話 看板娘と調味料

 ギルドを出た俺は、一人で町の繁華街へ向かう。

 既にかなり日は落ちて、そこら中に松明や魔法の灯りが輝きだしている。


 目的地は繁華街の中程にあるフェリスという店だ。

 昼間は食堂、夜は酒場になるその店は、門番のギリウスの行きつけでもある。


 時間が合わないせいで、滅多に一緒に食事をすることも無いが、なんだかんだとこの町に来て一番仲良くなったのはギリウスだった。

 この店も彼の紹介でやってきて、それ以来ずっと利用している。


「今日は夜勤だって言ってたから居ないだろうけど」


 俺は独り言を呟きながら店の扉を開ける。

 途端、店の中から活気溢れる客の声が飛び出してきて、俺は慌てて中に入るといつもの指定席である店の隅に向かった。

 そこはこの店の中で一番静かな場所で、少し薄暗い所もお気に入りである。


「いらっしゃい! なんだ、ユーリスか。いつもので良いかい?」


 店の中を大量の食器を持って動き回っていた給仕のフェリスが、俺の姿をみて声を掛けてくる。

 大きな声の活発娘は俺より少し年上で、ギリウスが絶賛片思いをしている相手だ。


 名前からわかるように、この店は彼女の名前から付けられている。

 親馬鹿が高じた結果らしいが、今では立派な看板娘だ。


「ああ。それと例のものは入った? あと卵と」

「出入り商人に頼んだ奴だね。あれなら昼に届いて置いてあるよ」


 先週、フェリスにはあるものを入荷してくれるよう頼んだ。

 まだあまり出回ってないものなので、町の店では売ってないからだ。


「ありがとう。なかなか個人じゃ買えなくてさ」

「お得意さんの頼みだからね。あとで卵と一緒に持ってくよ」

「あっ、サラダはドレッシング抜きでお願い」

「あいよ」


 彼女は笑顔でそう答えると、店の奥へ入っていく。

 店内の客は十人ほど。

 カップルもいればハンターパーティらしき客もいる。


「そして俺だけひとりぼっち……っと」


 俺は収納魔道具マジックバッグから手帳とペンを取り出すと、ペンに光魔法ブレシングライトでささやかな光を宿らせる。

 その光で手帳を照らしながらページをめくっていく。

 紙面には『正』という記号がぎっしりと書き込まれていて、知らない人が見たらかなり不気味に思えるだろう。


「これも爺さんに教えて貰ったんだっけな」


 物心着く前から俺は山奥の更に奥にある村で、祖父と二人で暮らしていた。

 両親のことは何も知らない。

 祖父に聞いても村人に聞いても何も教えて貰えなかったからだ。


 その村は高齢者ばかりの村で、今考えると不思議な村だった。

 だけど当時の俺はそれが当たり前だと思っていて、不思議などとは思わず。

 そんな村の老人連中から、幼かった俺は色々なことを教わって育った。


「大きくなってから苦労しないようにって剣も魔法も鍛冶も料理も計算も読み書きも教えて貰ったけどさ。一番苦労してるのは他の人との付き合い方なんだよな」


 毎年、櫛の歯が抜けるように年老いた村人たちは亡くなり、最後は俺と祖父だけになった。

 祖父は他の村人以上に物知りで、この『正』という記号での数の数え方も彼から教わった。


『この文字はな。まちがいがないという意味があるんじゃ』


 それ以来俺は、数を記録する時はこの方法を使っている。

 今この手帳には178個の『正』と、横線一本が書かれている。

『正』一つが5で、書きかけの横線が1。

 つまり記録されている数は891となる。


「今日の成果は26だから、26回線を書き足してっと」


 手帳に残っていた横線に線を四本付け加えて『正』を作る。

 そして続けて4つ『正』を書いて、最後にのこり二本の線を書いて終わりだ。

 これで手帳の最後の『T』まで合わせると合計で917になった。


「917か。これで残りは83匹だな」

「83匹ってなぁに?」


 手帳に書かれた数に集中していたせいだろうか。

 フェリスがお盆を持ってやって来ていたことに気がつかなかった。


「いや。今まで討伐した魔物の数を記録しててさ」

「ふーん。あ、これいつものスープとサラダ、ドレッシング抜きね」


 聞いておいて大して興味は無かったのか、フェリスはお盆からスープの入った大きめのカップとサラダの入った皿を置く。

 そしてその横にバスケットを同じように置くと「全部で3万512イーエンだけど、3万に負けといてあげるよ」と言い残しフェリスは別のテーブルから呼ばれ去って行った。


「どれどれ」


 俺はスープとサラダをいったん脇に避けてバスケットを目の前に持ってきて中を覗き込む。

 そこには新鮮そうな卵が十個と少し大きめの瓶が一つ入っていた。


「とりあえず先に卵を仕舞って――」


 収納魔道具マジックバッグに卵を全部仕舞い、次に瓶をバスケットから取り出す。

 ずっしり重い瓶をゆっくりとテーブルの上に置き、横に張ってあるラベルを光魔法ブレシングライトの効果の残るペンで照らして読む。


「えっと……マヨソースで間違いないな」


 俺がフェリスに頼んでまで入手したのは、最近王都で話題の調味料『マヨソース』だった。

 王都に住む料理研究家マヨ・ネイズ氏が考案したこの調味料の話を酒場で耳にした俺は、是非一度食べてみたいと思っていたのだ。


「さっそく使ってみるか」


 俺はマヨソースの瓶の封を取って瓶を開ける。

 ほのかに卵と酢の香りが漂う。


「美味しそうな匂いだ」


 少し匂いを楽しんでから収納魔道具マジックバッグから自分で作った匙を一本取り出す。

 そしてその匙を瓶の中に突っ込みひとさじ掬い取ってサラダの上にかけてみる。

 少し黄色が買った乳白色の粘性の高いマヨソースは、いつものドレッシングのように流れていかない。


「それじゃあいただきます」


 俺は両手を合わせてそう告げると、愛用のフォークスプーンでマヨソースごとサラダを突き刺して口に運ぶ。


 シャクシャク。

  シャクシャク。

 モグモグ。

  モグモグ。


 口の中に広がる濃厚な味と、少しだけ感じる酸っぱさに心を奪われる。

 次から次へマヨソースを掛けては口の中にサラダを放り込む。

 日頃は生ではあまり食べない野菜だが、このマヨソースを付けるだけで極上のメインディッシュになってしまう。


「はぁ……一気に食べてしまった」


 俺は空になった皿を見て残念に思いつつ、念のため清浄魔法クリーニングを掛けてから瓶の蓋を閉めた。

 しかしこのマヨソースというのは生野菜に合うとは聞いていたがここまでとは思わなかった。


「明日の朝食はこれと卵と野菜を使って何か作ろう」


 そう思い立ってフェリスに追加で何種類かの野菜を譲ってくれるように頼むと、少し冷めかけたスープを飲む。

 俺の具だくさんスープはこのフェリスのスープを再現しようと造ったものだ。

 だが、やはりまだまだ本家には遠く及ばないな。

 そう思いつつ俺は手帳を手に取る。


「ゴブリンの討伐数1000まであと83匹。三回くらい討伐依頼を受ければ達成できそうだ」


 どんなことでも千回繰り返せば、ある程度ものに出来る。

 祖父の残したその言葉に従って……というより、何か目安でも無いと暇で決めた目標だった。

 ルールとして、ギルドからの依頼で受けた分に限るとして始めたけれど、ようやくゴールが見えてきた。


「目標達成したらギリウスを誘ってどこかに遊びに行くかな。と、友達としてな」


 友達なんて言葉は初めて使った気がする。

 俺は誰も聞いていないのに少し赤くなりつつ手帳を収納魔道具マジックバッグに慌てて仕舞ったのだった。



 こんな日常の終わりが目の前まで来ているなんて。


 その時の俺は思いもしなかった――……

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