第3話
「2人は何をしているの?」
砂浜に木の棒で文字を起こしている男達に女の子は質問しました。難問に対してああでもないこうでもないと問答しながら2人して棒を滑らしていました。女の子はそれが終わるのを待っていましたが、最初は好奇心旺盛にワクワクしていたのが退屈であくびするくらい、太陽の角度が30度変化するくらい時間が過ぎてもう一度質問しました。
「ねぇ、何をしているの?」
「これは数学です。ご存知ないのですか?」
カキは手を止め女の子に目を合わせながら答えました。ダイスは相変わらず集中しながら数式を書き連ねていました。女の子はその数式の意味がわかりませんし、そもそも数学どころか算数も知らないし、数字も知りません。
今の日本と違い、この時代は一部の特権階級以外に子どもの教育が施されていなかったのです。したがって、女の子が数学を知らないことは不思議なことではないのです。女の子はカキに数学のことを質問しました。
「数学が何って聞かれても難しいですね。遊びでもあり、仕事でもあるのです。遥か昔に西の国で生まれたものです。数学は大変便利なもので、建築とか地図製作とかいろいろなところで活躍しました。数学によってその国は繁栄したのですが、あるときに偉い人が敵視して国から追い出したのです、数学自体も数学を司る人たちも。その追い出された人たちは東へ逃げていき、東の文化を取り入れながら数学を独自に発展させていきました。そういう生活を何十年何百年続けながら、そのうち祖国に帰ることを夢見ているのです」
カキは懇切丁寧に説明しましたが、それがどういうことなのか女の子にはわかりませんでした。ただ、カキの表情から親の殺した張本人を睨むような並々ならぬ覚悟を感じたので、彼女は身震いしながら唾をゴクリと飲み込みました。それを感じ取ったカキは深呼吸を一息して、子供をあやすような柔らかい顔になりました。
「すみませんね、わかりにくかったですね。数学というのは、楽しいものなのです。昔の人の中には戦争中に地面に数式を書いて、敵に取り囲まれてやめるように命令されてもやめずに邪魔だと逆ギレして殺されるマヌケがいたといわれています。数学でその場を何とかできるわけでもなく、ただ単に空気を読めずに自分の世界に熱中する人がいるような魅力があるということです。まぁ、さすがにこの話は大げさに伝えられていることであり、実際にそこまでのマヌケはいないと思います」
カキは口を隠しながらも口角が上がるほど笑いました。女の子はその昔話に興味を持って目を星のように煌めかせました。そして、ほかに面白い人の物語がないかと懐いたようにカキに問いかけ、カキは数学者の面白エピソードを続けました。
「……というように、その人は自分の書いたものを読んで『これ面白いね! 誰が書いたの?』って言ったんだ。バカだよね、自分が書いたものだと気付かなかったんだよ。それから、別の数学者なんだけど……」
カキの語り中、誰かが砂をける音がしました。カキは気付いて話を途中にやめましたが、ダイスは気づかずに数式を書き続けました。そこにはゴロツキたち10人がハイエナのように群がって3人を取り囲んでいました。
「おいおい。何しているんだ? ああん?」
いろいろな怒号が飛んでいましたが、大体は同じような内容の中身のない威圧で一律になっていました。その怒号に怯える女の子、冷静沈着に見渡すカキ、1人の世界に没頭して浜辺に数式を書き続けるダイス、三者三様でした。同じような風貌のゴロツキどもは皆一様に自分たちを無視し続けるダイスを険悪な顔で見ていました。
「てめえ、シカトこいてんちゃうぞコラァ!」
ゴロツキたちはダイスの目の前に来て、ダイスの持っている棒を手ごと蹴りつけました。そのまま、ダイスが一生懸命書いた数式を消しゴムのように草履でグリグリとすり潰しました。ダイスは下から男を睨めつけました。
女の子はカキに教えてもらった昔話を思い出しました。敵に囲まれた数学者が空気を読まずに逆ギレして殺される話を。彼女は同じことが目の前で起こるのではないかと内心ヒヤヒヤして体が震えていました。
「なんだ? なんか文句でもあるんか? ああん?」
ゴロツキたちの威圧に対して、ダイスは土下座していました。そして、そのままゴロツキたちにフルボッコされていました。抵抗することもなく、情けなく、傷だらけでした。
ゴロツキたちが去ったあと、カキは口も隠さず大笑いしていました。ダイスもそれに釣られて大笑いしました。女の子は1人置いてきぼりの気持ちでした。
「ねぇ、どうして笑っているの? 痛くないの?」
「痛いよ。めちゃくちゃ痛いよ。笑わなきゃやってられないよ」
ダイスは涙目で即答しました。その返事の速さに女の子は驚いて体に電気の走ったかのようにビクッと肩が上がりました。カキは大きく開いていた口を紳士的所業を想い出したように手で隠し、笑いをこらえて生まれたてのバンビのようにプルプルと震えていました。
「それにしてもダイス、思った以上にフルボッコでしたね。というか、いきなり土下座はないでしょ、土下座は。舐められて逆に悪化しますよ、そういうのは」
「そうなのか!? この国ではこうすることが仲直りに一番いいと聞いたがっ!?」
「誰に聞いたのですか? 私もこの国の文化にはそこまで詳しくはないですが、土下座すればいいものではないですよ。過程が大切ですよ、過程が」
冷静に答えるカキに対してダイスは両手を開いて教えを請うように言いました。ダイスは要らぬ恥をかいたことで頬を紅潮させていました。そして、自分の恥を誤魔化すためにカキに対して当たりを強くして、殴りかかりました。
「というかカキ、お前は助けろよ。仲間が痛めつけられているんだぞ!」
「私は触らぬ神に祟りなしの精神です。これ以上ダイスの世話をするのは勘弁です」
女の子が心配しているのを他所に、2人の男は喧嘩を始めました。口論から手を出す喧嘩へと変わってい行き、ダイスが一方的にボコボコにされて傷を増やしていました。どうやらこの2人ではカキのほうが立場が上のようです。
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