ウォーロック─War lock─
まだら尾のシユウ
序章
1~3〈宿命の終わりの始まり〉
1
先に行くなんてできない!
喉を潰すほどに、叫ぶ。
自分を育ててくれた人物が、迫る脅威の足止めを買って出た故。
なおも叫ぶが、酷くぼやけた景色の中で、顔も曖昧なその人物が、自分を突き飛ばす。
吸い込まれるようにして地面を離れた先で振り返り、目にしたのは、彼が危機に陥る姿だった。
手を伸ばし、叫ぶ。だが、手は届かず、彼に凶刃が振りかぶられた──
その時。荒い呼吸で目が覚めた。
硬い地面に寝ていた体は、急いで起こそうとすると悲鳴を上げた。
背中には恐らく外套と思われる布が敷かれており、それに手をついて、ひどく痛む体をぎこちない動きで起こした。
起き上がったところに、顔を温かな光が照らしてくる。
右を見れば、焚き火が辺りの闇を切り払い、ぱちぱちと燃えていた。
「あ!目が覚めたんだ!調子はどう?」
炎の向こうから、声をかけられた。
「…あ…ええ、たぶん平気…」
未だ少し荒かった呼吸を整えて、返事をした。
「よかったぁ…いきなり倒れたから、驚いちゃったよー」
「倒れた…」
ほんのひとことふたことやりとりをすると、炎の横から、話し相手が顔をのぞかせた。
兎のような耳を頭に2つもった、快活な笑顔の少女だった。
「私はレクリル。あなたは?」
「私は…」
──分からない。
私は、誰だったろうか?
ここは、どこだろうか?
「え…?」
少し驚いたように目を開き、レクリルと名乗った少女は声を漏らした。
そこへ、少し冷たい夜風が吹き込む。
寒さか驚きからか、兎耳がぴこぴこと動かされる。その様子を見ながら、これまでになにがあったのか、彼女はそれを思い出そうとした。
2
魔力孔。という現象がある。
突然その場所に現れる、黒い渦のことだ。
飛び込み、飲み込まれた者は、全く別の場所へ出たとか、違う世界に行けたとか、過去に戻れたとか、未来に行けたとか、とにかくその場から消えてしまうのである。
そして、大抵の魔力孔は少し高い場所に生まれる。
だから自分は、きっとあそこから落ちてきたのだろう。
頭を打った衝撃で覚醒し、上空に浮かぶ魔力孔を見て、彼女はそう思った。
頭を打ったせいか。
どうして自分がここにいるのか、ここはどこなのか、そして自分は誰なのか、分からない。
出てきた魔力孔に飛び込むべきなのだろうか、混乱した頭ではそれも判断がつかない。
頭に怪我がないか気になったために、近くにあった水溜まりを覗き込んでみる。
水面に映ったのは、雪のように白い長髪と、燃えるように赤い目を持つ自分だった。
特異な容姿にかなり驚いたが、気を取り直してよく見てみる。
幸い、怪我はないようだった。
立ち上がると、ふらりと体が揺れた。
どうやら頭を打っただけでなく、体力を消耗しているらしい。
これでは、いい考えが浮かんでもまともには動けまい。
ひとまず休もうと、辺りを見渡す。
幸いにも昼間だが、周囲は暗く、鬱蒼と茂った森が、彼女を見下ろしていた。こんな所で寝入ってしまっていたらと、ゾッとする。
ここは少し開けているようだが、獣が襲って来ないわけでは無いだろう。
身を隠す場所があれば…
そう考えていた彼女の耳に、どこからか甲高い音が聞こえた。
その瞬間、体力を消耗していたはずの体に力がみなぎり、彼女は何故か音のする方へ駆け出していた。
木を蹴り草を分け、景色が後ろへ流れてゆく。
なぜ森の中を、こんなに早く走れるのだろう。
なぜこんなにも、動きが軽いのだろう。
そう感じながらも、脚はしなやかに伸び、跳ね、前へ進む。
幾つもの足跡を置き去りにしながら、森の奥とも出口とも検討のつかない方へ飛んでいく。
さらにもう一度先程の音、いや、女性の悲鳴がもっと近くで聞こえた。
最初に聞いた時点で、彼女は悲鳴に気がついていたのだ。
進み続けると、視界の先に十匹はいると見える獣が映った。
村の娘といった服装の少女と、その少女を庇うようにして立つ、兎耳を頭に持った旅人らしい服装の少女。そんな二人を囲んで、低い音で唸っていた。体躯は猪のようで、面は狼だった。
襲われている。
しかし、ここまで来て急に、不安が過ぎった。
確かに、今助けなければ少女らは命を落とすかもしれない。
だが、自分に助ける力はあるのか?
ふと、腰に下げられた剣に目を落とした。
それは全く飾り気が無く、重かった。
柄を握ってみると、よく馴染む上、その重さも実に心地よく感じた。
そして何より、これは無骨な力強い剣だ。
──私が、戦う為の剣だ!
気づけば、彼女の脚は再び地面を蹴っていた。高く跳び上がり、剣を抜き、獣の一匹に強襲を仕掛けた。
ざんっ!断ち切る音と静かな着地の後に、どさりと草を分けて何かが落ちる。
彼女が斬りかかった、獣の首だった。
大男の腕よりも太いその首を失った獣は、ふらりと倒れ込み、二度と起き上がらない。
奇襲が一匹の命を奪う結果に終わり、獣達も少女らも、ようやく彼女の存在に気がついた。
知らぬうちに、足音や気配を殺して走っていたようだ。
故に彼女以外は皆、驚きによって動きを失っていた。
そして少女達の元へ、一息にたった二歩で駆け寄った。獣達を正面に向き直り、背後に声をかける。
「無事?怪我はない?」
「う…うん…」
まだ混乱している様子で、兎耳の少女が頷く。
しかし、獣達が混乱から立ち直るのは早かった。既にそれぞれが位置を見定め、連携して掛かるように動いていた。
「はやく逃げて!」
「はっ、はいっ!」
思い通りに動かれては不利と悟った彼女は、目の前の一匹に一気に距離を詰めた。
それを予想していたように、獣は彼女を飛び越えようと上に逃げた。
しかし、それは悪手。
完全に目で捉えていた彼女に対して、逃げ場がない上へ飛んだことは、ただの的となる事と同義だった。
三日月のような剣閃で頭上を凪ぐと、彼女を飛び越えた獣は着地もままならず地面にくずおれた。
そのまま彼女は右に跳び、次の獣の首を切り刻む。順に獣の包囲網を食い破ってゆくのだ。
そして派手に動いたことで、獣の注意は全て彼女に向けられていた。冷静さを欠いた獣は連携を忘れて、ただ彼女に向かって突っ込む。
「はああああ!!」
唸る腕に振るわれる剣が、真円の軌跡を残し、獣を三匹切り裂いた。
その流麗な動きで既に獣の後ろまで回り込んだ彼女の背後で、それらが息絶える。
獣はもう、半分の五匹しかいなかった。
その時、彼女は少し油断した。体力が減っている感触があり、獣が引いてくれることを僅かに願ったためだ。
しかし、半分になったとはいえ、相手は猪の体躯をもつ大きな獣だった。
彼女の一瞬の油断を突き、獣達は連携を取り戻した。そして正面と側面から、一気に四匹で襲いかかろうというのである。
「ぐっ」
彼女が少し、苦しそうな声を漏らす。
だが、ここで力を発揮せねば、己も獣の餌食だ。
記憶を失ったはずの頭に、体から一つの剣技が蘇ってきて、浮かんだ。
「あああああ!!!」
叫んだ彼女は向かってくる獣に突進した。
その刹那、彼女の姿が掻き消えた。
──ように見えた。
いつの間にか、彼女は獣の目の前で低い姿勢をとり、剣を振るい終わっていた。
「《幾望》っ!!」
一拍遅れて、辺りに血しぶきが舞った。
獣の身体能力を持ってしても、振るう瞬間はおろか、振るわれている剣すら見えず、首を断たれた。
だらりと獣達の体から力が抜け、地面に倒れると、血溜まりを作り始めた。
同時に四匹を仕留め、既に勝ったかに見えた彼女は、大技を放ったためか息も絶え絶えだった。
そして息を切らしながらであるが、直ぐに構えをとる。
仕留めた獣は四匹。
まだ居る…!
「……」
しかし、残る一匹は現れない。
群れが壊滅し、逃げたのだろうか。
辺りに目をやると、九匹の獣の死体と、逃げてくれたのだろう少女達の痕跡だけが残っていた。
「……っ!」
胸騒ぎがした。
決して、息が切れて心の臓が跳ねている為に、胸に違和感を感じたのではなかった。
既にこの場にいない少女達と獣の一匹。
当たっていて欲しくない予想を振り払いながら、少女達の跡を追った。
3
少女達は走っていた。
先程まで腰の抜けていた村娘を、旅人が支えながらであるから、決して早くはなかったが。
もともと、森の浅い所であった故に、出口は近い。こんな所で見ることは無いはずの、凶暴なグラウルフも、流石に森を抜けた獲物を追うことは無いだろう。
そう考え、ひたすら逃げる。
自分を、村娘を逃がしてくれたあの女性を心配しながら。
果たして無事だろうか?
グラウルフに囲まれて、今も戦っているのだろうか?
村娘を森の外まで逃がしたら、自分だけでも直ぐに戻らなければと、兎耳の旅人「レクリル」は決心していた。
そこへ、レクリルの聴覚を震わす音がやってきた。
激しい息切れの声だ。
もしやあの女性がグラウルフの攻撃を掻い潜り、上手く逃げおおせて追いついたのか。
レクリルは振り返った。
彼女はそこに女性の姿を幻視した。
だが、それは一瞬にして消え去った。
そして、実際には一匹の飢えたグラウルフが佇んでいることに気付いた。
──まずい…!
「ひっ…」
村娘も獣に気づき、小さな悲鳴を上げた。
もう先程までのように叫ぶ元気は残っていなかったようだ。
女性がどうなってしまったのか。
それを今考える余裕はレクリルになかった。
村娘をどのように生き残らせるか。
それだけを考えた。
「行ってメアリー!!走るの!」
「で、でも…!」
「私が食い止めるから!早く!」
自身も魔導士の端くれだ。
一匹だけなら、足止めくらいは出来るだろう。
村娘ことメアリーが走り出した途端、グラウルフは巨体を揺らして彼女に迫った。
その直線上に、レクリルは素早く割り込んだ。
「させ…ないよっ!!《虚空庫ガード》っ!」
黒い渦が突進するグラウルフの前に現れる。突っ切ろうとしたグラウルフは、硬い壁にぶつかったかのように黒い渦に止められた。
しかしそれはほんの1秒程度の時間であり、ぶつかられた渦が消えると同時に、グラウルフは勢いを取り戻していた。
「う、うぇあぁぁぁ!」
標的を完全にレクリルに変えたグラウルフはそのまま向かってきた。それを可笑しな叫びを上げながら、されど必死で回避する。
「くぅっ!!《虚空庫ガード》っ《虚空庫ガード》!《虚空庫ガード》っ!!」
なおも襲いかかるグラウルフを、同じ技を繰り返し、すんでのところで回避し続ける。
続けているうちに、グラウルフが苛立ってきたのか、はたまた体力が戻ってきたのか、動きが早くなってゆく。
それでも何度かは対処し続けることが出来たが
「あうっ!!痛っつつ…」
とうとうまともにタックルを受けてしまい、転がされてしまった。
地面に這い蹲るレクリルへ、グラウルフは悠然と迫る。
その顔は、まるで愉悦を感じているかのように見えた。
グラウルフはレクリルから五歩離れたところで立ち止まり、一度大きく吠えた。
「ひっ…」
その気配に圧倒され、レクリルは自身をとても小さく矮小な生き物のように感じてしまった。
完全に獲物となったレクリルに、グラウルフは大きく跳び上がって襲いかかった。
「わぁぁぁぁっ!!!」
思わず目を瞑り、手を目の前に突き出していた。
──しかし、いつまで経ってもその時は訪れなかった。
もしや、痛みを感じる間もなく死んでしまったのではないかと、レクリルの脳裏に嫌な妄想が過ぎった。
だが、森の匂いや音が、閉ざされた視界の中でも自身の生をハッキリさせた。
ゆっくりと瞼を開ける。
「ひぃっ!なにっ!?」
目の前には口を大きく開いたままのグラウルフが居た。
ただし、レクリルに飛びかかった時の姿勢のまま、突然その場に突き刺されたかのように、宙に浮いていたのだ。
僅かにグラウルフは唸り声を発しているようだが、何かに押さえつけられているかのように、その音を大きくすることは出来ないようだった。
がさり。
森の奥から音が聞こえた。
立ち上がってグラウルフの横からその方角に目をやった。
40歩も先から、右手を前に突き出したまま、あの女性が歩いてくるのが見えた。
彼女はそのまま、10歩ほどの距離まで歩いて来た。
酷く息切れしていた。
「良かった……間に合って……」
「え、えっと……これはあなたが……?」
「そう……咄嗟だったけれど、私、魔導士だったみたいね」
そう言いながら、女性は動けないグラウルフにとどめを刺した。
魔導士だったみたい?
自分が魔導士だったと知らなかったようなセリフだ。
「どういう…………いや……そんなことより、助けてくれてありがとう!」
「うん……無事で、良かった……」
それだけ言うと、女性の身体はふらりと揺らぎ、レクリルに向かって倒れてきた。
「うええ!?ど、どうしたんですか!?うっわ軽い!いや大丈夫!?」
レクリルはその身体を抱きかかえ、軽さに目を丸くしつつも容態を確認した。
大きな怪我はなく、単純に眠っているようだった。
ほっと息をついたレクリルは、彼女を連れてひとまず森を出ることにした。
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