あっぱれ! 宇宙師匠

沢田和早

 

第1話 宙人は雲の上の存在

ボクらの星でのボクらの暮らし

 暗い。

 宇宙は闇ばかりだ。

 乗船して飛んだことは何度もある。でも自分の力で宇宙を飛ぶのは初めてだ。身ひとつで闇の中を進んでいると体も心も不安定になる。早く慣れなくちゃ。これが宇宙における訓練の最初の一歩なんだから。


「あの安定感。さすがシショウだな」


 師匠はボクの前を飛んでいる。その姿を見ているだけで不安が和らぐ。

 師匠の体の左側はとても明るい。恒星の光を浴びているからだ。

 でも右側は暗い。光が当たらないからだ。そしてそれは陰なんて生やさしいものなんかじゃない。真の闇だ。


「あんなにたくさんの星が輝いて近くには恒星だってあるのにこんなに真っ暗なんて。宇宙って不思議だな」

「何が不思議だと言うのだ」


 頭の中で師匠の声が響いた。マズイ、聞かれた。遠隔話法は使っていなかったはずだけど。独り言のつもりだったのでとっさに返事ができない。


「えっと、それは」

「ははは。真空中だと思って油断したな。たとえ遠隔話法を使わずとも声を生成してしまえばそれを聞き取ることなど容易たやすい。時空術を極めたものならば誰でもできる。聞かれたくなければ声に出すな。頭の中だけに留めておけ」


 そうだったのか。またひとつ賢くなれた。


「はい」

「で、何が不思議なのだ」

「恒星は直視できないくらいまぶしいのにボクらの周囲は闇しかないじゃないですか。あれだけ輝いているのなら空間には光が満ちあふれていてもいいと思うんですけど」

「満ちあふれているとも。闇と同じく光もまた宇宙空間を満たしている。しかし光はそれ自身が明るいのではない。光に照らされているものが明るいのだ。真空中を進む光は誰の目にも見えない。闇と同化している。何かに遮られて初めてその姿を現すのだ。召喚呪文を唱えれば姿を現す魔物のようにな」

「ああなるほど。そう言われればそうですよね」


 考えるまでもなく単純な話だった。不思議に感じていたさっきまでの自分が不思議に思えてならない。それにしても魔物って、例え方がファンタジーすぎるよ。


「速度が落ちている。間を開けずに付いてこい」

「はい!」


 いけない、よそ事を考えているとすぐスピードが落ちてしまう。師匠は相変わらず厳しい。これが初めての宇宙航行術の修業なんだからもう少し優しく教えてくれてもいいと思うんだけど。


(初めて会ったときから変わらないなあ、シショウは)


 今度は声に出さず頭の中でつぶやきながら、今日までの自分を思い出した。


 ボクが生まれた星は銀河連邦中心部からはだいぶ離れている。文明はそれほど高くない。けれど中心星系に負けないくらい豊かだ。良質のE鉱が産出されるからだ。


 E鉱は鉱石の一種で非常に汎用性の高いエネルギーを供給してくれる。様々な分野で広く活用されていて、機械や電気機器の駆動だけでなく植物や動物の成長促進、そしてE鉱から直接エネルギーを摂取して生きている星人種さえも存在する。これがなければボクらの生活が成り立たないくらい大切な鉱物だ。


 E鉱は無尽蔵に存在するわけではないけれど増殖の技術が確立した現代では枯渇の心配はない。ただ増殖するごとに劣化していくのである程度の補充は必要だ。それに増殖設備のない辺境星系では入手が難しいので高値で取引されている。


 ボクらの星には非常に純度の高いE鉱の鉱脈が多数存在している。それらは銀河連邦の監視下に置かれ、産出されるE鉱は全て連邦政府が買い上げてくれる。さらにはE鉱を横取りしようとする不埒なやからから鉱脈を守るために最強の連邦軍が衛星軌道を常に巡回している。安定した高収入と中央星系に匹敵する治安の良さ。ボクらの星は田舎の惑星には似つかわしくないほど住みやすい場所となっていた。


「ねえ母さん、やっぱり全然消えないよ」


 ボクが自分の能力に気づいたのは銀河連邦暦で6才になったときだ。あの瞬間は今でも覚えている。野原を歩いていたボクの周囲が突然停止した。風はやみ、音は消え、草はなびかず、鳥は翼を広げたまま上空に浮いていた。


「みんな凍っちゃった!」


 大声をあげた瞬間、周囲は元の日常に戻った。ボクは安心した。父にも母にも姉や兄にも何も言わなかった。


 しかしその日を境にして似たような現象が何度も起きた。

 周囲が停止するだけではなかった。風が急に強くなり、葉擦れの音が高くなり、矢のような速さで鳥が飛んで行ったかと思うと、その逆に強風が微風になり、女の子の声が地鳴りみたいな低音になり、鳥は墜落しないのが不思議なくらいのんびりと飛んでいく。

 それらの現象は長続きせずすぐ元通りになるけれどボクはだんだん心配になってきた。誰かに相談したかったが親に心配をかけるのは嫌だった。


「ねえ兄ちゃん、ちょっといいかな」


 結局一番上の兄に打ち明けることにした。ボクらの星は大家族が多い。安定した収入と治安の良さで安心して子供を育てられるからだ。ボクは末っ子。兄が3人、姉が3人。その中で一番頼りになるのが長男だった。ボクの話を聞いた兄は笑いながら答えた。


「ははは、そんなことか。心配するには及ばないぞ。それは宇宙術のひとつ、時空術だな」

「宇宙術? 時空術?」


 初めて聞く言葉だった。兄は説明してくれた。それはこの星の子供なら誰でもかかる一種の病気のような現象らしい。自分の時間と周囲の時間がずれるのだ。

 停止、加速、減速。全て発生する子供もいればひとつしか起きない子供もいる。もちろんまったく起きない子供もいる。その原因はまだ解明されていないがE鉱が関与していることだけははっきりしていた。この現象が起きる星には必ずE鉱の鉱脈が存在しているからだ。


「どうすれば治るの?」

「放っとけば消えてしまうよ。風邪みたいなもんだ」


 兄の言葉は正しかった。残りの5人の兄や姉に訊いてみたところ全員この現象を体験し、そして今ではすっかりその現象が消えていた。親に訊いても同様でまるで心配してくれなかった。


「少しの間我慢するだけだよ。すぐ治るからね」


 しかし兄の言葉も親の言葉も全てが正しいわけではなかった。現象が消えないのだ。しかも消えないだけでなく起きる時間が次第に長くなっていく。さらにはその現象を自分自身で発動できるようになってきた。止めたいと思えば止まり、加速したいと思えば加速し、減速したいと思えば減速する。それは長くは続かないし自分の力で発動するととても疲れるのだが、とにかくこの現象が自分の体と心に馴染み始めていることだけは確かなようだった。兄に相談してから連邦暦で1年が過ぎたとき、ボクは母に打ち明けた。


「ねえ母さん、やっぱり全然消えないよ」

「えっ……」


 絶句する母。あの時の母の顔は今でも忘れられない。驚きと諦めと悲しみに満ちた表情。あの瞬間にボクの人生は決まってしまったと言ってもいいだろう。


 それからは何もかもが夢の中の出来事のようだった。見たこともない服装に身を包んだ人が家にやってきた。連邦政府の役人だ。問答無用でどこかの施設に連れて行かれ、たくさんの質問と様々な検査を受けさせられた。その数日後、ボクに対する召喚通知が届いた。


「これからは政府の施設で暮らすことになるよ。元気でね」


 突然の家族との別れ。悲しみを感じる暇もなくボクは船に乗せられた。初めての宇宙、初めての無重力、そして初めて見る自分の星の姿。何もかもが新鮮な驚きに満ちていて惜別の情さえも吹っ飛んでしまった。


「うわあ、凄い」


 降り立った星は別次元の世界かと思えるほど故郷の風景からかけ離れていた。所狭しとそびえ立つ建物群、その間を縫うように飛び回る物体。木や草や土はどこにも見当たらない。


「ここは銀河連邦の首都なの」

「いや、ただの出先機関だ。首都星系はもっと遠くにある。そしてこの星よりももっと発達している」


 7才にして初めて世界の大きさを実感できた、そんな気がした。

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