第3話
3
どうにも、困った。
結論を先に、書いてしまったからである。
「観自在菩薩」
これは、観世音菩薩のことである。
訳者の「ゲンゾウ(ワードに文字がないのでカタカナにしたが、西遊記で、おなじみの三蔵法師のことである)三蔵が訳したのですが、彼の見識と、好みで、「観自在菩薩」としたもので、一般には、「観世音菩薩」の方が知られているし、馴染みがあるとおもいます。
「鳩摩羅什(くまらじゅう)三蔵」は、「観世音菩薩」と訳しておられます。
弘法大師、空海の「般若心経秘鍵」は、こちらを、テキストに使っておられる。
ちょっとトリッキーですけどね。
と、ここからは、お経本の通りに、話を進めてまいりましょう。
「行深般若波羅蜜多時」ここは、二通りに、意味がとれます。
「心経」が、入っていないからです。
入っていれば、深く「摩訶般若波羅蜜多心経」を行(ぎょう)じておられる「時(とき)」で、意味が通ります。
しかし「心経」が抜けておりますから、「深いお智慧で、彼岸に渡る行をしている時」になるので、少し戸惑いますね。
ここは、そのどちらかを、行じておられる時に、で良いのでしょうが、「ギャテイ偈」を、考えますと、私としては、後者を支持します。
「照見五蘊皆空度一切苦厄」
五蘊というのは、「蘊奥を極める」と言う言葉がありますが、奥義、極意、秘訣と言うようなことですが、「五蘊」となりますと、厄介です。「五」が気になりますね。
「五」を、「五大」と受け取りますと、「地・水・火・風・空」となりますので、この地球上の、全てのことと言うことになります。
その全てのことの、「奥義・極意・秘訣」で「五蘊」となります。
その五蘊を照らし見てみるに、皆、全ては、空なりとして、一切の苦厄を度したもう。
「度」言う文字は、仏教では、たびたび出てまいりますが、「度」に、サンズイをつけて下さい。
渡すと言う文字になります。
何のことはないので、冒頭の一句で、「一切の苦厄を渡したもう」と、「ギャテイ偈」と、同じく、主題を説かれているのです。
ここだけで、全て解決ではありませんか。
この後で「舎利子(しゃりし)」と、出てきますか、ここは、呼びかけている言葉です。
舎利子よ。と呼びかけているのですが、舎利子というのは、釈迦の十大弟子の一人で、シャーリプトラのことです。
十大弟子の中でも、長老と呼ばれている、お方です。
釈迦の弟子になる前に、すでに、自分の弟子が、三千人いたと言う人です。
それが、釈迦の説法を聞いて、自分の弟子ごと、釈迦に弟子入り(帰依=きえ)したのです。
この頃は、インドの宗教界は、一応は、バラモン教が、勢力を持ってはいましたが、その力は、衰退の一途を辿っていて、斬新で、説得力のある、新しい宗教を多くの人が、求めている時期だったのです。
ですから、舎利子の説くところに、魅せられて、三千人もの、弟子が集まっていたのです。
しかし、釈迦の説く、ところに魅せられて、一気に入団(帰依)したと言うわけです。
舎利子というのは、中国で付けられた名です。
中国の習慣で、偉大な人には、「子」をつけるようですね。
「舎利子よ。よく聞きなさい」
とでも、訳しましょうか。
観世音菩薩が、説いているのです。
それを、舎利子が聞いているのです。
この聞き役のことを、「対告衆(たいごうしゅう)」と言います。
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