第4話1-4:はやしたてるもの

「――ところでさっき僕の考えを当てたことだけど、常識とどう関係があるのですか?」

「今頃その話? もう終わった話よ」

「そうですか。遅かったですか」

「どうしてかというと……」

「教えてくれるのですか!?」


 何事もなかったように淡々と説明を始める年配の教授のように折り鶴少女に対して僕は


「……まず、あなたが天気のことについて話そうとしたこと、これは会話に困ったときの典型的なダメな話題ね。では、なぜ天気の話題がダメな会話の典型かはわかる?」


 急にクイズ番組ですか?


「さぁ、天気が目に入って誰でもすぐに思いつくからですか?」

「なるほど、そういう考え方もあるのね。でも私が思うに、困ったときには天気の話をしてしまうことが脳の中に刷り込まれたのよ。それは、普段の会話やなにかの作品を通して、例え悪いことだとしても反射的に話題にしてしまうように教育されているの。俗に言うパブロフの犬ね」

「パブロフの犬って、日常会話で初めて聞きましたよ」

「それは、日常会話でする会話ではないとどこかで刷り込まれたのね、天気の話題みたいに。そうよ、天気の話は安直すぎて良くないという価値観を刷り込まれたから、話を変えようとしたのでしょ? まるで犬ね」

「せめて、パブロフをつけてください。違う意味に聞こえますよ」

「私があなたのことを常識人といったのは、そういう刷り込まれた考えから導かれる行動を取っているからよ。それはすごくいいことだと思うわ」

「その言い方はイヤミがあるのですが」

「何がよ? 私は本心で言っているわ」

「要するに僕は常識にとらわれてステレオタイプな行動を取ることしかできない犬畜生なんですよね?」

「そうよ」

「悪口ですよ!」

「……どこが悪口なんだ?」

「はぁ? どこが悪口じゃないのですか?」

「あのね、あなたは何か勘違いしているかもしれないけど、そういう人間は優秀なのよ」

「優秀?」

「昨今は、既存の概念からの脱却だとか、レールの敷いていない道を自分で開拓することが良いだとか、社会から自由になりたいだとかが持て囃されているようだけれども、それは沢山ある価値観の一つってだけよ。保守的なものも大切よ」

「うーん、なんとなくはわかります」


 僕の心の奥にほこりをかぶっていた何かが洗われた気分でした。内心思っていたけど周りから蓋をかけられた、間違っているとレッテルを貼られる思想です。僕は折り鶴女子に共感できそうです。


「わかるかしら。それに正直言って、殺人も自殺も必要だと思うわ」


 共感できなかった。


「それはちょっと」

「あと、さっき言っていた友達がいない利点は間違っていると思いわ、よく考えたら」

「ちょっとちょっと、待ってください。思考が追いつかないです」


 僕は手を前に伸ばし待って欲しいポーズをしました。折り鶴女子は理解したように微笑を浮かべて開いた口を閉じてくれました。釈迦の手のひらで踊らされている孫悟空の気持ちは今の僕のようにてんやわんやだったのでしょうか?


「待ったわよ。何?」

「ちょっと整理させてください。君が言いたいことは……」


 冷静な折り鶴女子に対して僕があたふたと自分の言葉を選んでいた時である。


「ひゅーひゅー、お熱いねー!」


 そうはやし立てる者が出てきました。その言葉に起爆されたようにドッと教室内に笑い声が充満しました。僕は状況を理解して、やけどのように体の表面が熱くなりました。


「まずったな」


 そう独り言をガスのように漏らす僕の肩の上に重みを感じました。僕の背後から右手と顔が伸びてきました。その男子生徒は教室中に聞こえるようにわざと大声で言いました。


「お前たち、付き合っているのかよ? さっきから仲良く話をしやがって。普段はおとなしいのに、やるときはやるんだねー」


 周りではさらに大きな熱気が舞っていました。女子生徒たちは口ではやめるように口々に言いますが、表情はその様子を楽しんでいるように見えます。男子生徒たちに関しては隠すこともせず獲物を食べる大蛇のごとく大口を開けて笑っていました。


「ち、違いますよ」


 僕は精一杯に否定しますが、小さくかすれた声は爆竹のような賑やかさの中に掻き消えました。僕に腕を乗せる男子生徒も周りの生徒たちもケラケラと竹を叩く音のように笑っていました。僕は親を馬鹿にされたようなとても屈辱的な気分に奥歯を噛み締めました。

 それと同時に折り鶴女子をこんな出来事に巻き込んでしまったことに申し訳なく思いました。フルフル震えている僕とは違い、折り鶴女子は表情一つ変えず人形のように静観していました。僕が思うに、内心ではものすごく困っているでしょう。


「おい、嘘つくんじゃねぇよ。付き合ってんだろ?」

「だ、だから違います」


 僕は圧迫面接のごとく顔の横で何回も男子生徒に威圧されました。拒絶反応で周りの声が遠のいていき、視界も闇に溶けていきました。僕は母胎の中に戻ったように一人の世界に逃げ込み、必死に五感を削ぎ落としました。


「付き合っているわよ」


 僕の周りに光が差し音も戻りました。それと対になるように、教室は暗く静まり返りました。折り鶴女子は言葉を終えてそのまま鶴を戯れる自分ひとりの世界に戻りました。

 周りの人々はつまらなそうに僕たちから、話題から、面倒くさいことから離れていきました。僕は心身ともに肩が軽くなり、安堵の息を履きました。そんな僕や周りの反応に対して素知らぬ顔をしている折り鶴女子は別世界の人のようでした。


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