神崎ひかげVSイリエワニVS超巨大カマキリ 高輪ゲートウェイ危機一髪!

武州人也

飲兵衛とワニとカマキリの100日間戦争

「ああ、どこなのどこなの、私の可愛いミドリちゃん」


 高輪ゲートウェイ駅の構内で、眼鏡をかけた年若い女が下を向きながらうろうろしていた。その手には透明なプリンカップが握られている。

 彼女が探している「ミドリちゃん」というのは、実験に使っていたハラビロカマキリだ。体が緑色をしているから「ミドリちゃん」と名付けたのである。実に安直な命名だ。

 この女は、特殊な遺伝子が注入されたミドリちゃんもといハラビロカマキリをプリンカップに入れて別の実験室まで運んでいる途中であった。しかし、どうやらプリンカップの隙間から外に出てしまい、そのままカップを入れていた手提げバッグからも逸出してしまったらしい。バスを降りた際にバッグの中身を一度確認したのだが、その時はしっかりカップの中にカマキリはいた。だから、抜け出たとすれば駅の中のどこかである。

 女はその顔に焦燥を浮かべながら、ずっと探し続けていた。けれどもそんな小さい虫一匹がすぐに見つかるはずもなく、女はあちらこちらを彷徨い続けていた。


***


「まずいまずい遅刻遅刻!」


 高輪ゲートウェイ駅に降りた神崎は焦っていた。昨晩飲みすぎたせいで思考が鈍り、電車の乗り間違いをしてしまい、藤原との待ち合わせの時間に遅れてしまったのだ。


 これより数日前のこと。突然、神崎は親友の藤原から誘われた。


「高輪ゲートウェイ駅に行ってみない?」


 映画を見に行ったり、ショッピングやランチに行くでもなく、駅を訪ねるだけというのは随分と奇特な誘いである。


「え、駅に行くだけ? タマちゃんにそんな趣味あったっけ」

「だって新しい駅だし、名前も何だかヘンテコで珍しいし、行ってみたくなっちゃってね」


 タマちゃんも案外変わった女だな……と、神崎は心の中で呟いた。神崎と藤原は一時疎遠になりかかった所から再び友達付き合いが始まったのであるが、前はもっと普通だった気がする。いや、記憶がおぼろげになっているだけで、前から変なところはたくさんあったかも知れない。そのどちらであるか、神崎は答えが出せなかった。


 駅のホームに降りてスマホを見ると、メッセージアプリに藤原からのメッセージが入っていた。


「ごめん。お腹痛くて電車逃した。遅れちゃう」


 それを見た神崎は、ほっと胸をなで下ろした。


 神崎はこの間藤原にプレゼントされたスキットルを懐から取り出し、その中身をあおった。そうして足元を見てみると、そこには緑色をしたカマキリがいた。カマキリは勇猛果敢にも、自慢の鎌を神崎に対して振り上げ威嚇している。まさしく蟷螂の斧ともいうべき行いに、神崎は何だか和やかな気分になった。


「お前も酒が欲しいか~?」


 おどけた様子でそう言って、神崎はスキットルを傾け、その中身をカマキリの頭に浴びせた。カマキリはいささか迷惑そうに、流れ出る酒を避けるように逃げ出した。


 カマキリへの興味を失った神崎は、真新しい駅の構内をぶらぶらと歩き出した。

 開通してまだ間もない高輪ゲートウェイ駅の内装は、真新しいの一言に尽きる。ガラスに覆われた、どこか近未来な雰囲気の構内は、日の光がさんさんと降り注いでいてとても明るい。

 構内を一通り回り終えた神崎は、改札を出てみた。まだ藤原の到着までには少し余裕があるので、少しばかり散策してみようという気になったのだ。

 駅の回りを見渡してみると、やはりまだ新しい駅であるからか、駅前にめぼしいものはなく、それほど賑わっていないようであった。

 神崎は歩き出そうとしたが、そこに一人の人物が近づいてきた。


「あの、すみません。ミドリちゃ……カマキリ見ませんでしたか?」


 尋ねてきたのは、眼鏡をかけている、化粧っ気に乏しい女であった。自分と年が近そうなこの女は、見るからに焦っている様子だ。


「こんな感じのカマキリなんですけど……」


 そう言って、眼鏡の女はスマホの画面を見せてきた。そこにはさきほど酒をごちそうしてやったのと同じサイズ感のカマキリが映っている。


「あーさっき駅のホームで見ました」

「本当!?」

「酒かけたら逃げちゃったんで今どうしてるか分かりませんけど……」

「酒? 酒?? 本当に酒なんかかけたの!?」


 女の声色が、急に変わった。眼鏡の女はうわずった声で、まるで咎めるように神崎に詰め寄った。

 

「な、何でアルコールかけちゃうんですかあああああ駄目でしょうがあああああ!!!!!」


 完全におかしくなってしまったのか、女は神崎の両肩を掴んで前後に激しく揺さぶった。どう見てもおかしい。何がなんだか、神崎にはわけが分からない。


「ど、どうしたんですか!?」

「ああ……もう駄目だ……おしまいだ……この世の終わりだ……」


 神崎から手を離した女は、地面にしゃがみこんで頭を抱えてしまった。


 その時であった。


「おいやべぇよやべぇよ!」

「何だよあれは! おかしいだろ!」


 神崎の背後の改札が、何やら騒がしくなった。なぜだか分からないが、大勢の人が駅員に誘導されて、ぞろぞろと大挙して改札に集まっている。


「え、何!?」


 驚くと同時に何があったのか知りたくなった神崎は、改札外に出た人々の中から一人の女を捕まえて訪ねてみた。


「ワニよ! 巨大ワニ!」


 神崎が捕まえた女は、恐怖に震えた声でそう叫んだ。


「え、ワニ!? 巨大カマキリじゃなくて!?」


 それを横で聞いた眼鏡の女も、何やら意味深な反応をしていた。


***


「うわぁ、何でワニがいるんだ!」

「デカいぞ!」


 それは、突然現れた。神崎が改札を出たのと入れ替わるように、巨大なイリエワニが高輪ゲートウェイ駅に突如姿を現したのだ。全長六メートルは超えるであろう巨大なイリエワニが駅の構内を這い回る様が駅の利用者を如何に恐怖させたかは想像に難くない。


「おい、マジかよ……人を食ったぞ!」

「逃げろ! 人食いワニだ!」


 意外に思われるかも知れないが、ワニは陸上でも素早く走り回ることができる。すでにトイレに入っていた男性客が逃げ遅れ、ワニに追いつかれて命を落としてしまった。その様子は、人々の恐怖をより一層かきたてた。


『さて、首尾はどうだ?』

「ターゲットはすでに駅の外に出てしまったようです」

『はぁ~……取り敢えずワニを回収しろ。計画変更だ』

「はっ」

 

 騒動の渦中にある駅構内の片隅で、駅員の一人が外部と連絡を取り合っていた。実はこの駅員、神崎ひかげの命を狙う組織「青蜥蜴」の工作員であり、連絡を取り合っている相手は組織の幹部である。

 駅を騒がせたこのワニは、「青蜥蜴」が神崎ひかげを殺害するために放ったものであった。駅員になりすました組織の工作員が、貨物と偽って世界最大級のワニであるイリエワニのケージを運び込み、駅の構内に放ったのである。


 高輪ゲートウェイ駅は、たちまち狂騒の坩堝るつぼに落とされたのであった。


***


「あの……聞かせてもらっていいですか? 何でカマキリのことでそんなに焦ってるのか」


 神崎は静かに、眼鏡の女を問いただした。神崎の胸には、嫌な予感がよぎっていた。恐らく、今駅の構内は大変なことになっており、目の前の女はこのことについて何かを知っている。そうした見立てが、神崎の頭の中にはあった。


「あのカマキリ……アルコールを一定量以上摂取すると巨大化するんです」

「巨大化って……どのくらい」

「摂取した量にもよるでしょうけど……十か十一メートルぐらいは」


 眼鏡の女は、衝撃的なことを口にした。カマキリの巨大化、それも十メートルクラス……神崎はめまいがしそうであった。


「またその手の生き物……っていうか、藤原が危ないじゃない!」


 藤原が乗っている電車は、そろそろ高輪ゲートウェイ駅に到着するはずだ。となれば、彼女は降りるや否や、その超巨大カマキリの危険に晒される。しかも、逃げてきた人々が口々に「巨大ワニ」と言っているのが気になる。そんなものがいるとすれば、巨大カマキリと巨大ワニで危険は二倍だ。


「もしもし……タマちゃん!? 高輪ゲートウェイで降りないで!」

「え? もう降りちゃったし、乗ってきた電車ももう行っちゃったけど」

「あー……分かった、今迎えに行くから!」

「え、何?」

「でっかいワニとカマキリがいる!」


 こうしちゃいられない。友を助けなければ……神崎は脱兎の如く駆け出し、駅の改札を飛び越え、構内へと入っていった。

 走りながら、神崎は考えた。カマキリの狩りは待ち伏せ型だと、以前どこかで聞いたことがある。だから、駅のどこかでステーション・バーしているカマキリの前をうっかり通りかかって襲われる危険がある。それは藤原にしても自分にしてもそうだ。

 神崎は先を急ぎながらも、警戒を怠らない。何かが隠れられそうな場所には細心の注意を払いながら進んだ。

 そうして、神崎はエスカレーターの上から山手線のホームを見下ろした。


「タマちゃん!」


 はたしてホームの上に藤原はいた。この友は、巨大なカマキリに見下ろされ、その反対側からは同じくらい巨大なワニに睨まれておろおろとしていた。


***


 さて、神崎が駅の構内に突入して藤原を発見する、少し前のお話である。


「回収しろだってさ」

「あれ大変なんだよなぁ」

「面倒ったらありゃしない」


 駅員になりすました三人の工作員は、麻酔銃やロープを手に、しぶしぶ駅のホームへと降りていった。構内にはまだ人がおり、我先にと改札を目指している。


「さぁてさっさと済ませるか」


 三人の中で真ん中を歩く男が呟いた、まさにその時であった。


 急に、左の男が消えたのだ。


「わあああああ!」


 絶叫は、上から聞こえた。驚いた二人が上を向くと、そこには信じられない光景があった。

 天井からは、七メートルはある巨大な緑色のカマキリがぶら下がっていた。その鎌が、消えた左の男をがっちりと掴み、むしゃむしゃと男の体を貪っていた。


「ば、化け物だ!」


 二人の頭の中は、たちまち恐怖に支配された。自分たちが連れてきたワニはともかく、巨大化したカマキリなど聞いていない。

 捕まった仲間は助からない。そう思った残りの二人は、カマキリに捕獲された男を見捨てて足早にホームを立ち去ろうとした。

 二人の内の一人が、エスカレーターの裏側へと引きずり込まれた。うわぁ! という叫び声とともに、嫌な咀嚼音が響き渡る。

 そこには、組織が放ったイリエワニがいた。爬虫類には主人や飼い主といった概念が存在しない。ワニは容赦なく、自分を連れてきた「青蜥蜴」の工作員を食らったのである。


 最後に残った一人は、青い顔をしたまま立ち尽くしていた。ワニとカマキリ、どちらも今の自分にとって脅威そのものだ。


「そうだ、麻酔銃……」


 さっきワニに食われた仲間が、麻酔銃を持っていたはずだ。ワニの方を見てみると、ワニの前脚の足元に麻酔銃が転がっていた。


 ――駄目だ。取りにはいけない。


 麻酔銃を拾うためには、あのワニの鼻息がかかるような距離まで接近する必要がある。そのような危険は冒せない。


 ――逃げるしかない!


 男はホームから上がるエスカレーターを登ろうとした。だが、それは許されなかった。男の目の前に立ち塞がるように、どしんと天井から降りてくるものがあった。あの巨大なカマキリである。

 カマキリは、その鎌で男を捕まえ、むしゃむしゃと腹を貪り食ったのであった。 


***


「どうしよう……」


 藤原は、巨大カマキリと巨大ワニに挟み撃ちにされる形で立っていた。その近くには人間の脚やら腕やらがちぎれて血だまりの中に転がっている。ワニかカマキリか……そのどちらかの犠牲になってしまったのだろう。

 万事休すといった状況であった。今の藤原にとって、前門の虎後門の狼とはこのことであろう。


「えいやっ!」


 神崎の体は、素早く動いた。彼女は跳躍し、ワニの頭目掛けて高低差を活かしたキックをお見舞いしたのだ。ワニは咄嗟に身を捻って避けようとしたが、避けきれずにキックは脇腹に直撃してしまった。苦しみもがいたワニは、そそくさと走って京浜東北線ホームの方へと逃げてしまった。


 さて、残るは巨大カマキリの方である。カマキリは時折複眼をきょろきょろさせながら、じっと神崎と藤原の二人を見下ろしていた。十メートルはないものの、七メートルは超えそうな体格である。信じられない大きさだ。

 カマキリは獲物を捕らえようと、その鎌を振り下ろした。神崎は後ろに飛びのいて間一髪その鎌を避けたが、床のタイルは砕け、穴が開いてしまった。

 カマキリの外骨格はそれほど硬くないのであるが、何分このカマキリは巨大だ。これほどまでに大きければ、その分外骨格も必然的に分厚く、硬くなる。その上カマキリはかなりの力持ちだ。自分より大きな獲物であったもがっちりと鎌で掴んでしまえるほどのパワーを持っている。


「さっきのカマキリだよね? さっきのに免じて許してくれないかな?」


 神崎は手を合わせ、小首を傾げながら言った。カマキリの恩義に訴えようとしたのだ。

 昔に解いた国語の問題集に出てきたお話にも「禽虫きんちゅうのたぐひ、恩を知れるためし、これ多し」という一節があり、中国の皇帝が助けた鯉が後に武帝に宝玉をプレゼントしたという逸話などが載っていたのを思い出した(実際にはこのお話の出典は「十訓抄じっきんしょう」であり、中国の皇帝は前漢の武帝のことであるが、流石に神崎はそこまで記憶していなかった)。だから、このカマキリもきっと、酒を馳走した自分に恩義を感じて手出しを控えてくれるかも知れない……そう思ってのことであった。

 カマキリは暫く、神崎の方をじっと見つめていた。もしかしたら、思った通り恩義を感じて見逃してくれるのかも……神崎はそうした希望的な観測をしていた。


 しかし、神崎の思いとは裏腹に、カマキリは再び鎌を振り上げた。


「危ない!」


 鎌が振り下ろされる先……そこには神崎のすぐ近くに立っていた藤原がいた。神崎は藤原を助けるために、咄嗟に彼女の体を突き飛ばした。


 ――イチかバチか!


 神崎は振り下ろされる鎌を避けなかった。鎌を待ち受け、両手で挟み込むように鎌を受け止めたのだ。まさしく真剣白刃取りである。

 神崎は両手で鎌を挟んだまま、カマキリの腕をぐりぐりと捻った。カマキリの体は貧弱であり、特に関節部分は弱い。やがて腕の関節が力負けし、鎌はちぎれてしまった。ちぎられた関節部分からは、虫を潰した時に滲み出るあの白い液体がぼとぼと溢れ出ている。

 

「……逃げようタマちゃん」


 そう言って、神崎は間一髪転ばずに階段の手すりに掴まっていた藤原の手を引いてエスカレーターを駆け上った。

 

「あ、ありがとうひかげちゃん」

「いいのいいの。いつもタマちゃんには助けてもらってるし。お互い様? ってやつ?」


 そう、神崎の方も藤原には大分世話になっていた。この間は確定申告を手伝ってもらったし、誕生日には今使っている新しいスキットルをプレゼントしてくれた。刺身に付属したワサビの「こちら側のどこからでも切れます」に見事敗北した時には、藤原に泣きついて無くしたハサミとチューブ入りワサビを買ってきてもらったものだ。


 そうして、エスカレーターを上がり、二階にある改札まで一直線に走る。もう少しで改札……というところで、二人の目の前に立ち塞がるものがあった。

 改札の前に、あのイリエワニが鎮座していたのだ。


「またワニかぁ……」


 先ほどは神崎の側に高低差という利があった。「孫子」にも「軍は高きを好みてひくきをにくむ」と、高所に陣取ることの利が解かれていることからも、高低差というのはそれだけで有利不利をもたらす。

 けれども今、神崎とワニは同じ平面上に立っており、その意味では両者は対等であった。いや、藤原を庇って戦わなければならないという事情を鑑みれば、この状況は神崎に不利といえよう。

 それにもう一つ、神崎には懸念事項があった。それは先ほど戦ったカマキリのことである。先ほど鎌を片方むしり取られて手負いの状態であるが、まだ戦う力はあるはずだ。あれが餌を求めて追いかけてくれば、神崎と藤原はワニとカマキリに挟撃されてしまう。それだけは、何としても避けたい。


 神崎は懐からスキットルを取り出し、残った中身を飲み干した。アルコールが充填され、体中に満ち満ちてゆく。

 神崎は拳を固く握りしめ、改札前に陣取るワニに向けて構えを取った。対するワニはというと、口を大きく開き、しゅー……っと噴気音をあげて威嚇している。これだけで、並の人間であれば恐怖で脚が震えてしまうであろう。

 神崎が今にも踏み込もうとしたその時、藤原は近づいてくるもう一つの敵の存在に気づいた。


「タマちゃん! カマキリが来る!」


 それを聞いた神崎であったが、迷わず一直線にワニに向かって距離を詰めた。ワニは口を開けたまま、近づいてくる神崎に向かって噛みつこうとした。

 ワニの攻撃は、あまりにも単調であった。神崎はすかさず回り込み、背後を取った。そしてチョークスリーパーの要領でワニの口先を腕で抑え込んだ。ワニは噛む力こそ非常に強いが、口を開ける力は意外にも弱い。そのことを神崎は突いたのだ。


 そうして口を掴んだ神崎は、そのまま大きなワニを背負った。六メートルのワニなど、筋骨隆々の男であっても持ち上げられるものではない。それをこの酒乱OLは易々と背負ったのだ。

 神崎はワニの巨体を放り投げた。その先には、自分の鎌を奪った憎き相手である神崎を追って二階へと上がってきたカマキリの姿があった。

 宙を浮く、ワニの体。それはカマキリに衝突し、そのままカマキリを押し潰してしまった。カマキリの腹は衝撃と重みに耐えきれずに潰れ、白い汁が床にしたたっていた。


***


「未確認人妻物語面白かったね」

「まさかあの子の父親が病死した隣の美少年クンだったなんて……そうだこれからどうするひかげちゃん」

「あー飲みに行きたいなぁ」

「また飲むぅ? 駅で飲んでたじゃないワニと戦う時」

「あれはノーカン。酒を楽しむためじゃなくて戦うための飲酒だから」

「何その謎理論……」


 あの後、神崎と藤原は品川のシネコンで映画を見た後、街をあてもなくぶらついていた。このまま帰ってもよかったのだが、もっと二人でいたいという思いが、神崎にも藤原にもあった。

 

「明日はちゃんと禁酒しなきゃ駄目だよ?」

「ふぁ~い……」


 そうして、二人は一件の飲み屋へと入っていった。


***


「バカモン! あのカマキリを逃がしただと!」

「も、申し訳ございません」

「もうお前はクビじゃ! 出ていけ!」


 カマキリを逃がしたあの女は、研究室でさんざんに罵倒された後にいとまを出されていた。

 放り出されるように研究室を後にした女は、両腕をだらりと力なく垂らし、とぼとぼと市街地を歩いていた。

 こんな時は、酒に頼ろう……そう思って、公園のベンチに腰掛け、先ほど買ったワンカップを開けようとした。その時であった。


「お姉さん、ちょっといいかな」


 その透き通ったボーイソプラノのような声に驚いて顔を上げると、目の前には半ズボン姿の少年が立っていた。おかっぱ頭のその少年は、どこか謎めいた雰囲気のある、中性的な顔立ちの美少年である。まだアルコールを体に入れていないにも関わらず、女の頬は不意に赤らんでしまった。


「あのカマキリ、キミのなんでしょ? ボクらにはキミの力が必要だ」

「え……? 私が……?」

「来てよ。ボクらの組織に」


 いざなうように伸ばされた少年の手、それを、女は握った。柔らかくすべすべした手が、女の手を握り返した。


 少年の名は尾八原充治。「青蜥蜴」の幹部である……








 この後、神崎ひかげはモンゴル平原から日本に連れてこられたモンゴリアン・デスワームに襲われ、藤原を守るために熾烈な戦いを繰り広げる……ことにはならない。

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