第一話 礼儀正しく大胆不敵!

「あらためて、ようこそ 一本松高校へ。松坂先生」

「は、はい…っ!」

 職員会議での挨拶と自己紹介を済ませると、初老な男性の教頭先生から、あらためて挨拶を受けている由美子。


 男子生徒にキスをされ、唇が離れた途端、由美子は頭が真っ白なまま全身の力が抜けて、その場にヘタりこんでしまったのだ。

 慌てた様子の男子生徒は、崩れ落ちる女性教師を支えながら、口づけをした自分の行動に驚いている様子でもあった。

 男子に支えられていたら、登校してきた女性の先輩教師に声を掛けられ、職員室まで付き添われた格好だった。

「大丈夫? まさかとは思うけど、男子生徒に何かされたの?」

「い、いえあの…緊張してしまって、ちょっと 立ち眩みが…」

 とか、つい笑って誤魔化しながら。

(唇を奪われたのに、なんで庇ってるのよ私っ!)

(いや教師なんだから、まずは生徒の将来を考えてっ!)

 と、一人で葛藤をしたり。

 しかし由美子自身が一番驚いていたのは、男子生徒だからではなく、彼だから無意識に庇ったような、そんな自分がいたような気がしたからだ。


「初めての赴任でクラスの受け持ちは緊張されるでしょうが、私たちもサポートしますので、頑張ってください。あ、分からない事は なんでも聞いて下さい。ま、要は慣れですから」

 と、教頭先生は励ましてくれる。

「は、はい…!」

 そうだ。

 教師になった自分には、生徒たちの将来に対する責任があるのだ。

 と、あらためて教職への熱意を燃やす由美子である。

「それはそうと、いやいや、立ち眩みをしたところに葵くんが通りかかるとは、松坂先生も運が良かったですな」

「はぁ…」

 そもそも恋人どころか、自己紹介も無しで由美子の唇を奪った、不遜な男子生徒。

 彼の名前は「葵三四郎(あおい さんしろう)」というらしい。

「彼は 今年入学した男子生徒なのですが、内申書にも全く問題なく、素行もごく普通の少年でした。しかし驚いたのは、入学試験でしたよ」

「なにか 特別な事でも…?」

 教頭先生はオシャベリ好きなのか、由美子の問いに、嬉しそうな返しを寄越す。

「なんと、我が一本松高校始まって以来の、全問正解。オール百点満点! まさにすべての試験を全問正解で合格したのですよ!」

「全教科満点っ–ですか…」

 高校大学と平均中の平均点しか取った事のない由美子にすれば、天才としか思えない逸話だ。

「それに面接でも、礼儀正しく大きな声でハキハキとしていて、まさに好青年の見本のような少年ですよ」

「は、はぁ…」

 そんな男子が、出会って一秒にも満たないであろう見知らぬ女性に、キスをしたのだろうか。

 まさか私の白昼夢?

 とか、記憶がすり替わってしまいそうな自分の心に、思わず活を入れる。

(ぃえいえいえっ! 私はたしかにキスをされてっ! だってまだ–)

 唇が熱い。

 と意識してしまい、思わずハっとなって、心臓がトクんと高鳴った。

(な、なんなの…この感じ…?)

 高校大学と、優秀ではなかったにしろ勉強一途だった由美子は、美人だけど恋愛経験など皆無。

 だから、自分の心の動揺がなんなのか、全く見当もついていないのだ。

 不意に、少年の端正なフェイスが脳裡に浮かんで、慌てる。

(ま、まあ? あんな体験、初めてだし? 犬に嚙まれて? ぉ驚いているようなモノよ、きっと!)

 と、年上ゆえのプライドが、そんな納得をしていた。


 チャイムが鳴って、教師たちがそれぞれ受け持ちの教室へと向かう。

 今日は入学式なので授業は無く、自己紹介などのレクリエーションだけだ。

「それじゃ、由美子先生。教室に向かいましょうか」

 声をかけてくれたのは、職員室まで付き添ってくれた先輩の女性教師、竹田直美(たけだ なおみ)先生であった。

 竹田先生は一年A組を担当していて、教師として四年目のベテランらしい。

「ま、高校一年生って、つまり中学四年生みたいなものだから、あんまり気負うことも無いわ。本当に、大人と子供の中間に届いたばかりの子供。みたいな感じだから」

「は、はい…っ!」

「由美子先生の場合、相手も一年生なんだし、友達感覚で仲良くなるのも良いかもしれないわね。もちろん、教師としての一線は守っての話だけど」

「は、はい…っ!」

 教師としての一線という意味では、聖なる職場に一歩踏み入れた時点で、一方的に超えさせられてしまってますが。

 などと言える筈もなく、とにかく気を引き締めて、教職に臨もう。

 一年A組の前の廊下は、教室内での生徒たちの話声で、ワイワイしている。

「さぁて、まずは一発、ガツンとやっておきましょうか」

 先輩教師曰く、子供たちには大人として、最初は威勢よく出た方が、生徒たちも落ち着くらしい。

 それは大人が子供を嚇すというのではなく、単純に、浮き足立つ大人は子供たちを不安にさせてしまう。という事実だという話だ。

「それじゃ、とにかく最初は、こっちから大声で、ナメられないようにね」

 先輩教師は、余裕のウィンクをくれて、A組の教室へと入ってゆく。

 ザワザワする教室内が、シンとなって。

『みなさん、入学おめでとうございます! 私は一年間、このA組を受け持つ、現代国語の竹田直美です。よろしくお願いします!』

 挨拶が続く間、武田先生は大きな声を緩めない。

 教室からは、生徒ちの空気が圧倒されて落ち着いて行くのが、廊下でも感じられた。

「な、なるほど…。わ私も、竹田先生を見習って、気合を入れて…っ!」

 と、一年B組の前で、グっと拳を握った由美子であった。

 一年B組も、やはり生徒たちの話声でワイワイしている。

「まずは、大きな声よね…!」

 教室前側の引き戸を開けると、生徒たちが緊張をして、シンとなる。

(よし、ここからだわ…!)

 視線を真っ直ぐに、姿勢良くツカツカと教壇へと上がり、教卓の上に出席簿を置いて、緊張しながら挨拶をする。

「コホん…えーええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 生徒たちに視線を巡らせると、由美子は違う意味で大声を上げてしまった。

 教卓の真ん前の、ド真ん中。

 大抵の生徒が出来れば避けたいその席に、ファーストキスを奪った男子生徒、葵三四郎が堂々と腰かけていたのだ。


                     ~第一話 終わり~

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