第32話 再会

「ロイ……ロイ……!」


 誰かの声が聞こえて、ロイは目を覚ました。


 数カ月前から、ロイは一人部屋で過ごすようになっていた。


 換気窓があるだけの半地下に、簡易なベッドとトイレ代わりの壺が置かれただけの殺風景な部屋だ。入り口の扉には外側から鍵がかけられている。


 ロイは足首を鎖で繋がれており、逃げ出すことは出来ない。


 もっとも、ロイに逃げ出す気配が無かったことから、一人部屋を与えられ、ベッドで眠ることを許されているのだが。


「ロイ……! 聞こえるか? 返事をしてくれ……!」


 誰かの囁き声は続いている。声は、換気窓からしているようだった。


(誰だ? ご主人様ではない)


 ロイは眉を寄せながら、ベッドを降りた。僅かな月明かりが差し込むだけの暗闇の中だが、ロイには全く支障がなかった。ロイは換気窓の真下に行くと、顔を上げた。


「……! ロイ!」


 換気窓の格子を挟んで、男と目が合った。


 知らない顔だ。


 男はロイと目が合うと、何故か泣き出した。声を押し殺してはいるが、歓喜の涙だとロイには分かった。奴隷たちが流す涙と、あまりにも雰囲気が違ったからだ。


◇◇◇◇


 ロイがいなくなったあの日から、父……エドワードはロイを探し続けた。


 真っ先に向かった父の邸宅には、幾人かの奴隷はいたもののロイの姿はなかった。フロイアがよく繋がれていた部屋にも行った。地下室から屋根裏部屋、庭の倉庫に至るまで敷地中をくまなく探した。


 当然、父にも詰め寄ったが「知らない」の一点張りだった。


 奴隷商人も探した。縋る思いで王都にも行ったが、奴はどこにも居なかった。


 エドワードは途方に暮れた。


 理由も言わずに家を空ける主人に、妻や家臣達は何度も戻ってくるよう懇願したが、エドワードは聞き入れなかった。ロイを探すことだけが、エドワードの全てだった。


 ある日、エドワードがロイが生まれた森を彷徨っていると、一人の老いたエルフと出会った。かつてエドワードに「精霊の匂いがする」と言った旅のエルフだった。


 老エルフは、エドワードのやつれ果てた姿に驚きつつ、一人では危険だと言って彼の住む山小屋まで案内してくれた。


 何故あんな所にいたのか、と問う老エルフにエドワードは答えなかった。


 口を閉ざすエドワードに、老エルフは自分の話をし始めた。


 老エルフは奴隷商人に攫われた孫娘を探しているのだという。


 2年ほど前までは僅かに感じ取れていた気配が最近では全くしなくなり、もう、この世にはいないのだと、彼は言った。


 それでも、孫娘の痕跡を探してこの地方を彷徨っているのだという。


 エドワードは、老エルフの話に涙を流した。

 老エルフの足元に這いつくばり、頭を垂れ「それは父のせいだ」と言った。


 それから堰を切ったように、エドワードは語り始めた。

 父が奴隷を虐待していること、フロイアのこと、そして今まで誰にも話したことのなかったロイのことを。


 エドワードの告白を黙って聞いていた老エルフは床に膝をつくと、エドワードの肩に手を置いた。


 老エルフはエドワードを責めなかった。


 蒼く沈んだ目で真っ直ぐにエドワードを見つめると、「あなたはまだ間に合う」と言った。


 そして、導いてくれた。


 かつて孫娘の気配が消え、精霊の匂いがしたという場所に。



 老エルフが転移魔法で飛ばしてくれた先は、父の屋敷から馬車で1時間ほどの森の中だった。老エルフは「あそこから精霊の匂いがする」と指差し、「私にできるのはここまでだ」と言って去っていった。


 エドワードは震える足で、小さな格子窓の前に立った。


(2年もかかってしまった)


 エドワードは膝を突き、屈むようにして格子窓から中を覗き込んだ。僅かな月明かりだけが差し込む半地下の部屋は、とても狭く寒そうに見えた。


 高鳴る胸を押さえ、大きく息を吸った。


「ロイ……ロイ……!」


 声を殺して呼びかけたつもりが、意外に大きな声が出てしまった。エドワードは慌てて周囲を見渡した。耳を澄ますと、木の葉のざわめきと、梟の鳴き声だけが広がっていた。


(良かった。気付かれていない)


 エドワードは気持ちを落ち着かせ、もう一度中へ呼びかけた。


「ロイ……! 聞こえるか? 返事をしてくれ……!」


 エドワードは神に祈った。ここで会えなければ、心が折れてしまいそうだった。


(頼む! 頼む!)


 鉄の格子を握りしめ、地面に額を付けて祈るエドワードの耳に、鎖の擦れる音が聞こえた。


 はっと顔を上げ、小さな格子窓から中を覗き込んだ。


「……! ロイ!」


 そこには、月明かりに照らされた美しい顔があった。


 恋焦がれ、無念のまま死なせてしまった恋人によく似た、美しい顔だった。


(あ……ああ……!)


 ぼろぼろと、涙が溢れた。


 目の前で自分を見上げる息子は、15歳ほどに見えた。すらりと伸びた手足と長い黒髪が年月を物語っていた。


(こんなに、こんなに大きくなって……!)


 最後に会った時は、まだ自分の腕に抱えられる大きさだった。

 抱き上げると「父上!」と言って、小さな手を首に回してきた。


 あの頃の温もりが、エドワードの胸に蘇る。


 エドワードは小さな格子に無理やり左手をねじ込んだ。思ったよりも換気窓は高い位置にあり、ロイの顔には手が届かない。


 ロイは不思議そうな顔で、黙って見上げるだけだった。


「ロイ。遅くなってすまなかった。怖かっただろう? 父が助けに来たよ」


 エドワードは呼びかけた。昔の様に「父上」と呼ばれることを期待して。


 だが、エドワードの耳に届いたのは、思いもよらない言葉だった。


「ロイ、とは誰だ?」

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