4-8. 尊い愛の戦士

 その時だった、アバドンが耳打ちする。

「私がヌチ・ギを何とかします。その間にあねさんをお願いします」

 そう言って壁の切り口に手をかけた。

「いや、ちょっと待て! 死ぬぞ!」

 俺は制止する。ヌチ・ギに攻撃したって全く効かないはず。拘束できても数十秒が限界に違いない。そしてきっと殺されるだろう。

 しかし、アバドンは覚悟を決めた目で、

「私にとってもあねさんは大切な人なんです。頼みましたよ」

 そう言い残して切れ目を抜けて行く。命をなげうつ献身的な決断に俺はアバドンが神々しく見えた。悪を愛する魔人……とんでもない。俺なんかよりずっと尊い愛の戦士じゃないか……。

 俺は思わず涙をこぼしそうになるのをこらえ、急いでアバドンに続いた。アバドンの捨て身の決意を無駄にしてはならない。


 アバドンは目にも止まらぬ速さでヌチ・ギにタックルを食らわせ、部屋の奥まで吹き飛ばした。さすがの管理者も不意打ちを食らってはすぐに対応できないだろう。


 俺はドロシーに駆け寄り、

「今助ける。静かにしてて!」

 そう言いながら小刀を取り出し、ドロシーの手を縛っている革製の拘束具を切り落とす。そして、落ちてくる身体を優しく支えた。

「あなたぁ……」

 抱き着いて泣き出すドロシー。愛しい温かさが戻ってきた。

 しかし、時間がない。

 部屋の奥から激しい衝撃音が間断なく上がっている。アバドンが奮闘しているのだろうが、もうすぐ形勢逆転してしまうだろう。

 俺はドロシーの手を引いてドアを抜け、通路を走った。

「急いで! 裸のままでごめん、時間がないんだ」

「ねぇ、アバドンさんは?」

 泣きそうな声で聞いてくる。

 俺はグッと言葉を飲み込み、

「大丈夫、彼なりに勝算があるんだ」

 と、嘘をついて涙を拭いた。


         ◇


 二人は必死に通路を駆け抜ける。そして、突き当りの壁をナイフで切ると飛び込んだ。

 俺は土の中を必死に切って前進を繰り返す。ヌチ・ギが屋敷内を探している間にエレベーターに入れれば俺たちの勝ちだ。アバドンの安否は気になるが、彼が作ってくれたチャンスを生かすことを今は最優先にしたい。


 切りに切ってフェンスの断面が見えたところで上に出る。そっと顔を出すとエレベーターの前だった。やった!

 俺は急いで飛び出してボタンを押す。

 扉がゆっくりと開く。これで奪還計画成功だ! 俺は切れ目からドロシーを引き上げる。


 ところが……、エレベーターの中から冷たい声が響いた。

「どこへ行こうというのかね?」

 驚いて前を向くと……、ヌチ・ギだった。

 青ざめる俺をヌチ・ギは思いっきり殴る。吹き飛ばされる俺。


「きゃぁ! あなたぁ!」

 ドロシーの悲痛な叫びが響く。


 一体なぜバレたのか……。さすが管理者、完敗である。

 俺は地面をゴロゴロと転がりながら絶望に打ちひしがれた。

 もうこうなっては打つ手などない。逃げるのは不可能だ。だが、殺されるのなら少しでもあがいてやろうじゃないか。

「お前、戦乙女ヴァルキュリ使ってラグナロク起こすんだってな、そんなこと許されるとでも思ってんのか?」

 俺はゆっくりと体を起こしながら、血の味があふれる口で叫んだ。

「ほう? なぜそれを?」

 ヌチ・ギは鋭い目で俺を刺すように見る。

「大量虐殺は大罪だ、お前の狂った行為は必ずや破滅を呼ぶぞ!」

 俺はまくしたてる。タラりと口から血が垂れる感触がする。

「はっはっは……、知った風な口を利くな! そもそも文明、文化が停滞してる人間側の問題なんだぞ、分かってるのか?」

「停滞してたら殺していいのか?」

「ふぅ……、お前は全く分かってない。例えば……そうだな。お前の故郷、日本がいい例だろう。日本も文明、文化が停滞してるだろ? なぜだと思う?」

 俺はいきなり日本の問題を突きつけられて動揺した。そんなの今まで考えたことなどなかったのだ。

「え? そ、それは……、偉い人がいい政策を実行しない……から?」

 俺は間抜けな回答しかできなかった。

 ヌチ・ギはあきれたように首を振り、さげすんだ目で言った。

「バカめ! そんな考えの市民だらけだからだよ! いいか? イノベーションというのは旧来のビジネスモデルや慣習をぶち壊す事で起こり、それが新たな価値を創造して社会は豊かになり、文明、文化も発達するのだ。Google、Apple、Amazon……、日本にはこれらに対抗できる企業は出て来たかね?」

 俺は必死に思い出してみたが……、何も思いつけず、うつむいた。

「上層部が既得権益を守るためにガチガチにした社会、そしてそれをぶち壊そうとしない市民、そんな体たらくでは発達などする訳がない!」

 こぶしを握って熱弁するヌチ・ギ。

 俺は反論できなかった。既存の大企業中心の社会構造に疑問など持った事もなかったし、それで日本が衰退していったとしても、自分は何の関係もないと思っていたのだ。アンジューの貴族の横暴についてもそうだ。逃げることしか思いつかなかった。

 そして、ヌチ・ギはドヤ顔で言い放つ。

「だから、俺がぶち壊してやるのさ。下らぬ貴族階級支配が隅々までガチガチにし、それに異論も出さないような市民どもでは文明、文化の発達はもはや不可能だ。神話通り、滅ぼしてやる!」

 俺は不覚にも圧倒された。ただの狂人だと思っていたが、それなりの根拠があって社会変革を起こそうとしていたとは……。

「美しき戦乙女ヴァルキュリたちが横一列に並んで火を吐き、街を焼き尽くしながら行進するのさ。ゾクゾクする光景になるだろう。平和ボケした連中の目を覚まさせてやる!」

 ヌチ・ギはうれしそうにまくしたてる。

 しかし、そんなのはダメだ。どんな理由があれ、多くの人を虐殺するような行為は正当化などできない。

「言いたいことは分かった。だが、だからと言って人を殺していい訳がない!」

 俺は必死に反論する。

「バーカ! このままならこの星は消去される。全員消されるよりリセットして再起を図る方がマシだ!」

「消去されない方法を模索しろ! 俺がヴィーナ様に提案してやる!」

 美奈先輩は話せばわかる人だ、きっと解決策があるに違いない。

 しかし、ヌチ・ギは大きく息をすると肩をすくめ、首を振り、

「議論など無意味だ。もう計画は動き出しているのだ」

 そう言って俺に手のひらを向ける。

 そして、いやらしく笑うと、

「死ね!」

 そう叫んだ。

 もはやこれまでか……。俺は死を覚悟し、目を閉じた。

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