#3-5 妻が秘石の争奪戦に参戦します⑤

 ビルの屋上は、空調関連の設備と思われる排気口やダクトが複雑に入り混じって、まるでSFのワンシーンのような光景だった。

 私はメンテナンス用に設置された網目状の鉄の通路を先に進む。

 直後、後方からピンクの声が響く。

「手間かけさせるんじゃないわよっ、もう逃げ場はないわ!」

 そうかもしれないが今は少しでも時間を稼がねばならない。

「なぜ俺に目を付けた? あの状況では誰が本物を持っているかなんてわかるはずがないと思ったんだが」

 私はあえてピンクに向かって話を向けた。

 ピンクの声の方向がわかれば、少なくともいきなり鉢合わせする可能性は減らせると思ったからだ。

「そんなのは……女の勘よ!」


 おい、そんなザックリした理由で私はいま窮地に陥っているのか?


 私は移動を続けながらなおも話を続けた。

「ふざけるな、なんかは根拠あるだろ」

「えー!? めんどくさいなぁ。……しいて言えば、アンタはこの間からあのミスティックムーンという女幹部の側にいつも一緒にいた。そこになんだか夫婦みたいな空気感を感じただけよ。あくまでなんとなくだけど」


 いや、それほぼ正解なんだが。


「もし私がミスティックムーンだとしたら、一番信頼している人間に預けようと考えるのが自然だわ。だからアンタの可能性が一番高いと思ったのよ」


 ぐっ、なんだコイツ、ある意味レッドやブルーより厄介かもしれない。


「だが、俺もアボカドかもしれないぜ」

「それは捕まえてみればわかることよ!」

 突然、目の前の2メートル以上は高さがある排気口を飛び越えてピンクが飛びかかってくる。

「うわ、アブねっ」

 直前でなんとかその手をかわして、私は元来た方向に走り出した。

 やっぱり普通の人間とはスペックが違い過ぎる。

 通路を走り抜けてなんとか屋上の鉄扉まで戻ってきた時だった。

 鉄扉の奥から黄色い巨体が現れて立ちふさがる。

「おい、お前はもう袋の鼠じゃい。観念するったい!」

「しまった!」

 後ろを振り返ると、追いついたピンクがゆっくりと距離を詰めようとしていた。


 マズい、どうする? 流石にもう逃げ場がない。……何か、何か手は?


 その時、腰に吊したあのダサい遠隔式スタンガンが目に入った。

 私はスタンガンを握ると、ダイヤルを最強の「H」にセットした。

「喰らえっ」

 イエローに向けてスタンガンの引き金を引く。

「うおおお、しびれっとぉ」

 イエローが身体を震わせながら硬直する。

「うおおあお、おおお、おお、おー……」

 なんだ? 思ったより効いてないみたいだが……。

「このバトルスーツにかかれば、こんな痺れ、辛子明太より甘か!」


 ちっ、やっぱり生身の一般人くらいにしか効かないのか。


 その間にも、ピンクとイエローがジリジリと距離を狭めてくる。


 マズいマズいマズい。何か突破口はないのか? 一瞬でもいい、コイツらの動きを止める方法は――あった……これだ!


 私はスタンガンのダイヤルを「くすぐるレベル」の「L」にセットすると振り向きざまに引き金を引いた。

 唯一肌がむき出しになっている、ピンクの太ももを狙って。

「ん? や、イヤあああああ!」

 ピンクが太ももとスカートの辺りを抑えてしゃがみ込む。

 私はその隙をついてピンクの横を走り抜けた。

貴様きさーん、男の風上にも置けんヤツばい!」

「いや、戦闘用でそんな格好してるほうが悪いだろっ」


 ああ、会社ではいい上司で通っている私なのに、コンプライアンス的に完全アウトな行為に手を染めるとは……。


 だが、これで時間は稼げた。

 私は闇雲に通路を走り、屋上の四隅の1つへとたどり着いた。

 2メートルほどのフェンスによじ登り外側に出る。

 下を覗くと、遮るものもない足下には目眩がするような街の夜景が広がっていた。

 追いついてきたイエローとピンクが足を止める。

貴様きさん、落ち着くんじゃい、早まるんじゃなか!」

「そうよっ、一発殴ってやるから戻ってきなさいよ」

 だが、私は既に勝利の切り札をその視界に捉えていた。

 ピンクとイエローに対峙したまま私はショルダーバッグを目立つように大きく振り回す。

「残念だがちょうど時間のようだ。俺はこれで失敬するよ。家族サービスがあるんでね」

 私の背後でブンッという音がして、舞い上がってきた美代子が優雅に私の隣に着地する。

「あなた、待たせてごめんなさい」

「いや、ちょうど今着いたところさ」

「うふふ、なんだか昔デートしてたころを思い出しちゃうわね」

 美代子が微笑みながら腕を巻きつかせる。

「コラァッ、バカップルみたいにイチャイチャしてんじゃないわよ!」

 ピンクが掴みかかる勢いでフェンスにしがみついた。

「それじゃいい夜を、スカイチャージャー諸君」

 私は美代子にお姫様抱っこをされた状態から、慇懃無礼いんぎんぶれいに手を振った。

 次の瞬間、美代子が跳躍する。

 この時ばかりは、星空にダイブするようなフリーフォールが心地よいと思った。

 上空を見ると、イエローとピンクが追ってくる様子はなかった。

 どうやら、奴らには美代子ほどの飛翔能力はないらしい。

「レッドとブルーは大丈夫だったのか?」

「ええ、戦闘員さん達が頃合いを見て煙幕を張ってくれたから、その隙に離脱したわ」

 徐々に落下速度が低下し、美代子は始めに降り立った建設中の2号ビルの建設現場に着地した。


 ※※※


 反対側の1号ビルは、戦闘員がばらまいた煙幕のせいかあちらこちらの窓から煙が漏れ出していた。遠くでは消防のサイレンが鳴り響いている。

「ここまで大事おおごとになったのは不本意だが、一応任務は成功だろう」

 私はショルダーバッグから秘石を取り出した。

「ええ、ジェネラルゲソー様にも喜んでもらえるわね」

 美代子が秘石を受け取ろうとしたその時、高い風切り音が鳴り響いた。

「あなた、危ない!」

 美代子に突き飛ばされて空いた空間へ光を放つ刃が駆け抜ける。

「なんだ!?」

 私は床を転がりながら辺りを窺う。

 すぐ側のコンクリート床には、白銀に輝くブレードが突き刺さっていた。

 そうだ、秘石は?

 幸いなことに秘石は美代子の手に握られていた。


 よかった、ひとまず現状一番安全な場所にある。


 だが、その安堵をかき消すような光景が目に入った。

 美代子の前には、レッドとブルーが立ちはだかっていた。


「……随分とこの石にご執心なのね」

「その石が特別なものであるのはお前達だけではない」

 レッドが身構えながら答える。

「その石を手に入れるためにお前達がやってくることはわかっていた。だから俺達はずっと網を張っていたんだ」

 ブルーもジワリと間合いを詰める。

「そう……。あなた、安全なところまで下がっていて」

 美代子は胸元に秘石を押し込むと、戦いの構えをとった。


 ブルーが身を低くしたまま美代子に突進してくる。

 美代子がステップでかわすと、ブルーはそのまま走り抜けてコンクリート床のブレードを引き抜いた。

 その間にレッドが跳躍して美代子に蹴りを放つ。

 直前でそれをいなした美代子が、着地する瞬間のレッドの足首を払った。

「ハッ!」

 コンクリート床に背中を付いたレッドに美代子の踵が踏み落とされる。

 それをレッドが腕を交差させて受けたところに、反転したブルーがブレードで切りかかった。

「チッ」

 美代子は大きく体を反らせるとそのまま手をついて側転で距離をとる。

 レッド、ブルーと美代子が再び対峙した。


「レッド、どうした? 今日はずっと動きにキレがないぞ」

 素人目ながら私がなんとなく感じていたことを、ブルーが直言した。

「コンディションが悪いなら俺1人でやるが?」

「いや、大丈夫だ。ブルー、今回は僕にやらせてくれ」

「本当に大丈夫なのか?」

「ああ、心配ない……」

 一瞬沈黙した後、ブルーが数歩後ろに下がる。


「ホントね、青い子と一緒のほうがいいんじゃない?」

「いや、僕が相手だ」

 美代子の挑発には乗らずレッドが拳を構える。

「ついて来い、ミスティックムーン」

 言い放つと、レッドはまだ数フロア分が組まれたままの鉄骨に向かって跳躍した。

「あら、鬼ごっこかしら」

 美代子も後を追うように跳躍する。

 レッドと美代子は、上方の狭い梁を目まぐるしく移動しながら戦闘を始めた。


 ダメだ、暗いし動きが早すぎてよくわからん。


 私が状況を掴めずにいると、後ろからガシャン、ガシャンという重い金属音が近づいてきた。

「ん? 怪人か。どうやら無事だったようだな、戦闘員達はどうした?」

「はいぃ、おかげさまで全員離脱できましたぁ――ヤヤぁ!?」

 ブルーの姿を見つけたマッスルオオカミが狼狽して右往左往する。

「石はミスティックムーンが持っているし、あいつが自分でやると言ったんだ。今、お前達に興味はない」

 腕組みをしたままブルーが憮然として応える。

「ふおぉ、ひとまず安心しましたぁ」


 AI索敵モードを切っておいて正解だった……。


「ところでぇ、ミスティックムーン様はどちらにぃ?」

「あの鉄骨のビルの中でレッドと交戦中だが、状況がわからん」

「ふおぉ、それではマッスルセンサー起動ぅ、マッスルサウンドコレクターで集音開始ぃ」

 マッスルオオカミの頭が小刻みに動き出す。

「捕捉ぅ、外部スピーカー作動しますぅ」

 マッスルオオカミの首のあたりから、激しく金属や体を打ち合うような音が流れ始めた。


 うーん、だいぶやり合ってるみたいだな。


 しかし数十秒ほどそれが続いた後、突然音は途切れた。

「なんだ? 故障か?」

「いえぇ、機器は正常ですぅ」

「それじゃいったい何が――」

 言いかけた時、スピーカーから明瞭な美代子の音声が聞こえた。


『――あなたやっぱり変よ。今日は殺気というか、真剣さが感じられないわ』

『……ミスティックムーン、お前に聞きたいことがある』

『まあ何かしら。でも私人妻だからあまりエッチなことはダメ――』

『ギリエム、という名前を聞いたことはないか?』

『ギリエム……そんな人……知ら…な…………』

 一瞬の沈黙の後、美代子の悲鳴が上がった。

『あ、頭が……。痛い! なに!? この痛みは……』


 なんだ? いったい美代子に何が起きているんだ?


「怪人! 美代子はどこだ? 案内してくれっ」

「は、はいぃ、こちらですぅ」

 私は走り出したマッスルオオカミの後に続く。すぐ後にはブルーもついて来ていたが、今は気にしている余裕はない。

 大量の資材と機器の間を縫うように走ると、2フロアほど上にある梁で対峙するレッドと美代子の姿が見えた。直立したレッドに対して、美代子は頭に手を当てて膝を突いていた。

 マッスルオオカミのスピーカーから音声が流れる。


『……ギリエム、ギリエム。どうして……この名前を口にすると、心臓が裂けるような痛みが襲ってくる』

『やはり間違いなかったのか。……君を初めて見たとき、戦いながらなぜか昔から知っているような気がした。そして、このあいだ確信したんだ。僕はずっと探していた。アドギラ、君のことを』

 レッドが耳元に手を伸ばすと、頭を覆っていたマスクが2つに分かれて足元に落ちる。

 そこから現れたのは、端正な顔立ちをした青年だった。

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