異世界だって日常茶飯事 ~白銀の狼~

しょぼん(´・ω・`)

第一話:何故ここに

 何故、ここにいるのか。

 彼女は分からなかった。


 綾摩あやま佳穂かほ

 彼女が目覚めた場所。そこは見慣れぬ場所だった。

 寝ていた場所にだけござのような敷物がひかれ、それ以外は剥き出しの土や岩。地面に横穴のように掘られた、太い木の柵で閉じられたその部屋に、見覚えなど一切ない。


 そもそも、そこを部屋といいっていいのかははなはだ疑問だ。

 部屋の中に灯りは一切なく。柵の先にある壁に掛かった松明の灯りだけが、仄暗ほのぐらくその場を照らしている。


 例えるならば。牢か。檻か。

 決して過ごしやすい場所でないそこに、自身は学校指定のブレザーにスカートという、ありえぬ格好のまま存在している。


「ここ、何処?」


 不安と戸惑いの中。ゆっくりと上半身だけを起こした彼女は、自らの腕が縄できつく縛られている事に気づいた。

 何が起きたのか。

 佳穂は必死になって自身の記憶を遡る。


 覚えている最後の記憶と言えば。

 友達である如月きさらぎ霧華きりかに薦められ、学校の図書室で借りた一冊の本を読み終え、満足したままベッドに横になり、眠りについた記憶だけ。

 つまり、気づけば突然こんな所にいた事になる。


「その声……綾摩さん!?」


 と。先程漏らした声に反応するように聞き覚えのある声がした。

 はっとした佳穂は、格子に張り付き声のした方を見ると。

 彼女のいる牢の斜め奥にある、同じような牢の中に立っていたのは……。


「速水君!?」


 そう。

 彼女のクラスメイトである、これまたブレザー姿の速水はやみ雅騎まさきだった。

 勿論、彼もまた両腕を縄で縛られているが、知り合いがいた事に安堵したのか。ほっとした笑みを浮かべている。


「やっぱりそっか。聞き覚えがあると思った」

「どうして速水君がここに!?」


 驚きを隠せない佳穂に、彼は困ったよう顔をする。


「いや。それがさっぱり。家で寝てて、起きたらこの中でさ」

「速水君も?」

「え? って事は綾摩さんも?」

「うん。まったく同じ」


 雅騎の表情に釣られ、彼女もはっきりと戸惑いの表情を浮かべてしまう。


「これから、どうしよう……」

「無理矢理出てもいいけど、状況が分かるまでは事は荒立てない方がいいかもしれない。誰が俺達をこうしたかも分からないし」

「うん。そうだね……」


 同じ境遇の仲間を得たものの、結局何も分からぬ現状に、心の不安が大きくなったのか。

 肩を落とす佳穂を見て、雅騎が安心させるように微笑みかける。


「大丈夫。何かあったら、ちゃんと助けるから」


 それは、効果絶大だった。

 佳穂の中にはもう一人、力強い仲間がいる。

 だがそれだけでなく。こんな不安な環境に、更に頼もしい雅騎という存在がいてくれる事は、彼女にはとても心強いもの。


「うん」


 だからこそ、心を奮い立たせ、真剣な顔で頷き返した。


  コツ。コツ。コツ。コツ。


 と、その時。

 牢の外、雅騎からしか見えぬ上り階段から、何者かが降りてくる足音が聞こえてきた。

 その音は、複数。


 雅騎が立ったままじっと前を見据えていると、そこに姿を現したのは、何処か不可思議な三人組であった。

 黒髪の短い短髪の、筋肉質な逞しい精悍な若者に、何処か気が強そうな、しかし人の良さそうな老婆。そして、銀色の長髪を持った美少女。

 女性二人は両手で持った盆に、湯気の出た温かいスープを載せている。


 それぞれ似ても似つかない。しかし、何処か家族のような雰囲気もある三人。だが、雅騎の感じた強い違和感はそこではない。

 老婆こそローブを身に纏いそこまでは分からないが。若い男女には、はっきりと分かる獣の耳が頭に生え、それぞれの髪の色と同じ、犬のようなふさふさの尾がそこにあるのだ。

 言葉に表すなら、人狼とでも言うべきか。


 僅かに驚きを見せる雅騎に、佳穂も相手の姿が気になり必死に牢の端の格子より姿を捉えようとするが、牢の壁から迫り出す岩壁のせいで、中々その姿を見ることができない。


 そんな中。彼の視線をはっきりと感じたためだろう。

 三人が、佳穂には姿が見えない位置で立ち止まる。


「おや。既にお目覚めだったかい」


 老婆が、言葉とは裏腹に、やや厳し目の視線を雅騎に向ける。

 口調からも感じ取れる嫌悪に。


  ──どうも、喜ばれてはないみたいだな。


 雅騎は目の前に人外の存在がいる驚きを、ふうっと息と共に吐き捨て、表情に真剣さを宿した。

 それは別に牽制したつもりではない。もしもの時に、佳穂を護ると決めた覚悟。

 だが。その変化に気づいたのだろう。

 黒髪の若者が二人の前に出る。


「二人ともそこで待っててくれ。俺が渡してくる」


 低い声と共に、若者はじっと雅騎に視線を重ねる。

 その瞳はまるで、敵を憎々しげに見る野獣の目。

 彼の言葉に空気が一気に冷たくなった、その時。


「待ってグレイル。まだ悪い人間と決まったわけじゃないわ」


 そんな二人を咎めるように、銀髪の美少女が口を開いた。


「レティリエ。何馬鹿な事を言ってるんだい? あんたが一番人間の恐ろしさを知っているじゃないか」

「それは分かってるわ。でも、私は自分の目で見定めたいの」

「何故、人間相手にそこまでするんだ?」

「……あの人。あなたみたいだから」


 レティリエと呼ばれた美少女は、何処か自信なさげながら、雅騎をそんな風に例える。


「俺? あんな奴が?」

「うん。街で見てきた人間とは何処か違う気がするの。どちらかって言うと、私を助けに来てくれた時の、グレイルと同じ目をしてる」


 感覚的な感想を口にした彼女だが、どうにも理解に苦しむのか。

 ありえないと言わんばかりの顔をしたグレイルという名の青年は、何かを見定めるように、改めてじっと目の前の人間を見つめ。視線を向けられた雅騎もまた、ただじっと、人狼の若者を見つめ返す。


 そんな中。


  ──え? マザー? グレイル? それに、レティリエ!?


 姿の見えない三人の名を聞き、佳穂は思わず困惑した。


 三人の名を、彼女は知っている。

 そこにいる若者二人を。そんな若者を見守った孤児院での育ての親を。そして、若者達の恋物語の結末を。


 何故知っているのかと言えば。彼等こそ、寝る前に読んでいた小説、『白銀の狼』の中の主人公達だから。


 だが。それはありえるのだろうか。

 小説の世界に迷い込んだのか。元々その世界があったのかは分からない。

 だが、自分がその世界にいるという事が、ありえるのだろうか。


  ──嘘? 嘘でしょ? 夢じゃないの!?


 佳穂は思わず格子をガチャガチャと揺らし、少しでも視界に彼等を見て取ろうと必死になる。

 だが、未だ少しせり出した壁に邪魔され、心が焦れる。


 彼女のたてた音に、グレイル達の目が見えぬ牢にいる彼女に向けられた。

 そこに籠もった心とは裏腹に、その音は充分に敵対する人狼達を警戒させる。


「……やはり危ない。ここは俺が──」

「私に行かせて」

「レティ!」


 遮るようにそう宣言したレティリエに、グレイルが思わず声を荒げ振り返った。

 その瞳に映る心配そうな色に、彼女はふっと微笑む。


「大丈夫。何かあってもグレイルが助けてくれるでしょ?」


 親愛の笑み。

 それを向けられてしまえば、つがいである彼はもう止める事はできない。


「グレイル。諦めるんだね。こうなったレティリエは止められないよ」


 二人の顔を見比べたマザーは、やれやれと呆れ顔をする。


「……何かあったら、迷わずあいつらを殺す。それでいいな?」

「……うん」


 せめてもの抵抗か。真剣な眼差しを向ける彼に、表情を引き締めたレティリエは小さく頷くと、雅騎に向け少しずつ歩み始めた。

 小さく響く足音と共に、その姿が佳穂の目にやっと映る。


 彼女を見た時。佳穂ははっと息を呑んだ。

 本の挿絵でも見た魅惑的な人狼。狼に変身できず、独り劣等感に苦しんだ人狼。

 それは間違いなく、銀髪の人狼、レティリエ。


「本当に、レティリエなの?」


 思わずその美しさに見惚みとれながら、ぽつりとそう口にした彼女に、ふっとレティリエの歩みが止まると、自身の名前を呼ばれた事実に、少しだけ緊張し、身を震わせた。


  ──まさか……。


 自身の名を知る人間。

 それは以前彼女を束縛し、金儲けの道具として扱った人間、マダムの息が掛かった者の可能性が高い。


 人間達の見世物にされ、仲間を危機に晒した日々が脳裏に過り、心が凍る。

 だが。それでもレティリエは、その不安を一度心に押し込めると、ゆっくりと佳穂に向き直った。


「何故、私の名を知っているの?」


 恐怖を僅かに震えた声に隠し、静かにそう問いかける彼女の視線は、まるで心を見透かさんとしているようにも見える。


 その真剣さに、佳穂は感じた。

 物語にあった、レティリエの本当の強さを。


  ──きっと信じてなんて、くれないよね……。


 少しだけ淋しげに視線を落とした佳穂だったが、それでもまた、彼女も心を奮い立たせた。

 自分達を伝えるために。今起こっている事実を知るために。


「私、本で読んだの。あなたが小さい頃から狼になれなくて、自分は弱いってずっと悩んで、ずっと生まれを責めて。グレイルと結ばれる事ができないって落ち込んで……」


 突然並べられた、佳穂の言葉。

 そこにある真実に、レティリエは思わず目を見開き、はっきりと驚きを見せる。

 だが、紡がれし物語は続く。


「ある日グレイルと人間に拐われて。何とか脱出したのに、村長によって人間に差し出された事も。人間であるマダムによって見世物にされて、辛い思いを沢山して。でも、グレイルやみんなが助けてくれて。あなたも人狼のみんなを救って。そして、グレイルと結ばれて、幸せになって……」


 語られた物語を思い返し、感極まったのか。

 少しだけ目を潤ませた佳穂は、涙を堪え、告げた。


「私。そんなあなたを知ってるの。私は、そんなあなたが幸せになったのが、嬉しかったの」


 彼女の語りしレティリエの物語を聞き、グレイルやマザー、雅騎までもが思わず目をみはる。


  ──この女……何者なんだ!?


 グレイルのその想いは、マザーも同じ。


  ──預言者か何かか……。それとも……。


 長く生きた人生の中で、ここまでの戸惑いを感じさせる出来事など、マザーでも経験はない。だからこそ、彼女は何も言葉を返すことができないでいた。


 ただ、引っかかる。

 この人間達の存在が。


「……レティ」


 思わずグレイルが、戸惑いつつも彼女の脇に並ぶ。

 それは警戒というよりも、彼女にあの人間を知っているのかと尋ねんとした行動。

 だが、それがいけなかった。


 佳穂の視界に入ったグレイル。

 その心配そうな表情が、物語に重なる。


 レティリエがずっと望んでいた事が叶った姿。

 それは物語で確かに読んだ。その時も、佳穂は思わず目を潤ませていたのだが。その光景が今、目の前にある。


 幸せになった二人が並んだ姿に、もう堪えきれなかった。


「良かった……」


 突然彼女の声が涙声となり。顔をしわくちゃにし。涙を堪えきれなくなると。

 佳穂は思わず縛られた両手で顔を覆い。


「二人が、幸せになってて、良かった……」


 そのまま、嬉し泣きを始めてしまう。


 これには、その場にいる皆が拍子抜けした。


 敵かも知れない人間が、突然自分達人狼の幸せに泣き出せば、それはもう意味が分からない。

 そして、仲間である雅騎も、泣いた理由が分からぬ以上、ただ呆然とすることしかできない。


 こうして、緊張が漂っていたはずの牢の前の空気は一気に崩れ、何とも気まずい空気が漂うのだった。

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