第31話 とある少年の話③
次の日、少年は大きな物音で目を覚ました。
何があったのかと、居間を覗いてみると母親がその辺の家具を手当たり次第に壁に投げつけているようだった。床には大量の空き缶が転がっている。
母親は部屋を覗き込む少年を見つけると、彼の頭を鷲づかみにし部屋に引き込む。そして、床にたたきつけ馬乗りになると、少年の顔を何度も平手打ちした。
あんたのせいだ。あんたのせいで、また上手くいかなかった。お前がいなければ、私はもっと幸せだった。
呪詛の言葉を吐き出しながら母親の暴力は続く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
少年の言葉は届かない。
ただ、ひたすらその時間が終わるのを祈るしかなかった。
その日から母親の折檻はひどくなり、頻度も増えていった。
体中に痣ができ、腫れ上がった顔を鏡で見る度に自分の元の顔も思い出せなくなりそうだった。
ある夜の事、少年はふと笑香の言葉を思い出した。
――また、ここに来るといいよ。もし、会えたら一緒に星を見よう。
気付けば家を飛び出していた。その足はあの公園へと一直線に向かっていた。
怪我だらけの体で走るのはかなり堪えたが、その痛みも彼女に会いたいと思うだけで我慢できた。
しかし、公園に着いてもそこに彼女の姿は無かった。
少年は肩を落とし落胆する。目には大粒の涙が溢れてきた。
期待した自分が馬鹿だった。自分の世界に救いがない事など、とうの昔に分かりきっていたのに。
少年は家路につこうと踵を返す。
そんな彼の鼓膜を聞き覚えのある透き通った声が揺らした。
「君は――」
声のする方を見れば笑香がそこに立っていた。
彼女を目にした瞬間、少年の心はその奥底に溜まっていたものを一気に吐き出した。
「うぅ……うあぁ……うあぁぁぁぁぁぁぁ!」
少年の頬には絶え間なく涙が流れ地面へと落ちていく。
笑香は一瞬驚くような素振りを見せた後、涙でぐしゃぐしゃになった少年の顔に優しく手を当て、そして抱きしめた。
「大丈夫だから。君は何も悪くないよ」
そう優しく少年に声をかける。
大丈夫。その言葉を何度も繰り返し、少年が泣き止むまで笑香は彼を抱きしめ続けた。
少年が落ち着いた後、二人はベンチに座り一緒に星空を眺めていた。
笑香は何があったかは問い詰める事はしなかった。掘り返すのはきっと少年にとって辛い事だと気遣ったからだ。
「ねえ、そういえばさ」
笑香は唐突に話を切り出した。
「君の名前、まだ聞いてなかったじゃん? あの日、家に帰った後考えてたんだよねー。次会った時、何て呼べば良いかなって。だから、あだ名を考えてみた!」
そう言いながら笑香は隣の座る少年へ顔を向け、両手の人差し指で唇の両端をくいっと引き上げ笑顔を作った。
「君にはもっと、にこにこ笑ってみて欲しいから〝ニコ〟なんてどうかな!」
「ニ、ニコ……」
「うん! ニコ! 私とお揃いだよ!」
少年は少し困ってしまった。彼にとって笑う事は災いと同義だった。
母親の前で少しでも口角をあげようものなら、容赦なく折檻が始まる。
そんな自分が笑っていいのだろうか。
この人の前では笑顔を見せてもいいのだろうかと。
「まあ、今は無理に笑わなくてもいいからさ。いつか見せてよ、ニコの心からの笑顔をさ!」
少年はこの日から、新しい自分になったような気がした。
名付けられたニコという響きを頭の中で何度も繰り返す度、胸の奥が暖まる。
それからというもの、少年——ニコは頻繁に笑香に会いに行くようになった。
他愛のない会話を交わし、笑香の笑う顔を見るだけでこの世界に生まれた意味を感じる事ができた。
笑香は星に詳しくて様々な話を教えてくれた。
ある日、笑香はこんな事を言った。
「ねえニコ、私達が今見てる星の光ってさ、すっごい遠くから届いていてね。もしかしたら、今光って見える星も、もうその命を終えているかもしれないんだよ」
「そ、そうなんだ……」
「凄いよね、もうこの世界に存在しなくても輝きは私達に届いてる。その光もいつかは消えてしまうけれど、それでも私の心の中には残り続けるんだ。私も誰かにとって、そんな光を残せる人間になりたいな」
「うん……」
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