第39話 晴れの日


 四角い額縁の中の彼女は、僕の知らない健康的な姿で笑っていた。

 葬儀の日、空は青く澄み渡り、風はいつもより少し暖かかった。彼女の旅立ちにふさわしい日だ。

 羽子さんは絵を完成した次の日に昏睡状態に陥り、三日後に息を引き取った。

 あれほど羽子さんを苦しめた痛みは、死がすべて連れ去ってくれた。

 どうか天国で穏やかに過ごしてほしいと願いながら、僕は焼香を済ませ彼女に別れを告げた。

 いま頃彼女は、その背に生えた翼を羽ばたかせながら、光の梯子を上っているだろう。



「羽子のあんなに安らかな顔を見られたのは、あなたのおかげだわ」



 葬儀場を出たところで僕を呼び止めたのは、喪服姿の羽子さんの母親だった。

 ありがとう、と深く頭を下げた彼女は、病院で取り乱していた姿からは想像もつかないほどしっかりとして見えた。

 羽子さんが必死で最後を生きていた間に、羽子さんの母親も覚悟を決めていたのかもしれない。

 逆に病院ではしっかりして見えた妹の青子さんは、会場で泣き崩れていた。青子さんと同じ制服姿の生徒や、羽子さんの友人らしき人たちに慰められていた青子さんに、僕はかける言葉が見つからず、そのまま頭だけ下げて出てきてしまった。

 羽子さんが見たら「挨拶もしないって、人としてどうなの?」と怒りそうだ。

 羽子さんは安らかな死を迎えたが、僕の中の彼女はこれからも、生き生きと僕にあれこれ言ってくれるだろう。



「あの子が絵を描くのを止めていたら、きっと後悔してたと思うの。あの子も、私も」


「……はい」


「取り返しのつかないことをするところだったわ。……あのとき、叩いたりしてごめんなさい。綿谷くん、本当にありがとう」


「僕は何も。こちらこそ、羽子さんを最後まで見守らせてくれて、ありがとうございました」



 病院から無断で連れ出した怪しい男。羽子さんのお母さんにとってそれが僕だった。

 僕を緩和ケア病棟に出入り禁止にすることもできたはずだが、羽子さんのお母さんはそうしなかった。元々羽子さんと知り合いだったわけでもない、突然現れた不審な男子高校生が、余命わずかな娘のそばにいることをよく許してくれたと思う。

 僕のほうこそ、いくらお礼をしてもしきれないくらいだ。



「いいお葬式だったでしょう?」


 羽子さんのお母さんに急にそんなことを聞かれ、僕は下げた頭を戻してうなずく。


「はい……とても」



 葬儀会場は、羽子さんの描いた絵がずらりと並んでいた。

 羽子さんが初めて描いた絵。ピンクのもじゃもじゃな塊は、お母さんを描いたものらしい。他にも小学校で初めてコンクールに入選したときの絵や、ルーズリーフに描かれた教室の風景のらくがき。そして病室で生み出された絵もすべて額に入れ飾られていた。

 僕の知らない羽子さんの過去を見せてもらえた気がして、嬉しかった。

 花よりも絵の方が多い葬儀会場は、美しく華やかで、温かく。「素敵でしょ?」と自慢げに笑う羽子さんがそこに見える気がした。



「羽子があの絵を完成させていなかったら、こんな風にお葬式にあの子の絵を飾ってあげられなかったと思う。……あの子、喜んでくれてるかしら?」


「……はい。きっと」



 羽子さんのお母さんは嬉しそうに笑い、僕の手をとった。

 少しかさついた優しい手が僕の手を包みこむ。不思議と、わからないはずの温かさを感じた。



「今度は家に、あの子の絵を見に来てくれる?」


「はい。ぜひ」



 しっかりと手を握り返しうなずく。

 僕にだけ聞こえる声が楽しげに「よし、合格」と囁いた。



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