第20話 とある少女の生涯

 少女は奴隷だった。


 貧しい辺境の村で生まれ、幼くして奴隷商人に売られた。痩せ細ってはいたが、濡れたように艶めく黒髪と黒曜石の様な瞳を持つ少女は、それなりの金額で貴族に売られた。

 表向きは貴族の使用人として、裏では何をしても許される都合のいい玩具として。


 少女の主は、残忍な男だった。何人もの奴隷仲間が不条理に、惨たらしく殺されていった。


 感覚が麻痺し、怯えることすら忘れた少女に再び感情を取り戻させたのは、主の息子だった。読書と音楽を愛する穏やかな青年だが、奴隷を物の様に扱う父に反発する姿は頼もしかった。


 少女は青年の身の回りの世話をする中で、青年と愛し合うようになった。


 時に、主に連れ戻され、ひどい仕打ちを受けることもあったが、どんな痛みにも、屈辱にも耐えた。少女が連れ戻される度、青年は王子様の様に颯爽と助けに来てくれた。


 薄幸の少女は、懸命に生きた。全ては、愛する青年のために。


 18歳になったある日、少女は自分の身の変化に気付いた。


―――お腹に、何かいる。


 少女は顔を青ざめた。


 主は少女から大人の女になりつつある彼女に興味を失ったのか、もう2年以上会っていない。


 青年は、貴族の跡継ぎとして役目を果たすべく、他家から妻を娶り、子宝にも恵まれていた。


 青年は妻を娶ってからは一度も少女に触れていない。


 それでも、少女は幸せだった。


 青年は触れてはくれなくなったが、妻に睨まれる少女を追い出すことはせず、目が合うとこっそり微笑んでくれた。昔の様に、優しく名前を呼んでくれた。


 だから。


 今、腹の中にいる何かが異様に恐ろしい。


 人間の腹に住みつく魔物がいるという。


 腹の中に、魔物がいる。


 幸せを壊す、何かがいる。


―――これがいつか腹を突き破り外に出れば、あの人やその家族に危害を加えるかもしれない。


 少女は青年の元から逃げた。青年の幸せを守るために。


 だが、青年は妻の反対を押し切り、少女を探した。


 絶縁状態だった父の元へも探しに行った。そこで父に言われる。


 主である自分なら、奴隷である少女を見つけることが出来る、と。


 青年は一縷の望みにかけた。全ては、愛する少女を取り戻すために。


―――父の力で見つけた少女は、変わり果てた姿をしていた。


 魔物の住む森の中で、たった一人で、大きくなった腹を抱えて、息も絶え絶えに、横たわっていた。


 青年は絶句した。色々な感情がどす黒く渦巻いていた。


 それでも、青年は死にかけの少女に近づくと、震えながら手を取った。


 少女はピクリ、と指を震わせ、ゆっくりと目を開けた。


 少女の唇が微かに動き、青年の名を呼んだ。その目から、ポロリと涙が零れる。


 たまらず、青年は少女の名を呼んだ。


 混乱と、憎しみと、後悔と、恐怖が入り乱れ、それでも愛おしいと思う少女の名を。


 その瞬間、少女の体内が大きく仰け反た。少女は、闇を引き裂く様な悲鳴を上げながら、黒い羊膜に包まれた赤子を産み落とし、息絶えた。


―――こうして、ロイは人間の母から生まれた。



 父は、いない。

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