異世界
気づけば異世界だった。
ついに自分にもこの日がやってきたのだ。
今流行りの異世界転生ものは不得手だが、概要くらいは知っている。別人のような容姿に不自然な程の身のこなし、抜群の頭のキレで、たちまちこの世界を牛耳っていく。もちろん、出会う女性は皆僕の虜。何という素晴らしき世界、まるで夢のようじゃないか。
「そりゃそうだ。…夢だもんな」
目覚めて現実を思い知る。鏡に映るのはくたびれて陰気な、見慣れた顔。最早溜息すらも出てこない。でもまぁ、夢の中だけでもいい思いができたんだ。昨日よりはまだマシ、そう考えてその日一日は過ぎた。
◇◇◇◇◇
だが次の夜も、その次の夜も、異世界の夢は続いた。しかも必ず前夜の続きから。そこでは相変わらずのチートぶりで、既に国王ですら従える程の英雄になっていた。
「世界の宝よ。本日もご機嫌麗しく」
道を歩けば人々から祝福の声をかけられる。だが僕はといえば、そんな彼らには一瞥もくれず無視を決め込む。もちろん、道端にいるのが可愛い女の子なら別で、声をかけて城へと誘うのだが。
城では王以下全員が跪いて出迎えてくれる。まあ当然なんだろう、何しろ僕はこの世界の頂点に立つ英雄なのだ。
「相変わらず、全員揃って間の抜けた顔だな」
「仰せの通りでございます」
どんなに失礼なことを言おうと、彼らは決して怒らない。一方の僕は、日毎増していく自分自身の横暴さに、次第に違和感を抱くようになっていた。
それでも、まあ夢なんだからと安易に考えていたが、次第にそうも言っていられなくなってきた。
夢が現実世界にも影響を及ぼすようになっていったのだ。
僕は見かけ通りに気が弱い、いわゆる陰キャで、会社でも大人しく目立たず過ごしている。そりゃ頭にくることは人並みにある。でも自分が飲み込んで、それで周りが平和に回るのなら、まぁいいかとも思うのだ。
だが、あの夢を見るようになってから、怒りを抑えられなくなることが多くなった。
「…は?お前のミス、人に押し付けてんじゃねぇよ」
何でも他人のせいにする先輩に言い放った瞬間、周囲の空気が凍った。僕もすぐ我に返り、慌てて弁明する。
「な、なんてね。冗談です、冗談。僕、全然そんなキャラじゃないっすから」
◇◇◇◇◇
こんな日々が続くうちに、夜眠るのが怖くなった。エナジードリンクをがぶ飲みし、ぼんやりと深夜のテレビを見ながら考える。
あれは僕の願望の姿なのだろうか。
けれど最早自分でも望まない生き方をしている、あれは果たして本当に僕だと言えるのだろうか。
「お前だよ」
突然、頭の中に声が響く。英雄の声だ、とすぐに分かった。
「こうなりたかったんだろう、お前。でも腑抜けのお前には果たせるはずも無くて、俺はお前の中でずっと眠ってた。そんな俺達のための世界が、運良く開けたって訳だよ。こちらの世界で屑として生きるか、あちらの世界で英雄として生きるか、さあ選べ。今ならどちらにも行けるだろう」
ま、どっちがいいかなんて考えるまでもないけどな。そう言って、英雄は笑った。
彼は彼で、この現実世界を夢として、僕の中でずっと生きてきたのだ。それはさぞかし歯痒かったことだろう。
もしあちらの世界で生きるなら、彼が今の僕にとって変わり、僕はその中で眠り続けるんだろうか。
それでも同じ僕なのだからいいじゃないか、と彼は言う。確かに異世界での生活は今よりもずっと満ち足りていた。それは多少の横暴さなど目を瞑るべきほどに。たとえ今ここにいる僕の意識が失われても余りあるほどに。
「…そうだな。明らかだよな」
◇◇◇◇◇
「お前のせいでまたミスったじゃねぇか。さっさとやり直せよ」
「…すみませんでした」
今日も相変わらず僕は、先輩にミスを押し付けられた上に謝り続けていた。
そう、僕はこの世界を選んだ。
あちらの世界は確かにとても魅力的だけれど、僕は僕として生きていきたかった。
せっかくのチャンスを不意にしたのかもしれない。けれど、たとえ全てを手に入れても、僕自身が自分を認められないような人間になるのなら意味がない。だってそれはもう、僕じゃないから。
僕の答えを聞いた英雄は笑った。怒り抵抗するかと思ったので意外だった。
「ま、でもこっちで底辺から成り上がるのも面白そうかもな。せいぜい足掻け。それと、俺がいるのも忘れるなよ」
それからあの夢は見なくなったし、声も聞こえない。ただ、何も変わらないかといえば、それもまた違っていた。
「大丈夫?手伝おうか」
以前から、何かと先輩から僕への仕打ちを気にかけてくれる同僚だ。僕と同じように、気が弱そうだけど真面目な女子。これまでは接し方がわからなくて、何となく断っていたけれど。
「ありがとう。じゃ、頼んでもいい?」
「…うん!任せて」
「……。あ、あのさ」
「?」
「よければ、飯でもどう?お礼に奢らせてほしいんだけど」
僕の中に確かにいる、英雄になれた自分。あいつは消えた訳じゃない。「忘れるな」と言っていたんだ。その存在が励みになって、僕は少しずつ生き方を変えている。
弱いままの自分で、強い自分へ。
…でも、やっぱりちょっと、勿体なかったかな。
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