彼の者は魂を救う
真っ黒な遮光カーテンを身体に巻きつけたような暗い空間。気がつけばそんな場所に居た。
全く知らない、覚えないの空間だ。当然不安になる。足を動かす。しかし気づいた、身体がない。
いや、それより私は誰だ。私という存在はいったい何者なのだ。何もわからない。記憶に靄がかかってように、なんてほどではない。ごっそりとないのだ、何もかもが。
私?僕?俺?うち?誰なのだろう。自分という存在は。
そのことに再び不安になる。自分が自分じゃなくなる。綺麗サッパリとなくなる。
そんな不安を照らすかのように、背後から橙混じりの黄色い光が射し込む。存在しない顔を後ろへ向ける。
ただただ暗い空間には不似合いな一軒の建物が建っていた。ログハウスの様な見た目をしており、何かよくわからない言語で屋根に看板がかかっている。
この文字は読めない。けれどなんとなく、読める。
『魂の救済屋』
これだろう、正しい読みは。何故読めたのか、なんてことはわからない。身体も記憶もない。
けど魂がここに行くべきだと、強く反応している。自分の存在を知るべく、この不可思議な建物に入る。
建物の内装は予想通りカントリー風、というわけでもなかった。バーカウンターに棚に陳列してある瓶。お酒のことなどわからない。そもそも自分のことすら知らない。
けどこのお酒の数々はだいぶ高そうだ。
とてもちぐはぐなこの建物、人は居ないのかと探すとカウンターの奥の扉が開き人が現れた。
フードを被っており顔はわからないしローブを纏っているため体格もわからない。せいぜいわかるのは身長ぐらいで、170くらいだろう。
突如声が響きわたる。心に酷く響く声が。
「汝、我が身に何を求む者か」
普通ならこんな怪しい人は無視してこの建物から出るだろう。しかし何故か、カウンター前の椅子に自分は座っていた。
ーーーーー
ーーー
ー
時刻は午後1時、先ほどまで晴れていた空は息を吹きかけたガラスのように曇り始めた。1時間後には鉛の様に曇り雨が降るかもしれない。
天気予報では晴れの予報だったんだがなぁ…
俺とこの姉探しの少年は今現在、近くにあったカフェに来ている。静かな雰囲気を壊さないよう、しかし癒しを提供するため小さいながらもしっかりと聴き取れる大きさのアイリッシュ音楽が流れていた。
「さてと… それじゃあまずは…」
「姉さんはどこに「自己紹介からだ」あ、す、すまない…」
「とりあえず俺から、氷室総司。ジャーナリストだ」
「ああ、俺は
「ほいほい、んでだ… 浩之君は姉である陽沙之さんを見つけたい、第1の目標はこれでいいね」
「あ、ああ… 第1の目標?」
「まあ落ち着いて聞いてくれ、当然第2もあるわけだ。お姉さんが見つかったとしよう、仮にだ、仮にだぞ、お姉さんが五体満足じゃなかったら君はどうする」
「ーー!てめぇ!なに「だから落ち着けよ」」
「君は、しっかりとお姉さんと向き合えるかい?失踪事件ってのはな、仮に見つかっても精神が崩壊してたり、大怪我をしてたりとか必ずろくな目にあってないわけだ。どんな結果であれ、その事実に向き合えるか?」
「くっ、ああ…」
歯ぎしりの音が聞こえる。最悪の事態を想定したのだろう。決して虐めたいからやっているわけじゃない。
彼に希望だけを持たせるのはダメなのだ。世界は理想に厳しく現実を突きつけてくる、少々依存気味な彼のことだ、もしこのことを言わず彼に最悪の結果を見せていたら彼は壊れるだろう。
ふと時計を見る。時刻は午後2時。濁りきって空からは針のように尖った雨が降り注いでいた。
空と同じように、地面のアスファルトを曇らせてゆく、冷たい雨。
「あらかじめ覚悟しておけよ… さて、家族構成を教えてくれないか」
「俺と姉さんと母さんだけだ… 父親なんていない」
「それは元からかい?それとも途中から?」
「あんな糞野郎の話なんてどうでもいいだろ…」
「わかった、悪かったよ。それじゃあ家族についてより教えてくれないか、あとお姉さんが消える直前の様子とか」
「ああ、母さんは2年ほど前に体調を崩して仕事を休んで入院している。今まで女手ひとつで俺たちを育ててくれていたからな。無理ばかりしてそれがとうとう現れたんだ。姉さんは成人してからとても働く様になった。いつもいつも、俺を大学に行かせるんだって必死に働いてさ… 俺自身もバイトして家計とか大学費用を貯めてたけど、当然生活は苦しくなっていってさ… そりゃそうさ、成人になったばかりの人間の給料なんて高が知れてる」
手帳に軽くメモを書いていく。情報はどれだけ小さいものでも逃しちゃいけない。
「そしたら2ヶ月ぐらい前だな、姉さんが突然大丈夫、これから快適な生活を送らせてあげるからって言ってきたんだ。事実その日以降から生活はそれなりに快適になった。姉貴が何をしたってのはわからない。けど、朝帰りが多くなったんだ… 俺はガキだけどそんな馬鹿じゃない。何してたってのは予想がつく…」
「ああ、そうだな」
「それで1週間前いつものように家を出て行ってから姉さんは帰って来なかった」
「そうか、ありがとうな。必ず見つけてやる。ああ、絶対にだ」
「頼む… 」
「ふっ、このホームズも敵わないと思うような難題を解き明かすことが出来るこの俺、氷室総司に任せな」
「はっ、なんだよそれ…」
笑ってくれた。鼻で笑うとしか言いようがないが、全てを諦めたような笑いより断然良い。救えるものがあるなら、俺はいくらでも道化になってやるさ。
「なんで、あんたは俺に力を貸そうなんて思ったんだ」
「さてな… 俺もガラじゃないってのはわかってるしこういう人間じゃないってのもな。けど… わからないけど救うべきだって、魂が騒ぐんだ」
「…変な奴だな」
「はっ、俺ほど優れた人間はいないからな。常人に変と思われるのも当然だ」
「ああそうかよ… ありがとな」
「おいおい、礼はまだ早い。…なんて普通の奴は言うだろうよ。だが俺がこの依頼を完遂するのはわかりきっているからな。仕方なくその礼を受け取ってやるよ、報酬として」
時刻は午後3時、カフェから出た俺たち。雨は止み、雲の合間から光が射し込む。先ほどまでの天気はいったい何だったのだろうか。随分と不安定な天気だと思う。
できればこのまま晴れ続けて欲しいところだ。
ーーーーー
ーーー
ー
「ふふ、なーんてね」
重苦しい雰囲気を出していたこの人物はフードとローブを脱ぎ自分に姿を現した。
「やあ、いらっしゃい『魂の救済屋』にようこそ」
目の前に立つ白髪の青年は笑みを浮かべてそう言った。どうやら自分のあの読みは合っていたらしい。
合っていたのは良いが、結局何をするのかわからない。
「あっと、そうだよね。失敬、失敬。久しぶりのお客さんでね、少し舞い上がってたんだ。さて、まず君の姿を戻さないとね」
そーい、と気の抜けた声と両腕を前に伸ばすポーズをする青年。なんかこう"波"が出るのかと思ったけどそんなことはなかった。
少し残念だ。しかし効果はあるようだ。自身の身体が徐々に作られていく。このままいけば頭まで再生され自分が誰かわかるだろう。
うん、骨だけが再生された。あれ、肉は?肉はどこいったの!抗議するかのように腕を振るう。しかし虚しいかな、骨と骨が擦れるかちゃかちゃという音しか鳴らない。
「あはは、ごめんごめん。もう少し待って欲しいな。現代風に言うなら今君のzipファイルをダウンロードして解凍してる途中なんだ。まったく…天界のシステムは古くて嫌になっちゃうよ。早く新型を作ればいいのに…」
色々と言いたいことはある、だが口がない現在では何も言うことは出来ない。仕方なく身体zipの解凍を待つのであった。
数分後、そこには中々に美しい女性のが姿が…!
「うんうん、身体は無事みたいだ。これから記憶の方を解凍するからね。少し待ってくれ。まっ、正しくは魂なんだけどね」
どうやら自分は私でよかったらしい。また時間がかかるのだろう。仕方なく待つことにする。
「よーしオッケー。ほい、転送っと」
私の中に何かが入り込む。しかしそれに拒否感は一切なく、すんなりと自分の物だと受け入れられた。そうだ、そう、私の名前は
「ーー小野瀬陽沙之」
「うんうん、こちらも無事みたいだ。じゃあ話をしようか」
さ、席についておくれ。と彼は言うので従う。
「記憶が戻ったから君は自分のことがわかるね。そして何故ここにいるのかも…」
「ええ、私は…」
私は…
私は…死んだのだ。
「そうその通りさ、錯乱しないでくれてありがたいよ。けど死因まではわからないよね」
「そうね…」
本当は叫びたい、暴れまわりたい、何故理不尽な目に遭ったのか嘆きたい。
けどそれをぐっと抑え込む。
「理由は2つ… 1つはまず自分が死んだ瞬間を見れば間違いなく発狂する、そして魂に綻びが出るんだ。それが来世に深く関わるからね。そしてもう一つの理由…」
「それは…」
静かな部屋の中にゴクリという音が響いた。
「それはね、君自身が自分の死んだ瞬間を知らないからだ」
「私自身が死んだ瞬間を知らない…?」
「ああ、そうとも。人はね、必ず自分の死んだ瞬間を知っているんだ。人に刺されればその時死を認知する、寿命や病気で弱っていく時も死を認知する。人はね、どんな時でも死と隣り合わせで死に遭遇した時、死を認知して生命を終える」
けどね、と青年は付け加える。
「君はそれが一切なかったんだ。そして僕はそれを知っている。それで今から僕は君にその死因を教えなければいけない。そうしなければ僕の仕事が出来ないんだ。救済屋としての仕事がね」
「そういえば救済屋ってなんなの」
「ごもっともだね。人は死後、輪廻転生する。これは現世でもよく言われていたことだね」
「ええ、そうね」
私は仏教徒ではないのだけれど、この考えはよくあること。
「生前強い怨みを持っていた人は転生してから復讐しようとするんだ。不思議なことにね記憶は無くても魂に強く刻まれているらしく、その憎い相手に復讐出来ちゃうんだよ。互いに姿形が違くても。」
やれやれといったポーズをしながら彼は語る。
「そこで僕の出番さ。いわば復讐の代行人。神様公認の殺し屋だよ。復讐者の代わりに僕がその相手を裁く、そしてそれを見せて輪廻転生してもらう。そうすることで前世のしがらみなんて一切なくなってその人が人を殺すなんてことをしなくなる」
「なるほど…」
「ただ当然その復讐もタダじゃないし、誰だって殺せるわけじゃない。依頼者には代価を払ってもらう。来世もし障害なんかあればそれは代価を払った結果だね。そして僕は基本依頼が無ければ殺しはしないし出来ない。そして殺していいのも神様が見捨てたやつさ。仏の顔も三度って言うけどあれは本当のことだからね」
茶化すように笑いながら彼は言う。
「さて、大体はわかったかな。君みたいなタイプは本当に珍しい。記憶はないのに深い復讐心を持っているだなんて。ここに来た以上君には権利がある、救済される権利がね。しかし相手がわからない、だから僕は君に死因を見せるって言ったのさ」
生前で憎かった存在は確かに居た、それも1人ではない。もし、そいつらが私の死に関わっているなら… 私は…
憎くて、憎くてどうしようもない。
「ええ、お願い。私に、教えて」
「ああ… わかったよ」
指をパチンと、フィンガースナップで鳴らす。
そう、私はあの男に…
そう、そうか、そうだったのね。
私は… 私はッ!
「憎いッ!のうのうと今も生きているあいつが憎いッ!」
身体の内から煮え滾るマグマのような熱い憎悪の炎が上がる。あの時よりも熱く、ドス黒い炎が。
「今すぐあいつを殺して!じゃないと私はおかしくなりそう!気が狂いそう… いえ、もう狂っていたわ… あいつのせいで… あいつのせいでッ!」
「まあ落ち着きなよ」
「落ち着いてなんて「再び問う」!?」
「汝、我が身に
椅子を倒す勢いで立ち上がり私は差し出された手を握った。
常勝無敗のジャーナリスト Relief of the soul 嘯風弄月 @scarlet8901
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