第十三夜 天使は悪魔に拐われる
ゆっくりと目を開けてあたりを見渡すソフィア様に安堵してため息をつく。神々の手を跳ね除けたはずだが、今まで経験のないことだったため、本当に神の手を跳ね除けられているか不安があった。
ソフィア様の淡い青の瞳が不思議そうに部屋を見渡して、寝台の傍にいる私を認識した。
「え?あ」
「まずはお水をどうぞ」
ニルが用意した柑橘の含んだ水を手渡すと疑う様子もなく、あっさりと飲み干してくれた。あのようなことがあっても無条件で信頼してくれるだけの情を築けていたことに小さな喜びを噛み締める。
ベリアル家の別邸の一つをリドワルド離宮に似せて作った。特にソフィア様の部屋はニルにリドワルド離宮との違いを覚えないほど、同じ部屋を作るようにと言いつけた。
「マリアンがいるってことはフェーゲ王国かな?リドワルド離宮?」
「フェーゲ王国ですが、ベリアル家の別邸です。ラファエル様がソフィア様とアリエル様をフェーゲ王国籍にするよう手続きを行いました」
「ラファエル兄様は無事に七斗学院に転移できたんだね」
「はい」
安堵した様子で息をつかれたソフィア様は手首の辺りに触れていた。いつも付けている装飾品を触れる癖だろうか。後ほどニルにソフィア様が身につけていたものをお渡しするように伝えておこう。そう考えながら、気が重い近況報告を続けていく。
「あの日から週が一回りほど経っています。今は夜半で、ニルに休憩をとらせていました。
ソフィア様が意識を失っている間にラファエル様の判断でエデターエル王国はフェーゲ王国へ庇護を依頼しました。そして、ラファエル様は王城で、ソフィア様はベリアル家で、アリエル様はナーガ家で守護を仰せ仕りました。精霊は精霊領での生活を希望したのでそのようにしました」
「あぁ、アリエルも無事なんだね」
「ええ、リンドラとその弟がお守りしています」
ペトロネア殿下本人と、その武を担う側近の家で保護するというのはエデターエル王国へ出撃したのがペトロネア殿下の側近だけという状況であれば無難な対応だ。天使を護れるほどの力があると誇示することにもなるため、一種のステータスになる。
「もう一つお伝えすることが」
「良くない情報そうだね、でも聞くよ」
「……フェーゲ王国はレイド王国に宣戦布告しました」
息を飲んだソフィア様は思わずといった様子で私の袖を握られた。力を入れ過ぎているのか、ソフィア様の手が白い。
私の手を両手で握り直したソフィア様が嘘は許さないとでも言いそうなほど真っ直ぐに私の目を見て問いかけてきた。
「マリアンも戦いに行くの?」
「いいえ」
「良かった……でも、マリアンはそれで良いの?」
「魔王陛下の決断です。陛下より、ベリアル家は力を持ち過ぎたとお言葉をいただきました」
「ああ、なるほど」
エデターエル王国への無断出撃と功の独り占めはペトロネア殿下の独断専行だ。武功をあげる機会を公平に与えるため、ペトロネア殿下を出撃させないというのが表向きの理由だ。
ただ、魔王陛下の本音はシャーロット妃のいるヴルコラク離宮の護りを厚くするために強い魔族を配置しておきたいといったところだろう。その言い訳にベリアル家とペトロネア殿下の独断専行がちょうど良かったから使われた。
「今回はペトロネア殿下の出陣も禁止され、此度の出撃は第二、第四王子が拝命しています」
ペトロネア殿下は人間相手に敗北するような王子なら
「マリアン、ごめんね。私が平和を崩してしまった」
その言葉に驚く。戦と決まってもフェーゲでは悲愴な空気はない。むしろ出撃できるのは魔王陛下から信をいただいている誉とさえ言われている。どちらかというと慶事のように扱われている。
それなのにソフィア様は謝罪の言葉を苦しげに漏らす。寝台で苦しそうに身体を折っているソフィア様を抱き締める。
「いいえ、原因はレイド王国です」
「でも」
「レイド王国が一部の天使の意識を操ってソフィア様を神のみもとへ送ろうと企てていました。ですから、ソフィア様は策に組み込まれただけで、キッカケではありません」
今回の件にフェーゲ王国も噛んでいるとは、言わずとももう理解されているだろう。これだけの大事に全く関与していない国なんてあるはずがない。
「それに私とシジルでエデターエル王国にいた彼らからお話を伺い、戦の上申はペトロネア殿下が行いました。魔族にとって戦は武功を上げるための良い道具でしかありません」
「でも、あなたは争いが嫌いでしょう?」
「そうだとして、ソフィア様を喪うぐらいなら私は戦います」
この世に地獄を作ることになったとしても構わない。そこまでは告げずにソフィア様の甘い香りのする髪を撫でる。
「マリアン、もう私に様は要らないよ」
「……わかりました、ソフィア」
そう呼びかけると言い出したのはソフィア様なのに一瞬で顔を上気させた。そう反応されると、なぜか私も恥ずかしい。
「私はいつでも婚姻して構いませんよ」
「いや!構うでしょ!王女の地位のないただのソフィアを、ベリアル家が嫡男の嫁にする?」
「ええ、します。当然です」
「……ええ?」
「ふふふ、何度でもお伝えしましょう」
ソフィア様の手を取りくるりと手を返し、手首に牙をあてる。手首への口付けは執着、天使の国ではこの口付けは大きな意味を持つと聞いている。
「私はソフィアを逃すつもりはありませんよ。この世が地獄になるとしても、あなたを奪いに来る相手が神だとしても。ソフィアを失うぐらいならこの血をすべて失っても構わない」
「え、ええ……」
目を白黒させているソフィア様は口説かれ慣れていないのがわかりやすく、とても良い気分だ。
でも、私への返答を急いで聞くつもりはない。もう急がなくてもソフィア様と話せる。同国にいれば、ベリアル家の名を持って追いかけ続けることができるのだから。
世話係として別邸に来ているニルが扉の近くに来ているのを察して、ソフィア様の手を掛布団の下へ戻す。ニルは誰かに話すような口の軽いものではないが、重症のソフィア様に無体を働いたと思われるような状況は避けるべきだろう。
「ま、マリアン!欲望の神ジラーニエル悪戯と錯覚するほど、光の女神バルドゥエルの祝福をいただきました。俯く太陽が天上へ向かう、東雲の美しさに感激し、風の神シナッツエルのご加護に感謝いたします」
離れようとする私の手を握って、ソフィア様らしくない遠回しな表現で言われた言葉を意訳して、自分で自覚できるほど顔が熱くなった。
あなたからの好意を私の願望かと思ってしまうほど、嬉しく思っています。あなたを夫に迎えられることを心より喜んでいます。
まさかそこまで熱烈な返答をいただけるなんて思ってもみなかった。むしろ恨まれて、拒絶されても手放せず閉じ込めてしまうような未来も有り得た。
顔を近づけるとソフィア様の瞳が閉じられた。そのままいつかの日と同じように、甘い香りのするソフィアの唇を奪い去り、耳元で囁いた。
「ソフィア、私の土の女神ネルトゥシエル。あなたに惜しみない風の神の守護を授けましょう」
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