【16/81π】確信する、この先の未来も

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本編: 『39話 四十二区の領主様』

視点: エステラ

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「はぁ……緊張した」

 

 応接室を出ていくヤシロの背を見送り、一呼吸おいて、ボクはソファに深く腰掛けた。

 あぁ、こっちに座るのは久しぶりだな。

 ヤシロめ、わざと上座に座ったりしてさ。つまらないイタズラが好きだよね、まったく。

 

 それにしても……

 

「ついにバレちゃったかぁ」

 

 ま、バレてたみたいだけどね、とっくに。

 

 これから、ヤシロとの関係が変わってしまうのだろうか。

 今までみたいに、気軽に話したり、皮肉を言い合ったり出来なくなったり……

 

「しないよね。ヤシロとなら」

 

 そう確信できるのが、癪だけど、少し嬉しかった。

 変な感じだけれど、ヤシロのそういうところだけは、なぜだか信頼できる。

 

 あの男は、オオバヤシロという男は、こちらの期待を裏切るようなことはしない。

 

「もっとも、『君を信じている』なんて言ったら、ヤシロはひっくり返るだろうけどね」

 

 想像するとおかしくて、くすくすと笑いが零れる。

 

 ナタリアは、ヤシロとロレッタという娘を送って門まで行くのだろう。

 だから、しばらくの間この部屋にはボク一人きりになる。

 

「…………『会話記録カンバセーション・レコード』」

 

 一度ドアの方を確認してから、『会話記録カンバセーション・レコード』を呼び出し、少し前の会話を読み返す。

 

 

『どんな格好をしていても、エステラのことは一目見りゃ分かるよ』

 

 

「……ふふっ」

 

 ふふふふ……ヤバい。顔が、にやける……

 そっか。

 そっかそっか。

 ヤシロは、どんな格好をしていようと、ボクのことは分かっちゃうんだ。そうなのか。うんうん。

 

「くふっ……!」

 

 声を押し殺して、『会話記録カンバセーション・レコード』を抱きしめる。

 気のせいだろうけれど、『会話記録カンバセーション・レコード』がじんわりと温もりを持っているような気がした。

 

 これまで、領主の娘として、そして領主代行としてボクは仮面を被り続けてきた。

 隙を見せないように、完璧な貴族に見えるように。

 物心がついた時から、ずっとボクはそうしてきたのだ。

 この仮面には自信があった。

 

 事実、領主代行として顔を合わせたことがある者たちも、普段のエステラが領主代行だとは思っていない。

 ボクの仮面は、大したものだと思うよ。自画自賛できるくらいにはね。

 

「けど……それでも、分かっちゃうんだね、君には」

 

 油断のならない男。

 そう思っていた。

 それ自体は間違ってはいなかった。

 

 オオバヤシロという男は、こちらの想像をことごとく飛び越えてくる。

 

 けれど、いつだって、その結果はこちらにとって望ましいものだった。

 選択する方法が、辿る道程が、構築する理論が、軒並み不穏で極めて悪辣で、正義とは対極にあるようなものばかりなのに、終わってみれば泣いていた人が笑顔になっている。

 

 何度、君への評価を書きかえさせられたことか。

 

 ボクを領主と知った上で利用しようとしてくる。けれど、その目的がスラムの改革とはね。

 おそらく、一緒に来ていたあの娘が関係しているんだろうね。

 陽だまり亭の新人だって言ってたっけ?

 

 まったく、ヤシロは……

 

「身内に甘いんだから」

 

 思わず頬が緩む。

 

 そんな時、ふとヤシロの声が思い起こされる。

 

 

『何はともあれ、あんま無茶するなよ』

『何かあったら、言えな。格安で助けてやるから』

 

 

 ……ボクも、身内だと認識されているのだろうか。

 ヤシロは、結構ボクにも、優しい…………よね?

 

「どんなニュアンスで言ってたかな?」

 

 前後の会話を含めて、『会話記録カンバセーション・レコード』を読み返してみる。

 そこには他意など含まれていないかもしれないし、含まれているかも、しれないし?

 

「えっと……え~っと、この流れで、このセリフだから……たしかあの時はあんな顔をしてて……だからつまり……」

「お嬢様」

「ぅひゃい!?」

 

 少し熱中し過ぎたようで、背後にナタリアが立っていることにまったく気が付かなかった。

 ……一瞬、心臓が口から飛び出していったのかと思った。

 

「少々お伺いしたいことがございます。よろしいでしょうか?」

「え、あぁ、うん。いいよ。あ、ちょっと待ってね、今『会話記録カンバセーション・レコード』をしまうから」

「いいえ、出したままで結構ですよ。淑女にあるまじき、その緩みきったお顔で表情筋が固定されてもよろしいのでしたら」

「そ、そんな緩んだ顔はしてないだろう!?」

「いいえ。緩んでいます。緩みきっています。婚期が二十年単位で遅れるレベルです」

「そんなことないって!」

「こんなですよ、こんな」

「ってぇ!? 君のその変顔の方がよっぽど淑女らしからぬ表情だよ!」

 

 両手を使って、世にも滑稽な表情をしてみせるナタリア。

 女性がしていい顔の限度を優に超えていた。

 

 館の中や、彼女を知る人間の間では氷で出来たナイフのようだと恐れられているナタリアだけど、結構際どいことはやっている。ボクの前でだけ、だけれど。

 

 それでも、何事もなかったかのように澄ました表情に戻り、冷たい視線をボクに向けてくる。

 ……うぅ、お小言を言う時の顔だ。

 ボクが物心つく前から、ナタリアはボクに仕えてくれていた。だから顔を見ただけで大体分かるのだ。

 

 ナタリアは、ヤシロが相当気に入らなかったらしい。

 

 まぁ、ボクも第一印象は最悪だったしね。仕方ないよね。

 三~四回会えば見方も変わると思うけれど…………五~六回かな?

 ……九~十回?

 

「どうお考えなのですか?」

 

 ボクが指折り意味のない数を数えていると、ぴしゃりと冷たい声でナタリアが言った。

 随分と抽象的な問いだ。

 けれど、問われている内容はよく分かる。分かるから、……視線が逃げてしまう。

 

「べ、別に? 普通だよ」

「普通、とは?」

「いやほら、君もその目で見た通り、彼は言動が少々エキセントリックで、常識はずれで、なかなかに無礼で、ことあるごとに人の胸を揶揄してくるような一見最低な男のようだけれど………………なんか、思い出したら腹が立ってきたな」

 

 思い返せば、ヤシロには数々の、ありとあらゆる無礼と非礼を働かれ続けてきた。

 ……なぜボクは、ヤシロを擁護する立場に立っているのだろうか?

 

「つまり、害悪なのですね。では、排除の方向で調整を――」

「待って! そんなヤツなんだ・け・ど!」

 

 音もなく動き出そうとしたナタリアのスカートを掴んで行動を妨げる。

 ナタリアが本気で動いたら、きっとヤシロはこの街にいられなくなる。……最悪、暗殺なんてことも……

 

「結果を見ると、とても有益な男なんだ」

 

 そう。

 ヤシロが関わった案件は、みんなとてもいい方向に動いて、幸せな決着を見ている。

 

「まだ大きな変革は起こっていない。けれど、彼は小さな波を起こせる男なんだよ」

 

 小さなさざ波は、浜から沖へと向かって広がっていき、いつしか大きな波となって返ってくる。

 様々な理由で改革が進められず、あちらこちらが停滞したままの四十二区にとって、強引にでも波風を立たせられる力強い『イレギュラー』は必要不可欠なのだ。

 

「もう少し彼を観察してみるといいよ。彼の眼は今を見ていない。ボクたちが及びもしない遥か未来を見据えているんだ」

 

 人のいない陽だまり亭のフロアで、座席が埋まるくらいにお客さんが来た時のためにと荷物置きを作っていたような男なのだ。

 そして今、陽だまり亭にはトルベック工務店や川漁ギルドの面々が訪れ、一時的とはいえ客席が埋まることだってある。

 

 誰もが予想しなかったことを、彼は確信して行動を起こしていたんだ。

 無駄と損失が大嫌いな彼が、労力と材料費をかけて荷物置きを作っていたのは、それが無駄にならないと確信していたからだ。

 

「この街には彼が、オオバヤシロが必要だと、ボクは思っている」

 

 ヤシロがボクに都合のいいように動いてくれるとは思っていない。

 けれど、本当に危なくなった時に、こちらに不利益をもたらすことはないと確信している。

 素直になるのが下手で天邪鬼なあの男は、身内を見捨てることなんか出来ない。

 それが、ボクが彼と接してきたこれまでの時間から導き出した、オオバヤシロという男の人物像だ。

 

 どんなに反抗されても、ナタリアには理解してもらう。

 ナタリアもまた、四十二区の改革には欠かせない、ボクの右腕だから。

 

「……香辛料」

 

 ナタリアが呟いた言葉に、一瞬お腹の奥がひやりと冷える。

 

「……それを知った上で、彼の評価は変わりませんか?」

 

 各区の領主のもとに配られた手配書を、当然ナタリアも見ている。

 やはり、そこに引っかかるよね。

 

 でも。

 

「それを踏まえた上でなお、ボクは彼を信用する」

 

 信用には責任が伴う。

 ボクが信用すると決めた以上、万が一の時は、自分でけじめをつける。

 

 

「けれどもし、彼がアレを悪用するようなことがあれば……ボクがこの手で、オオバヤシロを葬ってやる――」

 

 

 それが、ボクが背負う責任。

 ボクなりのけじめのつけ方だ。

 

 信用するよ、ヤシロ。

 だからどうか、ボクを失望させないでおくれよ。

 

「まぁ、ボクの『人を見る目』を、少しの間信じていておくれよ」

 

 確かに、オオバヤシロは油断の出来ない男だ。

 けれど、それは『こちらの想像を大きく越えている』という理由から来ているところが大きい。

 

 次は何を仕出かすのかとハラハラさせられるのと同じくらい、いや、それ以上に、今度はどんな奇跡を起こしてみせてくれるのかとわくわくさせてくれる。

 

 ボクが知るオオバヤシロというのは、そういう男なのだ。

 

「承知いたしました。お嬢様のご指示に従います」

「うん。悪いね、心配をかけるようなことばかりで」

「いえ。お嬢様の望む未来へお導きするのが私の役目ですから」

 

 そう言って、静かに礼をするナタリア。

 よかった。とりあえずは分かってくれたようだ。

 

「ですが、私一人でお嬢様の心配を抱え込んでいては心に負荷がかかり過ぎますので、メイドたちの間で問題を共有しておきたいと思います」

「……え?」

「『会話記録カンバセーション・レコード』」

「なんで、今ここで『会話記録カンバセーション・レコード』!?」

「え~っと、『もっとも、「君を信じている」なんて言ったら、ヤシロはひっくり返るだろうけどね』」

「聞いてたの!?」

 

 っていうか、いつからいたんだい、ナタリア!?

 

「メイド、全員集合です!」

 

 叫ぶや、ナタリアは足早に部屋を出ていった。

 

「ちょっと待って! なにする気!?」

 

 と、手を伸ばすも、今度はスカートを掴むことすら出来ず、ひらりと優雅に逃げていくメイド服を見送ることしか出来なかった。

 

「あぁぁぁああ、もう! ナタリアは昔からそうだ! 自分の思い通りにいかないとすぐへそを曲げるんだからぁ!」

 

 

 その後ナタリアがどんなふうに盛った話をしたのか、翌朝からメイドたちのボクを見る目が若干生温かさを増した。

 

 

 

 

 

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