第2話1-1:寄り道
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私は学校帰りに寄り道をしていた。
右折すれば帰宅できるところを直進し、海岸の方に向かった。
正面からは浜風が建物をぬって吹いてきた。
私が住んでいるところは漁港の近くであり、近くの港エリアに行くと漁船がズラーっと並んでいた。そこは場合によっては抜け道となっており、地元の人は大型ショッピングモールへ行くときには通ることもある。
そんな港エリアだが、漁業組合やショッピングモールがない方向に進んでいくと、静かな海岸に行き着く。そこは特に何もないので、暇な老人や子供がたまにたむろするくらいである。
といっても、それは3年くらい前の情報であり、その間私はその海岸に行っていないから、今はどんな状況になっているのか知らない。この3年の間に賑やかになったかもしれないし閑散となったかもしれない。とりあえず、特に理由もなく思いつきで久しぶりに海岸に行くことにした。
私は学校指定の濃い青色のリュックサックを揺らしながら、左手の湾内に船が並んでいる道を歩いていた。右手にねずみ色の防波堤が続いているその道は、湾に沿って右折と左折をしたら海岸に出るはずである。私はおぼろげにそれを思い出しながら潮の匂いを鼻に懐かしんでいた。もうすぐで夏だなぁ。
私は右折をした。すると、誰かが湾に向かって座っていた。
私は漁師であったり釣りをする人であったりが座っていると思って、風景の1つとして気にしなかった。そこにはそういう人もいるだろうと思うのみだった。私の注意には海があるが、その道中のいろいろなものは取るに足らない過程でしかなかった。
そう、たとえそれが全身に包帯を巻いた人であったとしても……
「――えっ?」
私は思わず振り返った。というのも、電柱を通りすぎるくらいあまりにも素通りしてしまったからだ。でも、それは電柱ではなかった。
私は振り返った後、どうしようかと考えた。全身包帯というこんな不審な人に話しかけるのも危険なものである。かといってずーっと見続けるのも危険なものである。工事現場の看板に書かれているような安全第一を考えるのなら、すぐにその場を去るのが鉄則だろうし、普段の私ならそうするだろう。
しかし、その時の私はそうしなかった。後になって思い返したら、それはどういう風の吹き回しだったのだろうか? 海岸近くで風が強く吹いているなか、私は頭を回転させていたのかいなかったのか……
「何を見ている?」
その全身真っ白の包帯の者から聞かれた。その時になって私は、じーっと見ていたことを始めて知った。無意識だった、白い者がこちらを見ていることにも気づかないほどに無意識だった。
「いや、あの、その」
私は急な質問にしどろもどろとなった。その者はこちらを見ているように見えるが、包帯の隙間から見えるはずの目からは視線を感じなかった。私は言葉を発する隙間を自分のペースの中に探したが、見つけられなかった。
「今から砂浜に行くのか?」
その白い者は淡白な口調で聞いてきた。その発言をする口の部分は動いているようには見えなかった。
「そのつもりですけど」
私はその言葉しか見つけられなかった。
「あそこ、危ないから行かないほうがいいぞ」
その白い者は言い終わると顔を湾の方向に戻した。その指先からは包帯が伸びて水面に届いていて沈んでいた。
「危ない……ですか?」
私は地面からの反射熱を感じながら、言葉を反射的に返した。
「そうだ。だから、行かないほうがいいぞ」
その白い者はこちらを向くこともなく水面に話しかけるようにしていた。その水面には白い包帯が垂れたまま浅く沈んでいた。
「何をしているのですか?」
私は深い理由もなく聞いてみた。
「――釣り」
その言葉だけが返ってきた。
……釣り?え?どういうこと?
私の前に見えているのは包帯が水中に向かって垂れているところだけだった。釣竿から釣り糸を垂らして水中に釣り針を仕掛けているという一般的な釣りの風景とは似て非なるものだった。
「……釣れるといいですね」
私は白々しい言葉を投げて踵を返した。怪しい者から一刻も早く離れなければならないと思い出した。相手を刺激しないように首をかしげるのを我慢しながら、いつ襲われるか警戒するために背後を集中させながら歩いていた。
しかし、それは杞憂だった。後ろではチャプンという波が弾く音が聞こえるのみだった。向こうからの呼びかけは特になかった。
私は次の分かれ道を左折した。すると、目の上には大きな鉄橋が左右に伸びていた。そこから陰る下には左右に伸びる餅のような防波堤とそれに付随する小道があった。その防波堤の向こうには砂浜があるはずだ。
「久しぶりね」
私は見たことがある光景に対して率直につぶやいた。まだ見たい光景である海岸にたどり着いていないけど、もうつぶやいた。その手前の記憶にあまりないところでさえ久しぶりに感じた。
私は鉄橋によって作られた暗い影の中に入っていった。先程までの明るいところに比べたら異世界にいるみたいな感覚だった。まぁ、それは気のせいであり、異世界なんてないということは重々承知していた。
ここの防波堤は敷居が低く、子供でも簡単によじ登れるようなところだった。その先にはコンクリートの傾斜があり、砂浜があり、海があった。海の向こうには薄く見える離れ小島があり、その手前には漁師の船が気まぐれな魚のように通る時がある。
私は砂浜への侵入を防ぐ金網フェンス越しに記憶と一致する懐かしの風景を眺めながら、そこに貼られている見慣れない看板を見た。
『毒貝発生のため立入禁止』
私は葉っぱから水面に落ちる一滴の水滴のようにポツリと一言。
「危ない、ってこれのことかしら?」
私は先ほどの包帯の者の発言を思い出していた。たしかに危ないのかもしれないが、そこまで危ないものだろうか?まぁ、なんでも口に入れる小さな子供にとっては危ないかも知れない。
私は、花びらの蜜を吸っていた幼き自分を思い起こしていた。あれが毒の花だと考えたらゾッとした。別に今更になって毒が回ってきたわけではないが、思い出しただけで体中に悪寒が走る。
「まぁ、大丈夫でしょ」
私は幼き頃の記憶を飛ぶ蚊を払うかのように消し去った。そうよ、小さい子じゃないのだから、毒貝ごときで危ない目に遭うわけがないじゃない。私は2つの忠告を無視して浜辺に舞い降りることを決心した。
「記憶が確かだったら……」
私は防波堤を左手に見ながら小道を進んでいくと、階段があった。腰まである防波堤の踊り場のようなところまでの上がり階段。私の記憶が正しかったら、そこからは下まで続く階段が続いているはずだ。
私はそこが閉鎖されていないことを確認した。流石にここが封鎖されていたら入るのをやめているところだった。正直言って、そんなに無理をしてまで浜辺に行きたいとは思っていなかった。軽い思いつきだった。
私は階段を上がって踊り場に立った。と言っても踊るためではなかった。しかし、心は踊っていた。
踊り場から見える光景は、一面の砂浜・海・空。そうだ、俗に言う陸海空。所々にゴミが乱立している浜辺、ゴミが浮かんだり沈んだりしている海、鉄橋によって半分が見えない空。
それらは懐かしいものだった。昔の記憶と変わらなかった。いわゆる原風景だった。
人は懐かしいものに再会すると心躍る場合があると聞いていたが、話半分で信じていた。しかし、この時に話全部でそのことを信じることになった。私は浜風とともにワルツを踊りたい気分だった。
しかし、すぐにそれはやめた。それは、私がワルツとは無縁の人生だからというわけではない。もちろん踊ることができない一般市民だが、今は関係ない。
私はとりあえず下に降りようと思ったのだ。実際に砂浜の上に立ち、海の近くにたとうと思ったのだ。そのほうが心が躍ると思ったのだ。
私は硬いコンクリートの階段を降りると、急に足元を取られた。白いスニーカーが蟻地獄にはまったかのように沈んでいった。これは、地下の世界に招かれるのだろうか?
しかし、すぐに沈みは終わった。ただ単に柔らかい砂に少し沈んだだけである。いくら私が中二病を発生させる時期だとしても、異世界のファンタジーを本当に信じるわけではなかった。
私は砂浜を園児のようにヨチヨチと歩いて行った。慣れない足場に苦労しながら歩いているのだ。普段の硬いコンクリートの道とは違う足場を。
私は砂浜トレーニングを思い出していた。足場の悪い砂浜でダッシュとかして、拇指きゅう等の運動に必要なところを意識的に鍛えるというものだった。私は普段鍛えることのない足腰をなんとなく鍛えようと思い立ち、ダッシュを始めた。
砂浜ダッシュはそれはそれでいつもと違う出来事で新鮮だった。蹴り上げられる砂、進路を変更させる空き缶や板やガラス、波によって濃い茶色に色付けされた砂。私は息を少しあげながら波が届くところにたどりついた。
そこにはいくつかのクラゲが打ち上げられていた。そして、昔はそのクラゲを木の棒で串刺しにして遊んでいたことを思い出した。子供って残酷なものである。
私は手を軽く海面につけた。それは冷たくも熱くもなかった。常温の水道水って感じの印象だった。
しかし、濡れた指を鼻の下に持っていくと、一層強い潮の匂いがした。潮の匂いが充満している海岸においてさらに強い潮の匂い。それは確実に海水であることを物語っていた。
私は海岸が日光の反射でキラキラと光っていることを確認した。それは、日に当たっている私からしたら余計に暑いものだった。私は目も体も火照ってきたので、日陰に戻ることにした。
鉄橋によって作られた砂浜上の避暑地。そこは涼しげな砂漠みたいなものだろうか? とりあえず、これで熱中症の心配はなくなったわけだから安心だ……
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