第2話1-2帰宅

 彼女は家に帰りました。百姓の家系ということで無駄に広い庭と田畑がある中に木造一階建て建物と接続した鉄筋コンクリートの二階建ての建物がありました。そこの立派な玄関扉ではなく、簡素な勝手口から彼女は家に入りました。


「じいさん、登記してなかったんやな」


 心夢の母はそう迎えていました。茶色のぬいぐるみのような座椅子に座りながらスマホをいじっていました。その太ももの上にはペットのマルチーズが白く伸びていました。


「なんで登記してなかったんやろ、じいさん」


 そのふっくら丸まった顔から不思議そうな残念そうな困惑した声で言いました。犬は少し目を開けてしっぽを振っていたが、どっしりと寝転がっていました。それをどかすのはかわいそうという理由で心夢の母もどっしり構えていました。


「これ以上はどうしようもできへんわ。残念やけど」


 心夢の母は登記のことに特に詳しいわけではなかったが、娘が登記謄本を必要としていることを父と昨日に話していました。その上で父が言っていたことをそのまま言う感じで、自分の考えは母にはありませんでした。それが起因して言葉には重みをつけようとするが軽いところが多かったのです。


「電話で聞いたときはびっくりしたわ。50年前から書類上は建物ないところで暮らしていたことになるんやな」


 心夢には母が冗談で言っているのか本気で言っているのかわかりませんでした。冗談で言っているのなら言うタイミングを間違っているし、本気なら言う感性が間違っていると思っていました。どっちみち、この発言は間違っていると思っていました。


「きちんと固定資産税払っていたのに、バカみたいな話や」


 心夢はこの発言に同意する心情でした。しかし、実際に自分では固定資産税は払っていないので、その気持ちは軽いものでした。変に言葉にしてもトンチンカンな軽い言葉になるだけだからと思い、口を閉じていたのです。


「言っとくけど、母さんは悪くないからね。悪いのはあのじいさんやから」


 その言葉を聞いて、心夢の頭の中で再びブチッと糸が切れる音がしました。それは、じいさんが登記していないことを法務局で知った時に起きたものと同じものでしだ。本人は表情を変えていないつもりだが、明らかに眉間が険しくなっていました。

「じいさんに鐘鳴らして文句言わなアカンな。チンチンチンとメチャクチャ鳴らさなあかんな。メチャクチャ文句言わなアカンな」

 娘の表情の変化に気づいたのか、通常運転なのか、母は冗談っぽく言っていました。その冗談に対して心夢は何も考えていませんでした。頭の中には祖父に対する怒りしかなかったからです。


「土地の登記簿謄本だけじゃアカンの?」


 その言葉を聞いて、心夢は青色のリュックサックに入っていたクリアファイルに入っていた土地の登記謄本がテーブルの上の空間に入ったのです。母はそれを見るために座椅子から立ち上がり脚付の木の椅子に座りました。その間、犬は自分の場所を探すためだろうか、ウロウロしていました。


「建物の謄本だけでいいと書いてあったのなら、土地の謄本じゃあかんな、たぶん」

「あのじいさん、メチャクチャやな」


 心夢は怒りを抱えながら言い、母は頭を抱えながら言っていました。



 二階に上がると、心夢は自分の部屋にリュックサックを叩き下ろして、そのままリビングのソファーに座りました。そして、そのままブツクサと言葉にならない言葉を出していました。未だに祖父への不満が止まらないのですが、そのまま祖父の血を受け継いだ自分への不満にもなった行きました。

 彼女は、25歳になっていました。大学を中退して、劇団員になっていました。実家で親に養ってもらっている親不孝者になっていました。

 25という歳は、劇団員としては特別若くないのです。20で入ったときは若い女性というだけでもらえた役が既に別の若い女性に取られている状態です。今の彼女はただでさえ少なかった仕事が更に少なくなって、ほとんどない状態なのです。

 大学を中退になったというのは、大学の授業についていけなくなったとかではなく、友達ができなかったことに原因がありました。嫌だったらやめてもいいからとにかく一度は行ってと言われたから大学に言ったが、心夢は大学が面白くなかったから本当に大学をやめたのです。今の売れない役者をしている心夢は、あの時に大学を辞めたことを少し後悔し始めたが、そう思っても戻れないのでできるだけ思わないようにしていました。

 父親の扶養家族になっている心夢は、出番がないときはバイトすることもぜず家でグウタラしています。本当はバイトとかしないといけないと思っているが、体が動かないのです。典型的なダメ人間であるのです。

 そんな彼女が最近になってもっぱらしていることは、小説を書く事でありました。といっても、それを生業としているわけではなく、趣味として書いているだけです。一応は賞に投稿しているが、世の中はそんなに甘くなく、常に落ちている状態であるのです。

 周りの劇団員はユーチューバーになったりしているが、自分にはそれは無理だなぁと思っての小説書きでありました。実際、心夢は他の劇団員に比べてSNSに疎く、ツイッターもほとんど更新していないのです。そんな自分よりツイッターでフォロワーが多いほかの劇団員たちがユーチューバーとして全く通用していない状況を見て、悲しい気持ちになっていたのです。

 そして、一方で自分が小説で上手くいっているかと言ったら、全く上手くいっていないのです。だからといってユーチューバーの方向に進んでも無理だと思っているのです。どちらに進んでも上手くいかない状況に、彼女は力なく天井を見上げるばかりである。

 そんな彼女はリビングで机の上のパソコンに向かい、電源をつけてキーボードを叩き始めました。椅子に座りながら小説を書き始めるのだが、その手は直ぐに止まったのです。そして、そのパソコンはユーチューブ視聴機にすぐ変わったのです。

 彼女が小説を書いていることは家族は知っているが、その実態はそこまで知られていなかったのです。常に頭を悩ませながら集中して書いていると思われていたが、実際はほとんど遊んでいるだけでした。もちろん集中して書くときもあるがそんな筆の乗ったときはほとんどなく、ユーチューブを見てにやけていることがほとんどでした。

 視聴しているときは楽しむのだが、そのあとに何も残っていない自分の努力の跡を見て後悔をすることが彼女の日課になっていました。それでも彼女は絶えずユーチューブを見続けるのです。欲望と後悔を交互に繰り返す彼女は、酒に溺れる弱い人間を自分に重ね合わせていました。

 彼女は椅子の背もたれに体をもたげながら、再び天井を見上げました。その目には涙が浮かんでいました。それは目の疲れからなのか自分の詰んだ状況に悲しんでいるのか、はたまた別の何かか……

 その時、リビングの引き戸が開く音がしました。心夢がビクッと姿勢を正してその方向を向くと、1人の女性が入ってきました。互いに目があったのです。


「姉ちゃん、ただいま」

「おかえり、晴美」

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