第7話 たかが挨拶?
仮面夫婦。
僕達の関係はそんなものだ。
僕はセシリアさんを前にすると緊張するしドキドキもする。でもきっと恋ではない。
男なら皆あんな美しい人を前にしたらボーッとするだろう。
現に屋敷の使用人の男達にウォルトくんだって少なからず気がある。セシリアさんを狙う目がそう告げている。でもそれは恋ではない?憧れ?幻想?
「やっぱりセシリア奥様は咲き誇る薔薇のように美しい!しかし触れるとトゲで怪我してしまう!まだあれで処女だなんて!俺が奪いたい!」
「ばっか!ずるいぞ!俺だってセシリア奥様になら鞭で打たれたっていい!」
「変態め!だがそれも良いいな!」
と話してるのを聞いてしまった…。
男なら皆憧れるんだから…これは恋ではない。皆ドキドキするし。頭から離れないのも当然のことなのだ。
……セシリアさんは挨拶のキスを僕の頰にした。…僕も出来るようになれと言った。む、無理だ。僕からなんて!で、でもやはり夜会では普通に出来ないといけないのか?仲を疑われる。
頰にキスされたくらいで昇天しそうになったのに。セシリアさんの柔らかい唇の感触とか思い出してもドキドキする。
僕は明日出発なのに自分のベッドの枕を抱えて練習する。
チュ…。
側から見たら禿げが舞い上がりキス練習とかとんでもなくキモいと思われそうだ。絶対見られたら禿げが増える。
「ほっぺにだけだ。挨拶だ」
と言い聞かせる。
…。その朝もセシリアさんは朝食前に部屋にリネットさんとやってきて朝の挨拶をした。
「おはようございます!ローレンス様!」
とにこりとして微笑み自然に軽くチュッと頰にまたキスされ僕の心臓がそれだけで止まりそうになる!!
彼女は少し待っているがやはり無理だ。動けない。すると手を引かれ食堂に連れて行かれる。
男の使用人達はそれを見て羨ましげな顔をする。
「まぁ、何とか馬車内で練習すればいいことですわ」
と気楽に考えているセシリアさん!
ヤバイ!出来る出来ないとかじゃなくてもうしなくてはならないのだ!
頰にチュッと返すだけ!!
禿げた僕だけど。
世にも汚い絵面になる…。王子みたいに顔が綺麗なら良かった。禿げじゃなかったら良かった。
後頭部の三つの円形禿げは後ろを見られるとすぐに判るものだ。カツラは着用してると頭皮への負担と蒸れで余計に禿げたりするらしい。それに完全にハゲ上がってる中年男性がよく使用するものだから若くしてカツラだと、笑われる対象だ。
*
そしてとうとう出発の朝。使用人達に屋敷の管理を頼み馬車に乗り込む。
執事のディーン爺は高齢だし若い侍従のジョルジュを伴った。
セシリアさんは先に乗り込んでいる。今はまだ簡素なワンピースドレスで王都に入る前に一度着替えるのだ。夜は近くの村と街道沿いの宿場町で眠ることになっている。
セシリアさんは
「おはようございます、ローレンス様!とうとう出発ですね」
チュッと普通にしてくる。
何故そんなにスムーズに?そうか家族といつもしていたんだ!
僕には家族はいなかったし。小さい頃も両親は喧嘩ばかりで僕のことなんか見向きもされずに僕は二人から愛情を向けられたことはなく放置させらていたし、僕も両親を避けていた。
出来なくて当たり前だ。
「どうしたのです?軽くでいいんですよ?」
と手を握り落ち着かせてくれる。
「失礼では無いですか?嫌ではないですか?僕なんかが!」
と怯えて言うとセシリアさんは
「私達は夫婦ですわ?例え今は本当じゃなくても…。ローレンス様がそんなにお嫌なら無理にとは言いませんが…」
「嫌だなんて!そんな!恐れ多い!セシリアさんの綺麗な頰が汚れるのではと危惧しております!」
するとセシリアさんは困り
「ローレンス様!ご自分を卑下し過ぎですわ!まるでご自分をばい菌のように例えているではないですか!貴方は伯爵家のご当主様ですよ?」
「…………はい、すみません」
「直ぐ謝るのも直した方がいいですよ?大丈夫ですか?辛いですか?」
彼女は横に来て背中を優しくさすってくれた。その優しさに涙が出そうになる。
このままではダメだ!震えながらも緊張しつつ顔を素早く近づけて僕はチュッとお返しにほっぺにキスをした。滑らかな肌、綺麗なその頰に。罪悪感が凄い。直ぐにザザッと距離を空けてしまった。俯いて赤くなり
「ごめんなさい!」
と謝るとクスクス笑い
「ようやく出来ましたわね!!その調子ですわ!!自信を持たれて!」
と言う。
たかが挨拶のキス。もっと普通にできるようになって王子の前で見せつけなくては…セシリアさんも王子を恨んでいるだろうし、その為に頑張ってきた。
僕のことなどセシリアさんは愛していない。好きでもない。仮面夫婦だ!期待してはダメ!
単なる憧れの高嶺の花!
必死で言い聞かせた。
それからはセシリアさんの楽しいお話を聞いた。子供の頃のことや意外にも剣を奮い王子を負かしたことや肥溜に落としたことも言う。そのせいで恨まれたとかも。
「うふふ、こうしてお話したのも久しぶり!私は他の令嬢から王子のせいで嫌われてしまいましたから。以前は…普通に喋ってくれた令嬢達も婚約破棄の断罪で離れて行きました…」
とセシリアさんは目を伏せる。
その友達も態度を変えるなんて…。なんてことだ。いくら王子に断罪されたからと言って仲良くしていたのは上辺だけだったのか。いや…貴族女性にはよくあることなのかもしれないが…。
「セシリアさん大丈夫です。リネットさんはきっと侍女じゃなければ良いお友達です。ウォルトくんの件で信頼できる良い人だと思いました」
「そうね…。ありがとうございますローレンス様」
と綺麗に微笑むのでやはりドキドキして堪らない。心臓が止まらないかヒヤヒヤする。
夜になり近くの村に泊まることになる。村に一つだけある宿の部屋を取った。夫婦はもちろん別だ。夕飯を食べお風呂から上がり寝巻きに着替えたセシリアさんは良い匂いをして
「お休みなさい!また明日!」
とチュッとキスし僕もおどおどしつつ頑張り返した。
「お、おおお休みなさいませ!!セシリアさん!」
た頭を下げた。禿げが見えようがもうそれどころじゃないくらい心臓がうるさいのだ。
「はい!では…」
とセシリアさんは自分の部屋に入り鍵をかけるのを見届けて僕も自分の部屋に入る。
キスされた頰をさすり美しいセシリアさんのことを想うだけで心が満たされて嬉しくなる。社交辞令と知りつつも僕は…
たかが挨拶に舞い上がっている。
少しだけこれは夫なった僕の特権であるので…もしセシリアさんが違う人と結婚していたら当然僕などにキスもしないし花嫁に来ないだろう。
「セシリアさんが来てくれて良かった…」
と思う。あんなに美しい人を手放し他の男爵令嬢に手を出して妊娠までさせた王子の正気を疑う。
翌日の朝に村を立ち馬車は途中の石橋が壊れているので少し危険な崖の下を回って通った。
今回の夜会は妊娠中のその男爵令嬢との婚約発表も兼ねている。正体された者は王子達に挨拶を一度でもするのがマナーだ。
その時にきっと凄い嫌味をセシリアさんに言ってくるだろう。
ぼ、僕が彼女を…ま、守らないと!
と僕は拳を作る。その時だ!
ガラガラと何か音がして馬車は激しく揺れた!!馬がヒヒンと騒ぎ、傾いて馬車が倒れそうになりセシリアさんも
「きゃあ!!」
と転びそうになり咄嗟に彼女を助ける為に下敷きになる!
馬車は横転し側でガコンと大きな音がした!!
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